コトハを有森家から連れ戻した夜、車の中で、司佐は口を尖らせていた。 「やっぱり油断ならない兄弟だ! 俺への当てつけじゃないだろうな?」 コトハのことが好きだという宣戦布告を二人から受け、司佐の気持ちは完全にぐらついていた。 プレイボーイで名高い二人。貴一は軽いが女性に優しく、扱いにも慣れている。藤二は落ち着いているが、好きとなったら押しまくるタイプである。どちらも美系で、女性に苦労したことはないため、いつコトハが傾くか、気が気でなかった。
数日後――。 「セバスチャン。銀座へやってくれ」 「ぼっちゃん。私は坂木ですってば」 運転手の愛称・セバスチャンが、苦笑して答える。 「いいから銀座だ。宝石店へ」 「宝石店? こんな時間じゃ、どこもやっていませんよ」 「開けさせる」 暴君・司佐の復活だ。司佐はこの年にして、願いが叶わなかったことなど一つもない。 結局、行きつけの宝石店を営業時間外に開けさせた司佐は、コトハとともに指輪を見つめる。 「派手すぎず地味すぎず、この子に合う指輪を」 「ええ? 私、そんな高価な物……」 たじろくコトハに、司佐は息を吐く。 「おまえは俺の恋人だろう。もっと胸を張っていけ」 「は、はい……」 結局、コトハは司佐に高価な指輪を買ってもらった。 「はい。これは俺の愛の証」 帰りの車で、司佐はそう言って、コトハの左手の薬指に指輪をはめる。 「こ、こんな高価な物、どうしたら……」 「仕事や勉強の邪魔になるかもしれないけど、出来るだけはめておけ。俺たちの関係が定着したら、取ってもいい。秘密だと言ったことも、もうなしだ」 「……こんな物がなくても、私は司佐様のものですよ?」 その言葉を聞いて、司佐はコトハを抱き寄せた。 「ハハハ。超可愛い。なあ? 昭人」 「え、僕に振るの?」 甘々な二人の横で、呆れたように昭人が答える。 「おまえも好きな人がいるなら、付き合ってもいいんだからな」 昭人の脳裏に、一瞬コトハが浮かんだが、それを打ち消して笑う。 「いないよ、そんな人」 車は静かに、山田邸へと戻っていった。
家に戻ると、司佐は長椅子に座り、溜息をついた。コトハを大事にしようと思っても、どうしても強気に出てしまい、命令のような形で終わってしまう。また、貴一と藤二の存在も、脅威に感じていた。 「ああ、もう。寝つけないな……」 司佐はそう言うと、読み終わった本を持って図書室へ向かう。 広い図書室だが、興味のある本はほとんど読み古した感じだ。 「そうだ。あの資料、確か親父の書斎で見たんだよな……」 司佐はふと何かを思い出し、父親の書斎へと向かった。
父親の書斎は、あまり入ったことがない。それは、父親がいた頃は入るなと禁じられていたし、面白い物があるわけでもない。 だが大きくなってこの部屋に入ってみると、書斎の本棚には興味をそそる資料がたくさんある。 司佐は読書好きというわけではないのだが、将来、大財閥を継ぐに当たって、小さい頃から英才教育を受けていた。そのため、資料とあらば活字を読むのは苦ではないし、今でも勉強は自主的にしているほど努力していた。 「ん? この棚は……」 ふと、部屋の奥にある棚に気が付いた。鍵が掛かっているが、ガラス窓で中身は見える。 「うわ。あの本読みてえ! ったく、なんで鍵なんか掛けてるんだよ」 司佐は辺りを見回すと、父親の机に向かった。引き出しを手当たり次第に開けるが、そこに鍵らしきものはない。 「となると……」 司佐は机の下に入り、天板の裏を見つめる。するとそこには、目当ての鍵があった。 「やりぃ」 そう言って、司佐は鍵を手に取る。子供の頃にそんな父親の癖というか秘密を知ったのだが、それを覚えていた自分にも感心する。 案の定、鍵の掛かった棚は開いた。 「いい本持ってるじゃん。これと……こっちも借りとくか」 その時、取った本の奥に、封筒があるのに気付いた。 「ん?」 なんの気なしに封筒を開いた司佐は、足元をふらつかせるほどの衝撃を受けた。 封筒の中には、一枚の写真が入っている。そこに写っていたのは、自分の父親と、そして司佐の初恋の人でもあるコトハの母親の通称・鳩子さん、その間には赤ん坊がいた。 司佐の脳裏を、様々な思いが駆け巡る。だが何度考えても、一つの答えしかない。 「まさか……もしかして、コトハは……」 それ以上は言えず、司佐は唇を噛む。 写真から見て、二人の間に好意があることは確実だ。父親は女性の肩を抱き、女性は優しい笑顔を向けている。赤ん坊の正体はわからないが、女の子らしい服装をさせている。司佐の推理が正しければ、きっとコトハであろう。 「……クソッ!」 司佐はもう本など読む気すら失くし、原状復帰をして部屋へと戻った。だが、その疑惑の写真は持って帰り、自らの部屋にある鍵のかかった棚に入れた。父親と同じように――。
次の日の朝。司佐はコトハに起こされた。 「おはようございます、司佐様」 コトハはそう言いながら、司佐の言いつけどおりに、その頬にキスをしようとした。 だが、とっさに司佐はそれを拒み、立ち上がる。コトハのことが直視出来ない。 「す、すみません……お飲み物は?」 「……いらない。先に食堂へ行け。シャワーを浴びたらすぐに行く」 「は、はい」 昨日とは打って変わってピリピリした様子の司佐に、コトハは戸惑いを覚えた。
