女の子の恋のパワーは、時に何でも叶えられそうな、果てしない力だと思う。願えばすべてが叶うような、迷いを吹き飛ばして背中を押してくれる、不思議な力……。
東京のとある喫茶店。一人の少女が、パラパラと雑誌をめくっている。しばらくすると、そのうちの一ページに釘付けになる。こちらを睨みつけるかのような、少年のアップ写真であった。 「やっぱりカッコイイよ……」 小さな声で少女が言った。その時、腕に付けていた時計が目に入る。 「ヤバイ。そろそろ行かなきゃ……」 少女は足早に、喫茶店を出て行った。そしてその足で、近くのビルへと入ってゆく。すでに溢れんばかりの少女たちが、列を作っていた。 「オーディション会場はこちらです。受付を済ませた方から、順番に中へと進んでください」 そんな声が聞こえる。ビルの入口には“POMプロダクション・モデルオーディション会場”と書かれている。 少女も、そんなモデルのオーディションに参加する一人だ。ここにいる少女たちは、みんな背が高く、すらりとしている。少女も負けじと背筋を伸ばして、受付の順番を待った。
「では、七十一番から八十番の方、中へお入りください」 そんな声が聞こえ、八十番の番号をつけた先程の少女が、少女たちの列について、一室へと入っていった。 「それでは順番に、お名前と年齢、応募の動機を教えてください」 審査員の言葉に、少女たちがハキハキと答えてゆく。場慣れしている少女も多いようだ。そんなことを考えていると、すぐに少女の番になった。 「い、石川理恵。十五歳です」 少し震える声で、少女が言った。石川理恵。この物語の主人公である。 「応募の動機は?」 審査員が尋ねる。 「応募の動機は……背が高いことと、友人に勧められたことと、それと……」 理恵が、言葉を濁して言いかける。 「それと?」 それに続いて、審査員が尋ねてきた。 「それと、ファンのモデルさんがいるので、応募してみようと思いました」 ミーハー心剥き出しで言ったので、他の少女は呆れ気味だった。審査員は、社交辞令のように尋ねた。 「そうですか……そのモデルさんというのは、うちの事務所の人間ですか?」 「はい……」 理恵が正直に答える。 「その方とは、どなたですか?」 「……諸星鷹緒さんです」 理恵はそう言った。理恵には憧れている人がいる。その人に近付くために、理恵はこのオーディションを受けたのだった。 そんな理恵の言葉に、一人の審査員が大きく微笑んだ。 「鷹緒のファンか」 その審査員が、静かにそう言う。その前には“カメラマン・三崎晴男”と書かれていた。
その後、様々な審査が終わると、理恵は後悔していた。オーディションのガイドブックで、少なからず予習はしてきた。その中に、ミーハーな部分を公表するのはNGと書かれていたのを思い出す。理恵は溜息をついた。 その時、一人の男性がやって来た。 「只今より、審査結果を発表します。呼ばれた方は、そのまま残ってください。一番、十二番、十三番、二十八番……」 次々に、少女たちに与えられた番号が読み上げられてゆく。 「七十七番、八十番……」 その時、理恵がハッと顔を上げた。自分の手には、八十番のゼッケンが握られている。審査員の前で失敗したと思っていた理恵は、確実に落ちたと思った。空耳ではないかと思った。 「以上、呼ばれた方は残ってください。それ以外の方、お疲れ様でした」 放心状態で、理恵はその場に立っていた。 「ああ、君」 そこに、理恵に声をかけたのは、先程の審査員だった。カメラマンの三崎である。 「おめでとう」 「あ、ありがとうございます……なんだか信じられなくて……」 理恵が言う。 「ハハハハ。まあ君の勝因は、審査員に僕がいたことと、鷹緒のファンだって正直に言ったことだね」 気さくにそう笑う三崎を、意味がわからずに理恵が見つめる。 「えっ……?」 「あいつは僕の弟子なんだ。僕はここのプロダクションと組んで、いくつか雑誌を出させてもらっていてね。鷹緒にも、社会勉強としてモデルをやらせてる。しばらくすれば、きっと会えるよ」 首を傾げている理恵に、三崎が言った。 「受かった方は集まってください」 その時、そんな声が聞こえ、理恵はハッとした。 「早く行っておいで」 三崎の言葉に、理恵は深々とお辞儀する。 「ありがとうございました!」 溌剌と礼を言って、理恵は少女たちの群れについていった。
