「コトハとの恋愛なんて、私は絶対に認めないぞ!」 突然怒り出した父親に、司佐は眉を顰める。 「どうして? やっぱり、コトハは父さんの子ってこと?」 「違う、そういう意味じゃない。おまえは我が山田家の跡取り息子、コトハは使用人。お爺様じゃなくても、私だって反対する。不可能な恋愛だ。諦めなさい」 父親の言葉に、司佐は口を曲げる。 「諦めろと言って諦められない。父さんは諦めたかもしれないけどね」 「私だって散々悩んだが、山田家存続のためには、身分相応の女性との結婚は不可欠だったんだ。時代は変われど、おまえもおなじことだ」 「じゃあ、俺はコトハと結婚する。跡は昭人が継げばいい」 突然振られた昭人は、首を振った。 「いや、それは嫌だ。いくら司佐の命令でも断る」 「なんでだよ! 山田家の財産が、全部おまえの物なんだぞ?」 「べつにお金に興味ないし……僕は司佐みたいに英才教育受けてないから勉強も大変だろうし、好きな女性と結婚したいし」 「なんだよ、昭人。薄情者!」 「どう言われても、それは無理」 冷静に断る昭人に何も言えず、司佐は机に手をついて、父親を見つめた。 「俺は、なんと言われようとコトハと結婚する。俺が山田家を継いだら、父さんにだって口出しさせないからな!」 そう言って、司佐は勢い良く書斎を出て行った。 「やれやれ、とんだ爆弾発言だ。司佐も好きな女性など選べないいということは、わかっていると思っていたのに……」 嘆く父親に、昭人は口を開く。 「でも、司佐は可哀想です。家柄に雁字搦めにされていて、その上、結婚相手まで……」 「昭人。それがこの家に課せられたことだよ。富と栄誉の引き換えにね。私も同じだ。おまえだってそれが嫌だから、司佐と兄弟だということを隠し通し、司佐の申し出を辞退したんだろう?」 昭人は小さく息を吐き、お辞儀をする。 「……出過ぎた真似を、申し訳ありませんでした。旦那様」 それを聞いて、父親は苦笑した。 「そうやって殻に閉じこもり、おまえは自分を守って来たんだな。私も今更、それを剥がそうとはしないよ。だが、家の掟には逆らえない。いくらコトハが良い子で、沢木という優秀で裕福な家柄の血を継ぐ子供でも、使用人であることに変わりはないんだ。結ばれる運命じゃない」 昭人は目を逸らすと、口を結んだ。 「……司佐が可哀想だ」 「すまない、昭人。だが、しばらくは様子を見てみよう。私も長い間家を空けているくせに、こんなことばかり言いたくないから」 「はい。失礼しました」 昭人はそう言うと、書斎を出て行った。 残された父親は、出しっぱなしのアルバムを見つめる。写真に写る赤ん坊の司佐は、今ではあんなに大きくなった。その成長が嬉しくも、寂しくも感じていた。
昭人が部屋に戻ろうとすると、司佐が部屋から出てきた。 「司佐?」 「コトハを迎えに行く。おまえも来い!」 昭人の秘密を知った今も、変わらずそう命じた司佐に、昭人は嬉しささえ感じていた。 今まで昭人は、司佐のことを羨ましいということや、嫉ましいと思ったことは、不思議と一度もない。司佐は暴君とも言われているが、その裏でしてきた苦労は人一倍知っていたからである。 「待って。すぐ用意する!」 昭人はそう言って自分の部屋に入り、支度をしてすぐに出てきた。 二人はそのまま、辻を呼びつける。 「辻。車の用意を。すぐに軽井沢に行く」 司佐がそう言うと、父親がやってきた。 「……止めても無駄だよ。俺はコトハを連れ戻す!」 それを聞いて、父親は笑った。 「まだ何も言ってない。辻、ヘリコプターを一台用意してやれ。車じゃ大変だ」 父親の言葉に、司佐は驚く。 「……許してくれるの?」 「勘違いするな。もともとコトハを呼び寄せたのは私だ。おまえの一存で、コトハを別荘に返すのは納得がいかない。亡き親友のためにも、コトハはちゃんと育ててやりたいんだ」 「でも、俺はコトハを離さないからな」 「それは困るな。だが、しばらく様子を見させてもらうよ。私も帰って来た早々、おまえと揉めたくないんだ。母さんだって心配するだろう?」 父親の理屈に納得し、司佐は背を向ける。 「すぐにヘリを。軽井沢に向かう」 そう言って、司佐は山田家を出て行った。そんな息子の後ろ姿を、父親は静かに微笑み、見送った。
コトハは夜行バスに乗ると、軽井沢へと向かった。この時間、直行バスは出ていなかったので、いくつか乗り継がねばならない。 それでも、そのまま朝まで山田邸にいることは出来ず、コトハはバスの座席から外を見つめた。流れる景色は夜の闇で、往来する車の光が線となって帯びている。夜空には、飛行機かヘリコプターの光が、同じ方向へと飛んでいった。 (夢なんて見るんじゃなかった……司佐様に甘え、それが当たり前になっていたんだ……そんな私を、司佐様が見限るのは当たり前。でももう、お仕えすることも出来ないなんて……私は軽井沢に帰って、どんな顔で別所さんたちと会い、何を支えに働けばいいの?) コトハの目から涙が溢れ出す。 (もう何も望まないから……もう一度、司佐様に仕えたい。代々山田家にお仕えしてきたのに、私が途切れさせるなんて、お母さんにもおばあちゃんにも申し訳が立たない……) 星のように輝く、飛行機に似た空飛ぶ物体を見つめ、コトハは祈った。 (泣いてなんかいられない。司佐様……私に夢を、愛を、ありがとうございました。いつか会える日を夢見て、私はメイドの腕を磨くことにします) そう決意し、コトハは軽井沢へと向かっていった。
