その日の放課後、コトハは龍太郎の誘いで一緒に帰っていった。今日は司佐が部活に出ると聞いていたため、少し遅くなっても大丈夫と判断したからである。 「トコ。喫茶店でも行こうか」 龍太郎はそう言って、近くの喫茶店へと向かう。 「龍ちゃんの家は近くなの?」 紅茶を飲みながら、コトハが尋ねた。 「うん、わりと。バスでいくつか先」 「バス通学なんだ。なんか意外だな。小学校の頃なんか、いつも車だったのに」 「もう体も弱くないしね。本当は家に呼びたいんだけど、母さんが……」 「うん、わかってる」 コトハは目を伏せる。 小学校の頃、二人は両想いだった。だがそれを許さなかったのは、龍太郎の母親である。 “龍太郎は、可愛いうちの長男なの。あなたみたいな卑しい出の人が、龍太郎と付き合うなんて許せない” 小学校を卒業したてのコトハに、龍太郎の母親は面と向かってそう言った。 コトハもそれをわかっていたが、今となれば、それは司佐にとっても同じことが言えるだろう。同じことを繰り返している自分に嫌気が差した。 「トコ、携帯番号交換しようよ」 気軽にそう言った龍太郎に、コトハは身を縮める。 「ごめんなさい。私、携帯持ってなくて……」 「そうなんだ? 山田家のメイドとして、当然持たされているのかと思った」 「ううん。ごめんね」 「そう。じゃあ、ちょっと待って」 龍太郎は携帯電話をいじって、そう言った。 「しかし、トコはあんまり変わってないね。二つに分けた髪の毛も、背の高さも小さいままだ」 「それを言うなら龍ちゃんだって、あんまり背伸びてないじゃない」 「言ったな。これでも少しは伸びたんだぞ」 二人は他愛もない話で盛り上がる。 「トコ!」 その時、喫茶店にやって来たのは、またもコトハが知っている少年だった。 「新ちゃん?」 「トコだ! 本当にトコだ!」 少年は、コトハに駆け寄る。 「携帯で呼んだんだ。同じ学園の中等部一年生だよ」 突然の再会に、龍太郎が説明する。 少年の名は、楠新太郎(くすのきしんたろう)。龍太郎の弟で、コトハとも幼馴染みである。 龍太郎と新太郎、二人はコトハをトコという愛称で呼び、一気に場は小学校時代へと戻っていた。
「まだコトハは帰って来ないのか」 部活帰りにも関わらず、その日はコトハよりも司佐の帰りのほうが早かった。 「そうみたいだね……」 これ以上コトハの立場が悪くなるのは避けたかったが、昭人は正直に答える。 「あいつ、弛んでるな……」 「ま、まあ、久々の再会で盛り上がってるんだろうよ。今日くらいは許してあげなよ」 「昭人。おまえ、コトハの肩を持つのか?」 「そういうわけじゃないけど……」 その時、司佐の部屋に桃子が入って来た。 「勝手に入るな、桃子」 「ごめんなさい。ノックはしたんだけど……それより、そろそろ夕食の時間ですって。一緒に行きましょうよ」 「もうそんな時間か。まだコトハは帰らないのか」 「コトハさんなら、今帰って来たのを見たわ」 司佐に桃子が返事をする。 「そうか。帰ってきたか……ならいい」 「もう。司佐様は、桃子のことだけ考えていればいいの」 「……まあ、そのほうが俺も楽だけどな」 「司佐」 弱気な司佐に、思わず昭人が呼びかける。 「昭人。おまえも食事に行け。それから、コトハに伝言を頼む」 昭人に向かって、司佐がそう言った。 「え?」 「しばらくコトハは、俺のメイド禁止」 その言葉に、昭人は目を見開く。 「待ってくれ、司佐! それはいくらなんでも……」 「命令だ。弛んでるメイドに用はない」 司佐の顔は、明らかに怒っている。そんな状態の司佐の命令は、覆されるものではない。 だが、昭人は口を開いた。 「ここでもっと距離を置いたら、もっと溝が出来る。取り返しがつかなくなってもいいのか?」 「いいのよ」 司佐の代わりに、桃子が返事をした。そして話を続ける。 「昭人は使用人でしょう? いくら司佐様が許してたって、そんなこと昭人が言う権利はないと思う。司佐様の命令は、黙って聞いていればいいのよ」 「桃子の言う通りだ。夕食に行ってくる」 そう言い残して、司佐は桃子と一緒に部屋を出て行った。
