現代――。 「そうか。彼女の名前を知りたかったのに、話の流れから娘の名前を聞いちゃったんだ」 「しかし、なんで右から読むかな……」 司佐の話に少し呆れた顔をして、昭人が言う。 「しょうがないだろ。アラビア文字の勉強している最中だったし」 「あっそう。まあ、思い出してよかったね」 「まあな」 その時、別所がコーヒーセットを持ってやって来た。 「遅くなってしまって申し訳ございません。機械が壊れて手間取ってしまって……」 「いや、いいよ。それより、早く続きが知りたいんだが……」 「わかりました。では、そちらのアルバムをご覧ください。それは、旦那様と奥様が結婚された当時の写真です。この方……この方がコトハの父親の、沢木悟(さわきさとる)様です」 別所が指差す男は、司佐の父親と仲が良さそうに肩を組み合う青年であった。 「旦那様はご結婚前、コトハの母親・葉月をひいきにしておりました。使用人の間では、交際の噂まで飛び交っていたほどです。ですが葉月はもともと心臓が弱く、メイド業務さえろくに出来ずに、床についておりました」 「そうだったのか……」 「旦那様は東京が本拠地でしたから、そうそうこちらへは来られなかったのですが、旦那様の大学でのご友人である沢木様が、ひと夏、大学のレポートを書くために、こちらへいらっしゃいました。そこで葉月と出会い、恋に落ちたのです」 別所の話に、司佐と昭人は聞き入っていた。そして少しでも嘘がないか耳を澄ませる。 「しかし、沢木様も大企業のご子息で、すでにご結婚も決まっており、葉月と結ばれるはずがありません。二人の間には何もなく、そのまま夏が終わり、沢木様もこの別荘を去られました」 「待ってくれ。どうして二人の間に何もないとわかる?」 司佐の言葉に、別所は微笑む。 「その夏の前半で、葉月は入院を余儀なくされたんですよ」 「あ……」 「それでも沢木様は、熱心に病院へ通われていました。その後、旦那様、沢木様ともに葉月以外の女性と結婚し、葉月は屋敷へ戻りました。ですがそれから数年後、沢木様と葉月はまたこの別荘で再会されたのです。葉月の父親が亡くなったばかりで、情が湧いたのかもしれません」 「じゃあ、本当にコトハは、その沢木って人の……?」 「ええ。でもコトハは自分の父親が誰なのかは知りません。このことは知っている者みんなが口止めされた、タブーなのですから」 司佐は言葉を失い、深呼吸をする。 「確かに……それなら言えるはずもない。相手には家庭があるんだろう」 「はい。しかしその沢木様も、海外の事故で亡くなられたと聞きました。旦那様がコトハを本宅に異動させたのは、親友の子供をせめてもっと近くに置いておこうというお心があったからではないでしょうか。本宅には、年の近いぼっちゃまがいらっしゃるからと申されておりましたし」 別所の話を聞き、司佐は昭人を見つめる。 「おまえはどう思う? 昭人」 「僕は……別所さんがそう言うなら、そうなんだと思う。でも疑いが完全に晴れたわけじゃない。だってみんな亡くなっているのなら尚更……」 「うん……でもこれで一つ胸の突っかかりがなくなった。やはりここへ来てよかったと思うよ。話してくれてありがとう、別所」 そう言って、司佐は立ち上がる。 「いいえ、ぼっちゃま。少しでもぼっちゃまのお役に立てたなら、この別所、幸せにございます」 「大げさだな。じゃあ、そろそろ帰るよ」 「そうですか……今度いらした時はゆっくりなさってください」 「ありがとう。近いうちまた来るよ」 司佐と昭人は、足早に別荘を後にする。 完全に疑問が晴れたわけではないが、別所が嘘をついているとも思えず、一先ずそれで納得した。
東京に戻ると、司佐は高級ホテルへと入っていった。 「本当に、家に帰らないつもり?」 昭人が言った。 「コトハに合わせる顔がない。ちゃんと自分が納得するまで、コトハには会わない」 司佐はそう言って、ベッドに寝そべる。 「わかった。辻さんたちにはそう言っておく。でも、僕だってコトハに顔を合わせづらいよ。まだ完全に疑いが晴れたわけでもないし、コトハの過去を知ってしまったという罪悪感みたいなものもあるし……」 「そう言わずに頼むよ。まあ今日の結果は、どちらにしてもコトハには言えない結果だがな……」 「そうだね。でも、これからどうする?」 「……別所が嘘をついているとは思えない。だが、別所自身が騙されていたということも考えられる。最終手段は、DNA鑑定しかない」 その言葉に、昭人は目を見開く。 「そこまでするの?」 「当然だ。簡易検査ならすぐに結果が出る。これで晴れて違うと言われれば、万々歳でコトハと付き合えるじゃないか」 「そりゃあそうだけど……」 「そうと決まれば、おまえは帰れ。連絡入れているとはいえ、辻が心配している姿が目に浮かぶ」 苦笑する司佐に、昭人は口を尖らせた。 「あのね、司佐。怒られるのは僕なんだからね」 「わかってるよ。埋め合わせはするから」 「じゃあ帰るよ。明日は登校前に迎えに来る。ガードマンもよこすけど、何かあったら呼んでくれ」 「オーケー。でも、コトハは別の車にしてくれ。おつかれ」 「わかった……じゃあ、また明日」 昭人はホテルに司佐を置いて、家へと戻っていった。
家に帰るなり、昭人は辻に怒られたが、昭人を待っていたのは辻だけではない。コトハだ。 「おかえりなさい……」 自分の部屋を開ける音で気付いたのか、隣の部屋のコトハが顔を出す。 「あ、ああ。ただいま……」 コトハの出生の秘密を知り、また必要以上に司佐が避けているため、昭人もまたコトハの顔を直視出来ない。 「司佐様は、ご一緒じゃないんですか?」 「うん。ちょっと用があって、今日は別のところに泊まるって」 「大丈夫ですか? お身体の調子が悪いとか……」 「いや、そんなことはない。大丈夫だよ」 「じゃあ、私……何かしたんでしょうか?」 その時昭人は、コトハが今にも泣きそうなことに気が付いた。 「コ、コトハ」 「だって司佐様、今朝もよそよそしかったですし、車の中でもしゃべらないし、挙句の果てに学校も早退なされて……私、どうしたらいいんでしょう」 どうしたらいいのかを聞かれて、昭人もどうしていいのかわからなくなり、思わずコトハを抱きしめた。 「あ、昭人……」 「うわあ! ご、ご、ごめん!」 昭人はすぐに我に返ると、赤くなっているコトハを見てますます赤くなる。 「いえ……」 「と、とにかく、司佐は大丈夫だ。これから数日は別々に暮らすことになるかもしれないが、ええっと……そう、そろそろ試験があるから、司佐もピリピリしているだけだ。あんまり考え込むな。指輪ももらっただろう?」 必死に宥めるように、昭人はコトハにそう言った。 コトハの薬指には、高価な指輪がはまっている。 「はい……」 「しばらくすれば、元通りになるよ、きっと。だからもう寝ろ」 「わかりました……ありがとう、昭人」 少し元気を取り戻したように、コトハが笑う。 昭人もそれにつられて笑い、やっと自分の部屋へと入っていった。 「はあ……僕もそろそろ、知らないふりは出来ない、かな……」 たった今コトハを抱きしめた温もりが忘れられず、昭人はそっと目を伏せた。
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