静けさが戻った野球場では、美波と千笑が動けずにいた。いざ告白をしようと思っても、シチュエーションから何から、何も浮かばない。 「帰ったほうがいいなら、先に帰るよ」 気を利かせて、千笑がそう言う。しかし、美波は首を振るばかりだ。 「ううん……」 「でも、ここにいても智樹には会えないよ。もしかしたら、すれ違っちゃうかも……」 「うん、ごめん。なんか、何も浮かばない……」 「じゃあ、電話とかで呼び出す?」 「うーん……」 「……とにかく、ここ出ようか」 「うん……」 緊張のし過ぎで何も考えられなくなった美波に、千笑は仕方なく野球場から連れ出した。 千笑にとっては、かつて付き合っていた彼氏に告白しようという美波だが、応援したいという気持ちしかない。それは美波が親友だからということはもちろん、時間が解決した自分の心のけじめがきちんと出来たからだろう。 「……ごめん。今日は無理かも……」 外で待っている間、緊張で落ち着かない美波が、ついにギブアップ宣言をした。 「なに言ってんの。告白なんて、勢いがなくちゃ駄目だよ。それに、帰ったらまた後悔するよ?」 「うん、でも……」 「お疲れ」 その時、幸か不幸か、一足先に田村だけが出てきてしまった。他の部員の姿はまだない。 「田村……」 「来てくれたんだな。千笑からメールもらってさ」 田村のその言葉に、美波は千笑を見つめた。 試合が終わってから、美波が悩んでいる隙に、千笑は田村と会えるよう取り計らっていたのだ。 そんなこととは知らず、美波は突然現れた意中の人物に、何を話しかければいいのか、まったく考えられなくなってしまった。 「あ、私、寄りたいところあったんだ。ごめんね、先帰るわ」 その時、千笑は白々しくそう言うと、不安げな美波の背中を軽く押して、そのまま去っていった。 「そっちはどうだった?」 不可解な千笑の行動に目もくれず、田村が美波にそう尋ねる。 「あ、うん……一応、一種目優勝した……」 美波は目先の質問に正直に答えるものの、これからしなければならないという、一度も経験したことのない告白というものに、思いを馳せる。 「マジ? おめでとう!」 「う、うん、ありがとう。田村も……ついに甲子園だね。おめでとう」 「ありがとう」 田村はそう言うと、一つのボールを差し出した。 「……え?」 「さっきのホームランボール、返してもらったんだ。特に意味はないけどさ……よければもらってよ」 「どうして? でも……」 「なんかさ。打つ瞬間、頭の中に鈴木の声が聞こえてさ……」 少し照れながら、田村が言った。 「え……?」 「まあ勝手だけど、そのおかげでホームラン打てたんだと思うんだ。だから、鈴木にとっては意味不明だろうけど、よかったら受け取ってよ。俺が勝手に感謝してるだけだけど」 美波は震える手を差し出した。するとその手に、田村の手からホームランボールが渡される。感無量で、美波の瞳から涙が溢れ出した。 「な、なに? どうした?」 「ううん。ただ、すごい試合だった……田村、すごかった。大事なボールなのに、いいの? 私なんかがもらっても……」 そう言った美波を、田村は静かに抱きしめた。 美波は、何が起こったのかわからない。ただ、田村の温もりだけは感じる。 「……好きだ」 やがて、田村がそう言った。美波は田村の顔を見上げる。 「……う、そ……」 信じられない思いで言った美波に、田村は抱きしめる手を離す。 田村の顔は、いつもの可愛い笑顔でも、普段話す時の顔でもない。試合中のように、真剣そのものだった。 「田村……」 美波は、それ以上の言葉が出なかった。嬉しさの反面、信じられない気持ちでいっぱいだ。だが、それはすぐに嬉しさに変わる。 「ずっと、気になってたと思う……千笑がいたからって話さない時期もあったけど、それはすぐに後悔した。鈴木と目も合わさなくなって、話もしなくて、どんどん鈴木の存在が大きくなってた……だから今日、絶対甲子園の切符を取って、ちゃんと鈴木に謝ろうって……鈴木に告白しようって決めてたんだ……」 真剣にそう言う田村に、美波は思わず抱きついた。 「私も。ずっと……ずっと好きだったの……」 体の底から搾り出すように、やっと美波はそれだけを口にすることが出来た。 二人は笑い合うと、手を握る。 「一緒に帰ろう」 「うん……」 言葉少なめに、二人は家路を歩き始めた。
その夜、美波は千笑に、報告の電話を入れた。 「うまくいった?」 「うん……ありがとう」 少し照れながら、また少し複雑な気持ちで、美波は礼を言う。 「やっぱりね。智樹も美波のこと、好きだと思った」 「またまた……」 「どうしたの? 嬉しくないの?」 「ううん……ただ、千笑だって関係ないわけじゃないから……」 親友のかつての恋人と付き合うということに、美波は少なからずの抵抗を感じていた。 だが、そんな美波と違い、千笑はすぐに笑い飛ばす。 「なにそれ。私と智樹は、もう関係ないんだって。それにね、私、美波があんなに頑張ってる姿見て、感動したんだよ。私も負けていられないって」 「千笑……」 「私も頑張るから、今度は私のこと、応援してよね」 千笑の言葉に、美波は笑って頷く。 「もちろんだよ。親友じゃない」 「うん。これからも、秘密はなしにしようね。二人だったら、どんな危機も乗り越えられるって思うんだ」 「うん。私も」 二人から、笑顔が零れた。 「これからも応援してるから、頑張って」 やがて千笑がそう言った。美波もすぐに返事をする。 「私だって千笑のこと、応援してるよ」 「うん。私、これから電話してみる。一度ふられたけど、連絡取ってないわけじゃないし、まだ好きだから……もう一度、頑張ってみる」 「うん!」 美波は、そう言った千笑が誇らしいと思った。 二人はこれからも、競い合い、支え合って生きていくのだと、二人は心に誓っていた。
それから数ヵ月後。 「美波。シャーペン貸して」 隣の席の美波にそう言ったのは、恋人となった田村である。 「また忘れたの?」 「あはは……教科書だったら、いつでも貸すけど?」 パンパンになった机の中を指差して、田村が言う。 「いいよ。はい、シャーペン」 「ありがとさん」 「聞いて聞いて、お二人さん!」 そんな二人の間に割って入ってきたのは、千笑であった。 「どうしたの?」 「うふふふ……ジャーン!」 意味ありげに千笑が差し出したのは、携帯電話であった。液晶画面には、開封されたメールが見える。 「好きだ。よかったら付き合おう……って、マジ!」 メールを読み上げて、美波が千笑を見つめる。 「マジ、マジ。最近いい雰囲気だったけど、やっとこんな感じになりました。まあ、前の彼女とはとっくの昔に別れてたみたい。でさ、今度ダブルデートしようよ!」 「いいね、いいね」 興奮した様子の千笑に乗せられ、美波と田村も頷く。 こうして数日後には、美波と田村、千笑とその彼氏のダブルデートが決行された。美波の片手には田村の手が、もう一方の手には千笑の手が握られ、千笑もまた恋人となった意中の彼氏の手が握られていた。
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こうして、私たちの高校生活は、幸せいっぱいのうちに幕を閉じた。 私と千笑と田村、大学はバラバラになってしまうけれど、千笑はこれからも、私にとってかけがえのない親友で在り続けるし、田村はいつまでも、私のヒーローだ。 そして私は、もう迷わない。二人がいる限り、一人じゃないから。 あきらめなければ、いつか叶うことがあるのだと、信じて──。
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