数週間後。オーディションに受かった少女たちは、毎日のように、モデルとしての心得から、基礎レッスンを受けている。晴れてモデル事務所と契約を結んだ理恵だが、憧れのモデル・諸星鷹緒に会うことはなかった。 「おかしいなあ」 ストレッチをしながら、理恵が呟く。 「どうしたの?」 隣でストレッチをしている同期の少女が尋ねた。すでに同期の何人かは、雑誌の仕事を始めていた。この少女も、その一人である。 「ううん。憧れてる人が、この事務所に所属してるはずなんだけど、毎日のようにレッスンに通ってるのに、丸っきり会わなくて……」 「ああ、諸星さん?」 「……なんで知ってるの?」 驚いて、理恵が尋ねる。 「だってオーディションの時、そう言ってたじゃない」 「え……」 「私、七十七番。同じグループよ」 「そうだっけ! 緊張して覚えてなかった」 「あはは。こっちは強烈だったから覚えてるよ」 少女の言葉に、理恵が俯く。 「やっぱり……強烈だった?」 「うん。タブーじゃん。あんなにミーハーさらけ出すのなんて」 「もう言わないで。後悔してるんだから……ああ、でもあの言葉のお陰で、受かったみたいだからな……」 理恵が、しょんぼりしながら言った。 「へえ。まあ、そんなに焦ることないんじゃない? 本格的にデビューしたら、すぐに会えるわよ」 「そうかなあ……もう、自信失くしてきた」 「石川」 そこに、事務員の一人が声をかけた。 「はい」 「おめでとう。おまえのデビュー、決まったぞ」 事務員の言葉に、理恵は飛び上がる。 「本当ですか!」 「ああ。まずはティーン向け雑誌のモデルだ。まあ、うちが手掛ける雑誌だから」 「やった!」 全身で喜ぶ理恵の様子に、一同も笑った。
それからしばらくして、基礎訓練を終えた理恵は、事務所と正式契約を結び、何誌か仕事を請けるようになり、本格的にモデルとして活躍することとなっていた。 「はい、ファンレター。この頃多いね」 「ありがとうございます」 事務員からファンレターを受け取りながら、理恵が微笑む。 「おはようございます」 突然そんな声が聞こえ、一同は振り返る。そこに現れた人物に、理恵は言葉を失った。 そこには、今までずっと想い続けてきた憧れの男性モデル・諸星鷹緒がいる。背が高く、ラフな格好だが、良く着こなしているように見える。眼鏡を掛けているので、知性的にも見えた。 あまりに突然のことで、理恵は何も言えないまま固まっている。そんな理恵の横を、鷹緒が横切った。 「ああ、おはよう、諸星君。珍しいね、どうしたの?」 理恵には目もくれず、事務員が鷹緒に声をかける。 「はあ。これ、三崎さんから預かり物です」 そう言って、鷹緒が大きな封筒を差し出した。 「ああ、急ぎのやつだね。わざわざありがとう。三崎さんはどう?」 「相変わらずですよ。じゃあ、スタジオ戻らなきゃならないんで」 「そうか。ありがとう」 事務員の言葉に背を向け、鷹緒は理恵を見ようともせず、去って行った。 「ま……待って!」 理恵はやっと我に返ると、鷹緒の後を追い掛けた。 「待ってください!」 事務所の廊下で、理恵は鷹緒を呼び止めた。 「待ってください。あの……」 面識のない理恵に、鷹緒は何も言わず、不思議そうに理恵を見つめている。 「あの、諸星鷹緒さんですよね?」 やっとの思いで、理恵が尋ねた。 「……え?」 鷹緒が聞き返す。 「私、石川理恵です。先月から所属モデルになりました。よろしくお願いします」 「ああ、どうも……」 溌剌とした理恵の言葉に反し、鷹緒はそっけない様子で、軽くお辞儀をする。 