「司佐!」 コトハを連れて山田邸に帰るなり、司佐は女性に抱きしめられた。 「母さん! いつ帰ったの?」 司佐がそう答える。 目の前の女性は、過去に女優だったというだけあり、美しく気品が溢れている。 「今朝よ。でも帰ったらいないんだもの。もう、元気にしてたの?」 「うん。母さんも元気そうだね」 「私は元気よ。でも、学校なんてものがなかったら、あなたを一緒に連れていけるのにっていつも思うわ」 「それって、何回転校させるつもりだよ……」 苦笑しながら、司佐が答える。 玄関ホールでそうしていると、父親も顔を出した。 「そんなところで懐かしんでいないで、中に入ったらどうだ?」 「そうだね」 父の言葉に答えながら、司佐は後ろにいたコトハを見て、その肩を抱く。 「そうだ、先に言っておくよ。彼女は小桜琴葉さん。俺は彼女と結婚する」 先手を打ったように、司佐はそう言った。 コトハは赤くなっており、父親は今にも怒り出しそうな顔をしている中で、母親だけは顔色を変えない。 「あら、そうなの? どこのお嬢さんかしら。しばらくいない間に、司佐もこんなガールフレンドが出来て……」 「母さん。彼女は使用人だよ? 許されるものじゃない」 母親の言葉に、慌てて父親が間に入る。 コトハは司佐の父親に反対されているのだと知り、不安げに司佐を見つめた。 「大丈夫だよ、コトハ。元当主の爺ちゃんが死んだら、父さんじゃなく俺がこの家を継ぐって決まってるんだ。そうしたら、そんな変なしきたり破ってやる」 「そんなことが許されるか! たとえ当主が決めたとしても、親戚からバッシングされて衰退するのが目に見えてる」 司佐に向かって、父親はそう言った。 「もう、ごちゃごちゃ言ってないで、べつにいいじゃない。だいたい司佐はまだ十代。これからどうなるともわからないのに、今から見合う人を選別していくの? あなたの仕事も意地汚くなったのね」 思いのほか、賛成してくれたのは母親だった。 「そういうことじゃないだろう。と、とにかく私は反対だ。だが、しばらくは好きにしろと言っただろ。帰って早々、口出しはしない。一度部屋に戻りなさい」 立場を失くしたように、父親はそう言って去っていった。
一同を部屋に返し、司佐は母親と居間へ向かった。 「司佐にもお土産いっぱいあるのよ」 笑顔でそう言う母親に、司佐は静かに口を開く。 「ありがとう。ねえ、母さん。さっきの話だけど……本当に、母さんは俺とコトハが付き合ってもいいって思ってる?」 その言葉に、母親は手を止める。 「うーん。あれはね、ウ・ソ」 「え?」 「ウソよ、ウソ。お父さんを困らせたかったっていうこともあるし。ほらあの人、からかいがいがあるのよね……うん。付き合うのはいいけど、奥さんになる人は別。やっぱり家柄を大事にしたほうがいいと思うのよね」 「なんだよ、それ!」 司佐は怒って立ち上がった。 「っていうのは、ウ・ソ」 茶目っけたっぷりの母親に、司佐は顔を顰める。 「はあ?」 「本当言うとね、半々かなあ。世間的には、ちゃんとしたこの家に釣り合う人と結婚してほしい。でも、司佐の恋を応援したいっていう気持ちもある。きっとお父さんだって同じ気持ちだと思うな」 「じゃあ、反対ってことなんだね……?」 「うーん……お父さんの言う通り、しばらく様子を見させてよ。私も久々に会った息子に、突然結婚したいなんて言われたら、誰が来ても考えてしまうもの」 母親の言葉も一理あると思い、司佐は頷いた。 「わかった。でも俺は、反対されてもコトハのことが好きだから」 そう言い残すと、司佐は去っていった。 「しばらく見ないうちに、すっかり大人になっちゃって……」 母親は寂しそうに微笑んだ。