「遅い!」 朝を迎え、昼近くになり、司佐は貧乏ゆすりをしてそう言った。 コトハが夜行バスに乗ったならば、とっくに着いて良い時間だが、その姿はまだ見えない。 「落ち着けよ、司佐」 昭人はそう言って、司佐にコーヒーを差し出す。 「これが落ち着いていられるか!」 「確かに遅いね。乗り継ぎが間に合わなくて、始発まで待ったのかと思ったけど……そもそもちゃんとバスに乗ったんだろうか。何かトラブルにでも巻き込まれてないといいけど……」 「ああ……」 心配そうにしている司佐に、昭人は口を開く。 「でも、コトハは辻さんに言われて、ちゃんとタクシーで夜行バスターミナルまで行ったそうだ。あんな夜にコトハが入れるような店は開いていないし、最初のバスには乗っていると思う。心配いらないよ」 昭人は宥めるようにそう言った。だが、司佐の顔は晴れない。 「昭人……教えてくれ。おまえも、俺がコトハとは結ばれないと思っているか?」 司佐の言葉に、昭人は目を伏せる。 「……司佐は、ただの人じゃないのは確かだよ。これだけ大きな財閥である山田家を存続させるためには、由緒正しい人と結ばれるべきだと思う」 「そうか……」 「でも、理屈でわかっていても、どうしようもないことってあるよ。先に司佐が当主になれれば、そんなしきたりだってはねのけられるかもしれない。旦那様も、しばらく様子を見ると言ってくださったんだ。司佐も様子を見ればいい。今後、コトハのことが嫌いにならないっていう保証もないだろ」 正直に言った昭人に、司佐は微笑む。 「ありがとう、正直に言ってくれて。おかげで少し楽になった」 「そう?」 「俺だって、父さんが言っていることはわからないでもない。父さんだって乗り越えてきた道だ。まだ学生だし、時間はある……思えばコトハとは、鳩子さんの件から縁があるんだ。コトハを嫌いになる理由はないと思うが、しばらく足掻いてみるとするよ」 「うん」 司佐は、静かに立ち上がった。 「ちょっと散歩してくる。三十分ほどで戻るから、一人にしてくれ」 「わかった……」 そのまま司佐は、外へと出て行く。昭人はボディーガードとして少し離れたところを歩き、司佐を見つめた。 巨万の富と引き換えに、己を縛られている司佐。昭人にはそれが不憫でならなかったが、自分が代われるものではない。せめて司佐の恋の成就を願い、明るい行く末を願った。
司佐は別荘の門まで歩いて行くと、遥か道の先に目を凝らす。だが、人が来る気配などない。 「はあ……」 深いため息をつき、司佐は鉄の門にもたれ掛かる。 その時、ふと視界に少女の姿が映った。コトハである。 「コトハ!」 司佐がそう言うと、コトハも驚いた顔をしている。 どうやらコトハは門の近くで、長い時間、入るのをためらっているようだった。 「司佐様……!」 コトハは硬直したように身をすくめると、急いで司佐に背を向ける。逃げ出したいと思ったが、足が思うように動かない。 そうこうしている間に、司佐が門の外へ出て、コトハの前に回った。 「俺に背を向けるのか?」 「も、申し訳ございません……」 恐縮しているコトハを、司佐は静かに抱きしめる。 「ごめん。たくさん傷つけて……」 司佐の腕の中で、コトハは涙を流す。 「ど、どうしてこちらに……」 やっとのことで、コトハが言った。 「おまえを連れ戻しに来たんだ」 そう言った司佐に、コトハは絶望的な顔を見せる。 この道中、どれだけ司佐のことを諦めようと努力したのか、司佐はわかっていないだろう。 「ひどい……ひどすぎます! やっと、司佐様から離れる決心がついたのに……やっと心に整理がついたと思ったのに、なぜそんなことを……」 「じゃあ、戻りたくはないのか?」 どこか辛そうな顔をしている司佐に、コトハは首を振る。 「でも、また捨てられるのなら、もう夢なんかみたくありません……!」 思い切って、コトハはそう言った。 「ごめん。すべては誤解だったんだ。全部話すから……俺の話を聞いてくれ」 司佐は、コトハが自分と義理の兄妹だと勘違いしていたこと、その疑いが晴れたことを正直に話した。 コトハはやっと司佐の心情を理解すると、そっと涙を拭う。 「よかった……嫌われたわけではなかったのですね?」 「嫌いになんかなるもんか。これからは、もっともっと大切にする。だから、おまえこそ俺を見捨てないでくれ。俺から離れないでくれ、コトハ」 心が晴れたコトハに、司佐はそう言った。 「もちろんです! 司佐様が私を必要としてくれる限り、絶対に離れません」 「そうだ、コトハ。おまえの主人は俺だ。たとえ親父がなんと言おうと、おまえは俺の言うことだけ聞いていればいい。約束出来るな?」 司佐がそう言ったのは、父親がコトハとの交際を反対しているからだ。今はまだ、コトハにそこまで説明することは出来なかったが、いずれ父親も行動に移してくるだろう。その前に、コトハにきちんと約束させておきたかった。 「はい。私のご主人様は、司佐様です」 「よし。じゃあ、本宅に帰ろう」 そう言って、司佐はコトハの指に指輪をはめる。それは、コトハが置いていったものである。 続けて司佐は、口を開いた。 「おまえは俺のものだ」 「はい」 命令口調が愛おしく、コトハに愛を運ぶ。 その後二人は昭人ともに、山田家本宅へと帰っていった。
|
|