「桃子! なんでこんなところにいるんだよ?」 目の前の少女に向かい、司佐が言った。 「おじさまに呼ばれて来たのよ。そろそろ婚約を本格化したいから、花嫁修業を兼ねて、司佐様のもとへいらっしゃいって――」 「わああああ!」 コトハを気にして、司佐がそう言った。 「婚約?」 だが、コトハはそれを聞き逃さず、司佐を見つめて尋ねる。 「いや、これは……」 司佐が答える代わりに、少女がコトハの顔を覗き込む。 少女はコトハより背が小さく、ストレートの黒髪をセミロングまで切り揃えている。軽く化粧をしているようで、人形のように可愛かった。 「あなたがコトハさんね?」 コトハが少女に見とれるようにしていると、少女は自分の名を言い当てた。 「は、はい」 「あなたのことは、おじさまから聞いているわ。司佐様の恋人なんですってね」 「え、ええ……」 少女が誰だかわからず、コトハはその動向を見つめる。 「はじめまして。私は、東宮桃子(とうぐうももこ)。司佐様の従兄弟で、婚約者です」 「え……」 屈託のない笑顔でそう名乗った桃子に、コトハは言葉を失った。 そこに、司佐が間に入る。 「桃子。その話は……」 「ひどいわ、司佐様。桃子という婚約者ありながら、浮気なんかして……でも、大丈夫。桃子は変わらず司佐様が好きだし、司佐様がこの人に揺れ動いているのは、この人が使用人であり庶民という私たちと別世界の人だから、興味本位でぐらついてるだけよ。すぐに桃子が、振り向かせてみせるんだから」 大した自信の桃子に、貴一と藤二は顔を顰める。二人もまた、桃子と従兄弟同士だ。 「桃子よ。でも全教科合わせて二十一点はないと思うぞ?」 「そうそう。今回の試験は八百点満点だぞ……」 そう言う二人に、桃子は口を尖らせる。 「仕方ないでしょ。桃子、お勉強嫌いだもの。それに、編入試験をいきなりこんなところ貼り出すなんて、ひどい学校ね」 「おまえの点数がひどすぎるんだ。いくら家柄が良くても、馬鹿な女はどうかと思うぞ」 思わず言った司佐の言葉に、桃子は一気に涙を溜める。 「わ、司佐の馬鹿!」 貴一がそう言った時には、すでに遅かった。 「うわ――ん!」 桃子の叫ぶような泣き声は、講堂中に響き渡る。 「ご、ごめん、桃子! 俺が悪かった!」 そう言う司佐に、桃子はうるんだ瞳で見つめる。 「じゃあ司佐様、仲直りのチューして?」 「はあ?」 「してくれなきゃ、また泣くもん……」 「おまえなあ……」 「まあまあ司佐。桃子、おまえまだ校内回ってないだろ。僕が案内してやるから来いよ」 貴一は強引に、桃子の肩を掴んで方向転換する。 「貴一兄様、相変わらずチャラいのね。藤二兄様は相変わらず地味だし。やっぱり司佐様がいい!」 「あとでゆっくり話をしよう……連れてってもらえ」 司佐の言葉に、桃子は渋々、貴一と藤二に連れられて去っていった。 去り際に、貴一が司佐に振り向く。 (これは貸しだからな!) 貴一のジェスチャーを察して、司佐は拝むようにして頷いた。 「やっと行ったか……」 一息ついて、司佐が言った。 「久しぶりに見たな、桃子様」 「全然変わってねえし……」 苦笑する昭人に、司佐は短期間でやつれたようになっている。 「あの……」 いろいろ聞きたいことが出来たコトハだが、言いにくそうに目を伏せた。 「とりあえず帰ろう。それで何処か落ち着ける場所でも行って話そう」 司佐の言葉に同意し、コトハと昭人は学校を出て行った。