司佐は自分の部屋に戻ろうとしたが、思い直して、その途中にあるコトハの部屋のドアをノックした。 「司佐様」 中から、コトハが顔を覗かせる。 「ちょっといいか?」 「はい。どうぞ」 「さっきの……親父の言うことは気にしないでくれ」 部屋に入るなり、司佐がそう言った。 「でも……」 「おまえが恐縮するのはよくわかる。でも俺は信念を曲げるつもりはないし、今までほったらかしだった親にとやかく言われたくない。さっきも言ったとおり、おまえの主人は親父じゃなくて俺だ。俺の言うことだけ聞いていればいい。他には耳を貸すな」 だが、コトハの顔は曇ったままだ。 「はい、そうしたいです。でも……私は考えてしまいます。私だって、司佐様に見合う人間とは自分で思いません。司佐様のためを思ったら……」 「コトハ!」 二人の間に、沈黙が流れる。 「……すみません」 「……俺たちの関係は、力関係だけで続いているものなのかな?」 静かに、司佐がそう言った。 「私は司佐様のことが大好きです。だからこそ、司佐様の幸せを願っています」 「俺の幸せなんて、今はコトハと一緒にいられることだけだ。コトハ……」 司佐は、そっとコトハにキスをしようとする。コトハはそれに気付いて硬直した。 硬直しているコトハに、司佐は笑って、コトハの額にキスをする。 「ゆっくり近付いていくって決めたもんな」 「ご、ごめんなさい。緊張して……」 「いいんだ。じゃあ、昨日今日で疲れたろうから、今日はもう休んでいい。明日も学校休みだし、テスト勉強期間として、家の仕事もしなくていいから。じゃあな」 そう言うと、司佐はコトハの部屋を出て行った。
それからというもの、今まで通りの生活が戻った。 しばらく様子を見ると言った父親の言葉通り、両親は司佐とコトハの交際について口を出すことはなくなり、交際は順調だ。 だが、それは嵐の前の静けさのように、静かに司佐たちを波乱が覆おうとしていた。
この一週間、学校では学力テストがあった。 入学して初めてのテストだったコトハも、時々は昭人に勉強を教えてもらったため、それなりの高得点を出していた。 点数は全校生徒が貼り出されるため、みんな頑張っていたが、それでも順位によって、優劣はつけられる。 順位発表当日は講堂に貼られ、放課後、そこには全校生徒が押し寄せる。 「どれどれ、コトハは何番目だよ?」 コトハが自分の順位を見ていると、後ろから声を掛けられた。司佐と昭人である。 「司佐様!」 「一年生の中で七十三番目ね……まあ、後から入学してきたわりにはよくやったんじゃないか?」 「そうですか? 山田家の使用人として、この順位はセーフですか?」 泣きそうなまでのコトハに、司佐は苦笑する。 「べつに、いい成績を取るに越したことはないけど、そんなものが欲しくて入学させたんじゃない。変なプレッシャー感じなくて平気だよ。百番以内なら胸張っていいんじゃないか?」 「そうですか……では司佐様は、何番目だったんですか?」 「俺?」 司佐は親指を立てると、後ろの壁を指差す。そこには二年生の順位が貼り出されていた。 コトハはそれを見ると、すぐに見慣れた名前が目につく。 「い、一位、山田司佐……二位、小島昭人」 それは紛れもなくトップの成績である。 「ああ、くそ! またおまえに負けた。学園長の孫だからって、不正してるんじゃないだろうな?」 そう言って司佐に近付いて来たのは、貴一だ。貴一は四位となっている。 貴一の言葉に、司佐は貴一の首元を掴む。 「もう一度言ってみろよ、貴一」 「わあ、嘘! 冗談くらい聞き分けろよ、司佐。小学部からこんだけ毎回負けてりゃ、不正だなんて思わないし」 「おい、おまえら!」 そこにやって来たのは、藤二である。 「藤二。なんだよ、風紀委員のお出ましか? べつに喧嘩してるわけじゃないし」 「違うよ。見たか? あれ」 藤二が指差す方向を、一同は見つめる。だが、相変わらず人だかりが出来ているだけで、何もない」 「何がなんだって?」 「あれだよ、あれ! 一年生最下位のやつを見てみろ」 藤二の言葉に、一同は目を凝らす。 「一年生最下位、全教科合わせて二十一点?」 「おい、その名前……東宮桃子(とうぐうももこ)」 「東宮桃子?!」 司佐たちは、顔色を変えて顔を見合わせる。 「まさか……」 「司佐様――!」 その時、講堂にそんな声が響いた。 「俺、振り返りたくない……」 「そんなの俺だって……」 コトハ以外の全員がそう言って目を伏せる。 「でも、ずっと振り返らないわけにはいかないんじゃないの?」 「じゃあ、せーので振り向こうぜ」 「よし。せーの!」 一同が振り向くと、そこには一人の女生徒が立っている。 それは紛れもなく、嵐の幕開けだった。
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