理恵は負けじと言葉を続けた。 「あの。BOYS&GIRLSの専属モデルやられてますよね。毎号買ってます、ファンなんです! よろしくお願いします!」 必死な様子の理恵の言葉に、鷹緒が小さく苦笑した。しかしその顔は、理恵の心に刻まれるように、素の諸星鷹緒という気がした。 「ありがとう……」 鷹緒はぶっきらぼうにそう言うと、事務所を後にしていった。理恵はそのまま、事務所へと戻っていく。 「そうか。石川さん、諸星君のファンだったんだよね」 戻って来た理恵に、事務員が言った。 「そうですよ。覚えててくださいよ。やっと会えたのに……」 理恵が、少し膨れっ面で答える。 「そうか。ごめん、ごめん」 「でも諸星さん、あんまりここへ来ないんですね。私は毎日のように来てるのに、今日初めて会ったんですよ」 「ああ、彼は三崎さん直属の部下だからね。専属モデルではあるけれど、ちょっと特殊な扱いなんだよ」 事務員が言った。 「三崎さんって……カメラマンの?」 「そう。うちの事務所は、三崎さんと提携しているんだけど、諸星君はもともと三崎さんのカメラマン助手でね。でも、あのルックスだし、撮られる側の勉強として、三崎さんの雑誌でモデルとしても活躍しているわけだよ」 「へえ。そんな複雑な事情が……」 「まあ、彼に会いたければ、三崎さんに撮ってもらえるようなモデルにならないとね」 「ハイ、頑張ります!」 気合を入れて、理恵が言った。
数日後。理恵はとある写真スタジオへと向かっていった。三崎晴男が経営する写真スタジオだ。街で見かける写真屋のように、店の前には一般人の写真が飾られている。 理恵は意を決して、中へと入っていった。ミーハー心でこの世界にまで入った理恵は、逸る気持ちを抑え切れず、どうしても早く鷹緒に近付きたかった。 「すみません……」 中に入ると、綺麗な受付はあるが、誰もいない。少しして出て来たのは、理恵と年が近そうな少年であった。 「いらっしゃいませ」 少年が言った。 「あ、あの……諸星鷹緒さん、いらっしゃいますか?」 意を決して、理恵が尋ねた。 「え?」 「どうしても会いたいんです。あ、私、POMプロダクションの専属モデルで、石川っていいます。この間も、諸星さんにはお会いして……」 その時、眼鏡を掛けた制服姿の少年が入ってきた。諸星鷹緒である。 「鷹緒」 「ヒロ。珍しいじゃん。受付ボーイ?」 少年に対し、鷹緒が気さくにそう声を掛けた。 「しょうがないだろ。今、誰もいないんだ……って、その顔どうしたんだ?」 ヒロと呼ばれた少年が、鷹緒の顔を見て言った。鷹緒の片方の頬は赤く染まり、引っかき傷がある。 「ちょっと、ね」 「モデルが台無しじゃん」 「ほっとけ。モデルじゃねえし」 鷹緒はそう言うと、さっさと奥へと入っていってしまったので、理恵は話し掛けるタイミングを失っていた。 「……話し掛けられなかったみたいだね」 「あの……あなたは、諸星さんと仲が良いんですか?」 少年の言葉に、理恵が尋ねる。 「いや。べつに、同じバイト仲間ってだけだよ。ああ、紹介が遅れました。僕は三崎スタジオの広報・事務系バイトをしてる木村広樹です。みんなからはヒロって呼ばれてる。よろしくね」 広樹と名乗った少年が、優しい笑顔そう言った。 「あ、私は石川理恵です……諸星さんのファンで、POMプロに入ったんだけど……」 理恵がそう言った時、三崎が入ってきた。 「三崎さん、遅いっすよ。ちょっと出掛けるって言って、いつまで出掛けてるんですか」 すかさず広樹が言う。 「ごめんごめん。あれ、君は……」 三崎が、理恵を見て言った。面識はあるが、何処で会ったかまではわからない様子である。 「あ、POMプロダクションの石川理恵です」 「ああ、鷹緒ファンの子ね。覚えてるよ。その後どう?」 気さくに三崎が話しかける。 「はい、何誌か出させて頂いていて、毎日モデルの勉強中です」 「そうか。ここにいるってことは、早速行動開始ってところかな?」 