それから一年後。私たちは高校二年生になった。千笑とはクラスが分かれたけれど、私と田村はまた同じクラス。でも、私たちの状況は何一つ変わらない。ただ一つ、私の心だけが、日増しに苦しくなっているだけだ。 どうして……? 理由なんてない。私、田村が好きなんだ……。 そんなことに気付いてる一年間。それでも押し殺すほかなかった、一年間――。
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「美波。今日も部活だよね?」 ある日の放課後。部活へ向かう美波に、千笑が声をかけた。クラスが違っても、親友である美波と、恋人である田村がいるため、千笑は何かといっては美波のクラスに訪ねて来る。 「うん。どうかしたの?」 「ううん。別に……」 そう言う千笑は、どこか元気がないように見えた。 「どうしたの?」 「ううん。たださ、なんかつまらなくって。智樹は残念だったけど、それでももちろん部活だし、美波はもうすぐ大会で忙しいし。私だけ手持ち無沙汰って感じで……」 千笑が言った。恋人の田村は先日、野球の試合に負け、早くも甲子園行きの切符を逃していたことで、最近少し落ち込んでいるようだ。それでも部活は続いているので、どこの部活にも所属していない千笑にとっては、恋人とも親友とも遊べない日々が繰り返されている。 「なに言ってんの。千笑は部活やってないんだから、しょうがないじゃない。それに、他に友達がいないわけじゃないんだし」 「だけど、他の子と美波は違うよ。親友じゃない」 千笑の言葉に、美波は嬉しさと同時に顔を赤らめた。そんな美波を見て、千笑も赤らむ。 「やだなあ、美波ってば。どうしてそこで赤くなんのよ。こっちまで恥ずかしくなるじゃん」 「千笑こそ……っていうか、こんなところで告白はやめてよ」 「あはは。ごめん」 「嘘ウソ。嬉しかった。でも、ごめん。もうすぐ大会あるから、私も頑張らないと。それが終わったら、毎日遊ぼ!」 「うん。困らせる気はなかったんだ。許して……大会まであと少し。それが終わったら夏休みだもんね。頑張ってね!」 「うん、ありがとう。じゃあね」 なおも少し寂しそうな千笑に、美波は心の中で悪く思うも、今は陸上部の大会も近いため、部活を優先させるほかなかった。 美波は千笑に手を振ると、教室を後にした。
グラウンドの一角では、陸上部の部員たちが準備運動をしている。 「じゃあ、行くよ」 「はい!」 「ヨーイ、スタート!」 部長のかけ声で、部員たちが走り出す。ウォーミングアップ兼ねてのランニングだ。その中に、美波もいた。 美波は短距離ランナーで、中学時代にはいくつか賞も獲っている。もうすぐ開かれる陸上の大会にも、出場が決まっていた。美波は自分のペースを保ちながら、学校を出て行った。 ふと、ボールが当たる気持ちの良い音が聞こえた。野球部である。美波の脳裏に、田村の顔が浮かぶ。だが美波は、それを打ち消すように顔を振ると、そのまま走り続けた。
ランニングコースは、学校周辺を数周する。これは、陸上部の日課である。 駅の近くに差しかかった時、美波の足がふと止まった。他の部員もマイペースで走っているので、美波の側には誰もいない。 「千笑……?」 美波はぼそっと呟いた。視線の先には、千笑がいた。千笑は道の反対側を歩いており、美波にはまったく気が付かない。そして千笑の側には、見知らぬ男性の姿があった。相手は私服なので、大学生かフリーターだろうか。親しげな様子で、そのまま駅前のカラオケボックスへと入っていった。 「鈴木。どうしたの?」 状況が飲み込めず、呆然と立ち尽くしている美波に、後から追って来た部活の先輩が話しかける。 「あ、いえ……なんでもないです。すみません」 「大会近いんだから、ぼやぼやしてちゃ駄目だよ。行こう」 「はい……」 美波はそのまま、もう一度走り出した。 (千笑……浮気じゃないよね。ううん。私の見間違いかもしれない。あれは、千笑じゃない……) 美波は心の中で、そうケリをつけた。だが、同じコースを数周するため、駅前を通りかかる度に、千笑の姿を探していた。
放課後。部活の仲間と別れ、美波は帰り道にあるコンビニエンスストアへと足を運んだ。疲れていても、今日は真っ直ぐ帰る気にはなれなかった。 雑誌コーナーで、パラパラとページをめくりながら、美波は千笑のことを思い出していた。 「鈴木」 その時、横から声をかけられた。そこには、部活帰りと思われる、田村の姿がある。 「偶然だな」 「田村……」 田村は美波を横切って、少年誌を手に取った。 「毎日、毎日、暑いよな」 ページをめくりながら、ぼそっと言う田村に、美波も自然と笑みが零れる。 「本当だね。田村、真っ黒」 「おまえこそ」 二人は笑った。田村は見ていたページを閉じると、少年誌を抱えたまま背を向け、その場から去っていった。 美波は居なくなった田村に残念な気持ちになりながらも、見ていた雑誌を眺め続けていた。 するとそこに、買ったばかりの袋を下げて、田村が戻ってきた。