学校帰り、近くの喫茶店に入り、司佐はコトハと対面する形でコーヒーを飲む。隣には昭人も座らせているが、何から話せばいいのかわからない。 「とりあえず、桃子様のことから話したら?」 しばらくの間無言だった司佐とコトハに、見かねて昭人がそう促す。 「あ、ああ……まあ、あいつが言っていた通りだよ。桃子は俺の従兄弟。名古屋に住んでるんだ。親父の妹であり、貴一たちの母親の姉でもある、東宮蘭子おばさんの娘だ。あいつは昔から俺のことを慕ってくれてて、親父たちが冗談で婚約させるって言い出したことがあったんだけど、あくまでも冗談だ。大きくなってその気があったらって条件もあった」 「でも、婚約者なんですね?」 司佐の言葉に、コトハが言った。 「俺は認めてない」 「でも、旦那様が呼び寄せたんですよね……?」 「親父の策略はこれでわかった。でも俺は桃子になびかないし、第一、貴一たちの態度を見てもわかるように、桃子にはみんな苦手意識を持ってるんだ」 「どうしてですか? あんなに可愛らしい方なのに……」 どんどん悲しそうに内に引っ込むコトハ。司佐には、そんなコトハでさえ愛おしく感じる。 「可愛いっていっても、子供の頃から知ってるからな。あの通りわがままだし、所構わず大声で泣き叫ぶし、典型的なお嬢様タイプだから、俺たちも苦手としてるんだよ。だって俺たちは、同じ年の男同士で遊んでるのに、後から女の子が乱入してくるんだぜ? 合うわけがないよ。なあ、昭人」 突然振られ、昭人は昔を振り返る。 「そうだね。後から必死に追いかけてくるのが可愛かったけど、秘密基地を暴露されたり、野球で遊んでいるところでおままごとを強要されたり、あんまりいい思い出はないかな」 「と、昭人も言っている通り、俺は桃子に全然女を感じない。親父たちがどんな手で来ようと、俺が好きなのはコトハだけなんだから、覚えとけ」 照れた様子で、司佐はそう言った。 そんな司佐に、コトハも笑う。 「わかりました。いろいろ話してくださってありがとうございました」 「いいよ。つまんないことで悩んで欲しくないし。まあでも、桃子がこれからうちの学校通うとなったら、嫌でも巻き込まれる。おまえと桃子は同じ学年だしな。あんまり深く付き合おうとしなくていいから」 「……はい」 三人はしばらくその場でゆっくりした後、家へと帰っていった。
「おかえりなさいませ、司佐様!」 家に帰るなり、そんなキンキン声が響いた。そこには桃子がいる。 「桃子! どうして……」 「だって桃子、今日からここに住むんだもの」 「なんだって?!」 ただでさえ押しの強い桃子。厄介なことになりそうだ。 「名古屋から通うと思ったの? 私、司佐様のために転校してきたのよ」 あまりの急展開に、司佐は深いため息をつき、桃子の肩を叩く。 「わかった……わかったから、ちょっと頭を整理させてくれ。一度部屋に戻る」 「じゃあ、桃子もついてく」 「客間で待ってろ」 「嫌よ。久々にこっちに来たんだもの。少しでも長く一緒にいたいじゃない」 そうやって、桃子は司佐の腕を取る。 強引なまでの桃子にもう何も言えず、司佐は自分の部屋へと向かっていった。
「あなたたち、どうしてついてくるの?」 しばらく歩いたところで、コトハと昭人を見ながら、桃子が振り向きざまにそう言った。 「彼らの部屋は、俺の部屋の隣だ」 二人が答える代わりに、司佐が答える。 「そんなのずるいわ! 桃子なんて、全然反対側の棟なのよ」 「客なんだから当然だろ」 「客じゃないわ! これから毎日一緒に学校へ通うのよ?」 「そんなものは父さんに言え」 うんざりした様子で、司佐が答える。 桃子は口を尖らせると、コトハを睨み、そして満面の作り笑顔をする。 「コトハさん。あなたの部屋を明け渡してくれる?」 「え……」 「使用人であるあなたが、司佐様のおそばにいるなんて厚かましいわ。付き合っているなら、なおさら不潔よ。あなた使用人でしょ? だったら桃子のが上よね。桃子はあなたの部屋が欲しいの」 その時、桃子の頬を、司佐が思いきり叩いた。 「いい加減にしろ! それ以上わがまま言うなら、転校は取り消してもらう」 その時、桃子は初めて司佐が本気で怒っているのを見た。 桃子の目から、大量の涙が溢れ出す。 「うわ――ん!」 「泣いても無駄だ。少しは自重しろ!」 いつもなら折れる司佐が折れないので、桃子は泣きながら走り出す。 だが、そんな桃子をコトハが止めた。
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