見透かすように、三崎が言った。 「ああ、はい……」 「よし。じゃあ、ついておいで」 「え?」 三崎の言葉に、理恵が怪訝な顔をする。 「今から十分間のカメラテストしよう。もしその十分で、僕が君を使いたいと思わせれば、僕の雑誌で使ってあげるよ」 「三崎さんの雑誌って……」 「そうだな……まずはBOYS&GIRLSってのは、どう?」 BOYS&GIRLSという雑誌は、鷹緒も出ている、理恵の憧れの雑誌の一つである。 「お、お願いします!」 意気込んで理恵が言った。 「よし。じゃあこっちにおいで。ヒロ、店閉めていいよ」 「え? でも、まだ……」 三崎の言葉に、広樹が言う。 「店主がいいって言ってるんだ。今日は従業員も客も少ないし。もう終わり」 「はいはい。了解です」 苦笑しながらも、広樹は早速、店じまいの準備を始めた。
店の奥には、広いスペースのスタジオがあった。中では鷹緒が一人、機材を整理している。 「鷹緒。撮影の準備して」 「はい」 三崎の言葉に、鷹緒は慣れた様子で機材を並べてゆく。 「紹介しておくよ。POMプロの新人モデル、石川理恵ちゃん」 三崎が、理恵を鷹緒に紹介した。 「ああ、どうも……」 相変わらずそっけなく、鷹緒が言った。あまりのそっけなさに、理恵は戸惑うばかりである。 「こんばんわー」 そこに元気よく入ってきたのは、一人の少女と広樹である。少女は中学生と見られるが、背が高く、すでに少なからずの色気もあるように見える。 「茜。来たのか」 「今日は仕事、早く終わるって言ってたから。見学してっていいですか?」 三崎の言葉に、少女が答えた。 「どうぞ。すぐに終わるから。終わったらメシでも食いに行こう」 「うん。それが狙い。あ、鷹緒さーん!」 少女が鷹緒に手を振った。鷹緒は苦笑すると、ペコリとお辞儀をする。 理恵が見ている限り、少女は見た目にも、三崎の娘だろうと思った。事実、少女は十三歳になる三崎の一人娘・三崎茜であった。 それからすぐに撮影が始まった。憧れの鷹緒もいる中、大御所といわれる三崎にカメラテストをしてもらうのもプレッシャーがある。緊張してガチガチになりながらも、理恵はカメラの前に立った。 「じゃあ、そこに立って、好きなポーズして」 三崎の言葉に、理恵は真っ赤になりながらも、腹を決めてポーズを取り始める。 スタジオには、三崎と鷹緒、広樹と茜の四人の観客がいる。十分間の撮影で、運が良ければ、また鷹緒に一歩近付ける。無心になりながらも、理恵は必死になっていた。 理恵の脳裏には、今まで穴が開くほど見てきた、鷹緒のモデルとしての表情があった。時に挑戦的であり、寂しげであり、何か深いものを感じる鷹緒の表情に、いつも釘付けになる。そんな鷹緒の顔を思い出しながら、理恵はカメラテストを受けていた。 「よし、十分だ。これで終わり」 しばらくして、三崎が微笑みながら言った。 あまりの緊張に不完全燃焼といった感じで、理恵が不安気な顔をする。そんな理恵に、三崎が近付いた。 「君、よっぽど鷹緒が好きなんだね。あいつを撮ってるみたいだったよ」 「え?」 三崎の言葉に驚いたのは、理恵と鷹緒であった。 「まあ、現像してから決めるから、答えは後日でいいかな」 そう言った三崎に、理恵は頷くだけで精一杯だ。 「よし、じゃあみんなでメシ食いに行こう」 「やった。鷹緒さんも?」 茜が鷹緒の腕を掴んで言う。 「え、いや、俺は……」 「たまには付き合えよ。おまえのファンだって女の子が二人もいるんだ。ファンは大事にしろよ」 乗り気でない鷹緒に向かって、三崎が言う。 「あれ。鷹緒さん、その傷どうしたの?」 その時、茜が鷹緒の頬の引っかき傷を見て尋ねた。 「いや、ちょっと……」 「へえ。おまえも隅には置けないね。僕も若い頃は、そういう傷をよくつけてたもんだよ。彼女と喧嘩でもしたか」 三崎が、からかうように言う。 「ええ! 本当なの、鷹緒さん。そういえば、傷のところにマニキュアついてる!」 ふくれっ面をしながら、茜が過剰反応する。 「ん、まあ……」 苦笑しながらバツが悪そうに答えた鷹緒に、遠くから見ていた理恵も傷付いていた。 「まあ、いいことだ。なんでも若いうちに経験しておけよ。じゃあ行こう。理恵ちゃんも行けるよな?」 理恵の肩を抱いて、三崎が尋ねてきた。 「私も? いいんですか?」 「もちろんだとも。これも何かの縁だ。よし、みんなで行くぞ」 豪快に笑いながら、三崎は店を出て行った。それに続いて、理恵たちもついていくのだった。