その日の夕食時、昭人は司佐の命令をコトハに伝えた。 「わかりました……」 コトハはそう言って、黙々と食事を続ける。 「いい加減にしろ! おまえのために司佐は距離を置いてるんだぞ? だけどこのままじゃ、本当に司佐を失うぞ。それでもいいのか?」 怒りを露わにしている昭人だが、コトハはそれに動じていないようだ。 「……嫌ですよ。でも、それで終わる関係なら、そうなるものなのかもしれません」 「……初恋の人が現れたからって、浮かれてるんじゃないだろうな。司佐にその気がないのなら、振ってやれと言ったろ」 「龍ちゃんとは、そんな関係じゃありません」 眉をしかめて、コトハはそう言った。 「何もなくても、話さない日が続けば、誤解も生まれるんだぞ」 「確かに久しぶりに会って楽しかったです。弟の新ちゃんも来たことで、また話が尽きなくてつい遅くなってしまったのも事実です。それが浮かれていることなら、反省しますしもうしません。でも、龍ちゃんとはとっくの昔に終わってるから……どうにもなりません」 「終わってるって……付き合ってたのか?」 それを聞いて、コトハは目を伏せる。 「子供だったし、そこまでは……でもお互いに好きだったと思います。でも龍ちゃんのお母様に猛反対されて、龍ちゃんも転校が決まっていたので、それっきりです」 「それじゃあ、恋が燃え上がる可能性は、無きにしも非ず」 「ありません。私は司佐様のことが好きです」 「だったら離すんじゃない!」 真剣な昭人に、コトハは俯く。 「離したくありません。でも……自分の立場とか、旦那様たちが反対していることとか、いろいろ考えた結果、、自分の気持ちだけ突っ走っても、誰も幸せになんかなれないと思うんです」 コトハは苦しそうに答えた。 昭人もコトハの言わんとする意図はわかるのだが、焦りだけが先走る。 「困るんだよ……おまえにフラフラされると。司佐も悲しませたくないし、僕だってコトハのことを……」 そう言ったところで、昭人は口をつぐんだ。 「いや、何でもない。とにかく、フラフラしてないでさっさと答えを出せよ。どういう結果になっても、司佐のメイドは辞めないんだろ?」 「はい。それはもちろん……」 「じゃあ、早く答えを出すんだ。いいな」 昭人はそのまま、コトハのもとを去っていく。 「どうすればいいというの? どう考えたって、私なんか不釣り合いなのに……みんな反対しているのに、それでも一緒にいたいなんて、どうすればいいの……?」 コトハはどうしていいかわからず、涙に濡れた。
次の日。一時間目が体育の授業であるコトハのクラスは、早速、女子を教室に残して着替え始めた。 コトハが自分のロッカーを探ると、置いてあったはずの体操着が、無残に切り刻まれている。 「……」 言葉を失い、コトハはショックに俯いた。せっかく司佐が与えてくれた物だが、見る影もない。さすがに怒りが込み上げ、コトハは振り向いた。 「どうしてこんなことをするんですか!」 クラスメイトにそう問いかけると、数人の女子がコトハを取り囲む。 「どうして? あんた、自分が何したかわかってないの?」 「え……?」 「あんたは、桃子ちゃんと司佐様の邪魔をしてるじゃない。その上、楠君まで手懐けちゃって、何様のつもり?」 「……司佐様とは、今はお話もしていません。龍ちゃんとは、小学校時代の幼馴染みなだけです」 「だから何? そんなオープンに言われても、腹立つだけだし」 どうやってもクラスメイトとわかりあえないのかと、コトハは落胆した。
その日、コトハは放課後になっても、姿を現すことはなかった。
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