「……何かあったの?」 学校の教室で、昭人が尋ねた。司佐は口をつぐみ、席を立つ。 「司佐?」 「サボる。先生にうまく言っておいてくれ」 「ちょっと、司佐……」 司佐は教室を出ると、生徒会室へと入っていった。会長である司佐は、自由に出入り出来る。 しばらくして、昭人がやって来た。 「やっぱりここだったのか」 長椅子で寝そべる司佐に、昭人がそう言う。 「なんだ。おまえもサボりか」 「司佐がサボるならね。何があったんだよ。コトハのこと?」 「違う。いや……そう」 昭人は首を傾げた。 「何があったの? 昨日は指輪も買って、あんなに機嫌がよかったのに」 それを聞いて、司佐は静かに胸ポケットを探った。そこには封筒が入っている。もう一度じっくり見ようと、出掛けに持ってきたものだった。 司佐は封筒を開けると、昭人に写真を見せた。 「これは……」 「親父の書斎で見つけた。鍵の付いた棚に、隠すように入ってた。そんなの、答えは一つだろう……?」 「嘘だろ? コトハは……司佐の妹?」 昭人も自分と同じ答えを導き出し、司佐は顔を顰める。 「考えてみると、いろいろ重なるんだ。たとえば、俺も親父もコトハも極度の癖っ毛だろ? コトハの母親はストレートだったし。最初から俺になびかなかった子も初めてだし、本能で俺を避けてたのかも……他にもいろいろ、細かいことばかり目につく」 「司佐……」 「だから惹かれたのかな……あんなに好きな子、運命とまで思ったのに……」 悲しく微笑む司佐に、昭人は胸が締めつけられる思いでいた。 「……命じてくれよ、司佐」 昭人の言葉に、司佐は昭人を見つめる。昭人は真剣な眼差しで口を開く。 「コトハのことを調べろって、僕に命令してくれ」 「昭人……」 「調べたらわかることもあるかもしれないだろう。辻さんたちにそんなこと聞いたって、知ってたって答えるもんか。僕たちだけで調べるしかないだろう」 昭人がそう言ったのは、司佐の命令ならば、学校も堂々と休める権利を持つからだ。 熱い昭人に、司佐は頷いた。 「そうだよな。まだ諦めるのは早いよな。よし、昭人。コトハの出生を調べてくれ」 「わかった。とりあえず、コトハが住んでいた軽井沢の別荘に行ってみるよ」 「そうだな。それが一番早いだろう。俺も一緒に行く」 「司佐も? 僕一人で十分だ」 「居ても立ってもいられないんだ。それに今、コトハの顔を見たくない」 司佐の気持ちを察し、昭人は頷いた。 「わかった。一緒に行こう」 そのまま二人は、学校を早退して軽井沢へと飛んだ。
その日の昼。コトハは食堂で司佐と昭人の姿を探した。だが、いくら探してもいない。 「コトハ」 そこを呼び止めたのは、藤二である。 「藤二様」 司佐から注意を受け、藤二の登場に身構える。 そんなコトハに、藤二は苦笑した。 「傷つくなあ、そんなに身構えられると。それに、様付けは司佐だけにしなよ。貴一と同じでいいよ」 「では藤二さん……司佐様を知りませんか?」 「その司佐様から伝言」 藤二はそう言って、司佐から預かっていたメモをコトハに渡す。 “コトハへ。今日は気分が悪いので、昭人と早退する。藤二にこの伝言を託すから、癪だけど今日のランチは藤二に奢ってもらえ。(おまえに金を渡しそびれていたから、今度小遣いを渡す)学校が終わったら、いつも通りセバスチャンが迎えに来るから、それに乗って帰ること。以上” それを読んで、コトハは藤二を見つめる。 「藤二さん。司佐様も昭人も、どうかしたんでしょうか……」 「さあ。腹の具合でも悪いんじゃない? それより、ランチ何にする?」 「でも、藤二さんに奢っていただかなくとも、お金はあるので大丈夫です」 そう言ってコトハは、小さな財布のチャックを開ける。中には、千円と少しの小銭があるだけだ。 「うーん。残念だけど、ここの食堂、それだけじゃパンと牛乳くらいしか買えないかな」 「じゃあ、あっちのリーズナブルの食堂に……」 その時、コトハは誰かに肩を抱かれた。するといつの間に、貴一がいる。 「貴一。せっかく二人きりになれたのに」 「兄貴を抜け駆けするとはふてえ弟だな、藤二。そんなんだから、コトハに意地張らせるんだよ。コトハ、付いて来い。僕が奢ってやる」 貴一はそう言って、強引にコトハを連れて歩き出す。 「で、ですから、私はパンでも全然構わないです」 「でも、君に奢るって司佐からの指示でしょ? 僕たちが奢らなかったら、後で僕たち、司佐に何されるかわかんないよ? 僕たちが半殺しの目にあってもいいの?」 貴一はうまくコトハを乗せて、そのままランチは続行された。 コトハは、司佐のことが心配だったが、貴一と藤二の存在により、その心配を少しだけ薄れさせてくれていた。
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