近くの小料理屋に向かった一同は、三崎と茜、広樹と鷹緒と理恵が並ぶ形で座った。理恵は、鷹緒の隣で少し緊張している。 そんな中で、一同は食事を始めた。気さくな三崎親子を初めとし、理恵も溶け込むように会話を弾ませることが出来たが、肝心の鷹緒とは、ほとんどしゃべることが出来なかった。
数時間後。すっかり遅くなった一同は、小料理屋を出ていった。 「ごちそうさまでした」 一同が、奢ってくれた三崎に言う。 「どういたしまして。じゃあな。理恵ちゃんは、どっちかがちゃんと駅まで送り届けろよ。送り狼にはなるなよ」 「ハハハ。はい」 三崎の言葉に広樹が答えると、三崎親子は去っていった。 「じゃあ、鷹緒。理恵ちゃん、おまえが送っていってくれよ」 振り向きざまに、広樹が言った。 「え、俺? でも、俺んちすぐそこ……」 「いいじゃん。いつも三崎さんが言ってるだろ。ファンサービスは大事だって。じゃあな」 広樹は気を利かせるようにそう言うと、足早に去っていった。理恵は、広樹の気遣いが素直に嬉しかった。 去っていく広樹を尻目に、鷹緒が理恵に振り向いた。 「……家、何処?」 諦め半分で、少し歩き始めながら鷹緒が尋ねる。理恵は、憧れの鷹緒と二人きりというシチュエーションに嬉しさを噛み締めながら、鷹緒について歩いてゆく。 「事務所の近くです。先日、単身で越してきたばかりで……」 「え、一人暮らし?」 驚いたように、鷹緒が尋ねる。 「はい」 「高校は?」 「あ……辞めたんです」 「へえ……そう」 それ以上は何も話さず、二人は少し沈黙になった。それを破って、理恵が話し始める。 「あ……私、ドンくさくて友達も少なくて、いつもいじめられてたんです……そんな時、BOYS&GIRLSの諸星さんを見つけたんです。それで、釘付けになって……」 理恵の話を聞きながら、無言のまま、鷹緒は歩き続けていた。 「……こんなこと初めてだったんですよ。一目惚れみたいな感じ……それで、何もしないままじゃ、ただのファンだって思って……私、やりたいことも見つからなかったけど、高校生活に満足してなかったんです。だから、思い切って高校辞めて……」 堰を切ったように、理恵は話を続ける。 「後には引けない状況で、新しく生まれ変わろうと思ったんです。諸星さんの後を追いかけて、モデルになろうって……迷惑かもしれないけど、いじめられて光も見えなかった時に、私は諸星さんに助けられたんです。憧れてました……」 告白のような台詞だった。理恵は、鷹緒の横顔を見つめた。鷹緒の掛けている眼鏡が、鈍く光っている。 「……会ってみて、がっかりしたろ?」 しばらくして、苦笑しながら鷹緒が言った。 「え? いえ!」 理恵が大きく否定する。 「……俺、会ったこともないのに好きとか言われるの、嫌なんだ……」 突然、鷹緒がそう言ったので、理恵は傷付くような感覚を覚えた。 「あ……あの、すみません」 「……なんか今日思ったんだけど、俺って自分から告白したことも、別れたこともないなって思って……まして一目惚れとか、理解出来ない」 呟くように言った鷹緒に、理恵は鷹緒の頬の傷を目にした。 「……その傷、彼女が?」 「んー……なんにしても、昔からあんまり恋愛とかに興味なかったかも。ファン心理とかもよくわからないんだよな。どうせ新しいものを好きになったら、それで終わりの関係だろ?」 鷹緒の言葉に、理恵は鷹緒の考えを少し理解していた。 「そんなことないです。