その手には、二つ入りのチューブアイスが下げられている。 「アイス食わない?」 「え?」 「もう暗いし、家の方向一緒だろ? 途中まで一緒に帰ろ」 自然なまでの田村の優しさに、美波は頷き、そのまま二人は店を後にした。 一つとなっているチューブアイスを二つに割ると、田村は一つを美波に渡し、歩き始めた。 「マジであっつ……」 汗を拭いながら、田村は美波の一歩前を歩いている。美波はそんな田村の後姿を見つめ、アイスを口にする。 「……何かあった?」 そんな時、田村がそう言って振り向いた。 「え?」 「いや……さっき、怖い顔してたから……」 「……してた? いつ?」 「コンビニで。だからちょっと、気になって……」 美波は言葉を失った。もしかしたら田村は、心配して声をかけてきてくれたのではないか。だがそんな優しさに応えることは出来ない。悩みの原因は、田村の恋人である千笑のことなのだ。もしかしたら千笑が浮気しているかもしれないことなど、田村に相談出来るはずがない。 「あはは……ありがと。でも、大丈夫だよ」 「……そう?」 「うん。ただ、もうすぐ大会が近いから……ちょっとナーバスになったりしてるんだ」 美波の言葉に、田村は理解した様子で、微笑んで頷いた。 「そっか。そういうの、よくわかる。大会いつ?」 「来週の日曜日」 「じゃあ、俺も応援しに行っていい?」 「え?」 その言葉に、美波は驚いた。 「来週の日曜は、試合ないから。部活はあるけど、なんとか行くよ。去年、行けなかったし」 「いいよ、そんなの」 「いいじゃん。千笑と行くよ」 美波は自然に微笑んだ。田村の口から千笑の名を聞くだけで、少し傷付く自分がいる。だがこの一年で、感情を押し殺して笑うのには慣れてしまった。 「うん。ありがとう……」 夕暮れの街を、二人は静かに帰っていった。
夜。美波は宿題を終えると、ベッドに寝そべった。どうしても離れない、田村の顔。そして千笑の姿。千笑の様子が気になって仕方がないが、美波はそのまま目を閉じ、今後どうしたらいいのかを考えた。 「もう嫌だ。ヤバイよ、ホント……どうして? 頭から離れない……」 脳裏に浮かぶ田村の顔を振り切るために、美波は集中して他のことを考えようとした。しかし、他に思い出すことといえば、千笑のこと。見知らぬ男性とは、どう見ても恋人同士のように見えた。男女のことに疎い美波には、恋愛や浮気など、すでに脳内のキャパシティーを超えている。 その時、部屋のドアがノックされた。と、同時に、声が聞こえる。 「美波。お母さんから、洗濯物」 三歳年上の姉の声である。 美波がドアを開けると、両手一杯に洗濯物を抱えた姉が立っていた。 「ごめん、お姉ちゃん」 「いいよ。じゃあね」 「あ、お姉ちゃん。ちょっと……相談があるんだけど……」 首を傾げた姉を部屋に引き込むと、美波は思い切って口を開いた。 「なによ。どうしたの?」 「あのね……今日、彼氏がいる友達が、彼氏じゃない男の人と歩いてるの見かけちゃったの。これって、浮気かな……」 ためらいながらも言った美波に、姉は天井を見上げて考えた。 「その友達って、もしかして千笑ちゃん?」 「ち、違うよ!」 「へえ。あんたも千笑ちゃんのほかに、友達いるんだ」 「うるさいなあ。もういいよ」 からかい半分の姉に嫌気が差して、美波は口を尖がらせ、ふてくされた。 「ごめん、ごめん。まあ、一概に浮気とは言えないんじゃない? 私だって男友達と二人で会うこともあるし。しばらく様子を見てたらいいじゃない。その彼氏とは、端から見てうまくいってるんでしょ?」 「……うん。たぶん」 「じゃあ、いいじゃない。あんたが口出すことじゃない」 その言葉に、美波は押し黙った。確かに自分がしゃしゃり出ては、余計に混乱させるのではないかと思う。 「うん……」 「まあ、そんなに気になるなら、直接聞いてみたらいいじゃない。友達なんでしょ? 案外、単純なことかもよ。そんなことより、あんたの恋愛はどうなのよ」 「その話、今関係ない」 「あるある。あんたももう年頃でしょ。彼氏の一人や二人作らないと、お母さんも心配するよ。お父さんは反対するかもしれないけど」 苦笑して、姉が言う。 「お姉ちゃんに言ったのが間違いだった……」 「なによ、それ」 「ううん……おかげで少し楽になった。ありがとう、お姉ちゃん」 「いいよ。じゃあ、おやすみ。早く寝なさいよ。大会近いんでしょ」 「うん。ありがとう……」 姉はそう言うと、美波の部屋を出て行った。美波はベッドに寝そべると、目を閉じた。姉の話は参考になったのかはわからない。だが、しばらく様子を見ようと思った。 「そうだよ。あの二人はうまくいってるじゃない。田村のことも、意識しないって決めたじゃない。一年間やってこれたんだもん。大丈夫……田村は野球部エース。カッコ良く映ってるだけ……きっとみんなだって、そうだよね……?」 自問自答するように、美波は何度も頭の中でそう言い聞かせた。
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