そういうファンだけじゃないと思う……それに、一時期だけでも自分のことを好きになってくれたって事実だけで、元気が出るんじゃないのかな……私は少なくともそうです。こんな私でも、もうファンレターくれる人がいるんです。嬉しかったです」 そう言った理恵に、鷹緒も理恵の考えを理解した。 無表情に似た鷹緒の顔が、思わずほころぶ。そんな鷹緒の笑顔を見て、理恵は心から嬉しくなった。 「笑った!」 「うるせー……でもちょっと、そうかもって思った」 鷹緒の素直な一面を見ることが出来て、理恵も満面の笑みを見せる。その時、駅が見えてきた。 「あ……今日はありがとうございました」 別れるのが惜しかったが、素直に理恵は礼を言った。 「いいえ」 鷹緒も少し打ち解けてきたようで、真っ直ぐに理恵を見つめて答える。 「もし、これから仕事とかで会うことがあったら、またよろしくお願いします!」 溌剌と言いながら、理恵はお辞儀をする。そんな理恵に、鷹緒も静かに微笑んだ。 「こちらこそ……気をつけて帰れよ」 「はい。じゃあ、おやすみなさい」 理恵は改札へと向かっていく。 少し鷹緒に近付けたこと、鷹緒の一面が見られたことに、大満足である。また憧れに一歩近付いた気がした。
それから数日後。理恵のもとに、モデル事務所から一本の電話が入った。それは、先日の三崎のカメラテストに合格したという知らせだった。モデルとしても一歩前進であり、憧れの鷹緒に会う機会も増えるということで、理恵は飛び上がるほど喜んだ。 そして、その機会は思いのほか、早く訪れた。三崎が手掛ける雑誌の撮影日がやってきたのである。三崎の雑誌への新人起用としては、理恵が最短であった。それは、理恵が体当たりでぶつかっていった成果だと自負する。 「おはようございます!」 まだスタッフがパラパラとしかいないスタジオに、意気込んで理恵が入っていった。まだ入り時間の一時間前である。 「早いじゃん」 突然、理恵の後ろからそんな声が聞こえ、理恵は振り向いた。すると、そこには鷹緒が立っている。 「諸星さん!」 「時間、間違えたの?」 鷹緒が尋ねる。 「う、ううん。気合入れて、早く来たんです」 理恵が答えた。鷹緒の自然なまでの接し方に、理恵は自然と舞い上がってしまう。 「ふうん……でも、まだ準備も出来てないよ」 「そうみたいですね……た、鷹緒さんは?」 思い切って、理恵は鷹緒のことを名前で呼んでみた。鷹緒の表情は変わらない。 「俺は三崎さんの現場では助手も兼ねてるから。大体、モデルのほうが副業……」 「諸星君! 早く来て!」 そこに、鷹緒がスタッフに呼ばれる。 「はい! じゃあ、邪魔にならないところにいろよ」 スタッフに混ざって準備を始める鷹緒を、理恵は遠くから見つめていた。 撮影が始まると、理恵と鷹緒は同じ立場のモデルであった。同じ場所にいる機会もあり、理恵も張り切るのだった。
それからというもの、理恵は鷹緒と現場が重なるたびに、積極的に話し掛けていった。そんな理恵に、同性のモデル仲間は疎む人もいたが、理恵の鷹緒への情熱が薄れることはなかった。 ある日、理恵は三崎のスタジオへと向かっていった。今日はそこでの撮影である。 スタジオではすでに、鷹緒が機材のセッティングなどの仕事をしている。こんな時には、話し掛けられる雰囲気ではない。理恵は仕方なく、先に楽屋へと向かっていった。 「鷹緒。なんか、おまえ宛に宅急便来てるぞ。邪魔だから休憩になったらなんとかしてくれよ」 仕事を続けている鷹緒に、広樹が事務所から顔を出して言った。 「俺に?」 ちょうど自分の仕事に一区切りついたところだったので、鷹緒は事務所に顔を出した。事務所には、大きな段ボール箱が一つ置かれている。 「なんだ? これ」 職場に届いた自分宛の宅急便に、鷹緒は首を傾げる。 「さあ。差出人は、モデル事務所からみたいだけど」 広樹の言葉に、鷹緒は段ボール箱を開けた。すると、中にはぎっしりと、手紙と見られる色とりどりの封筒が入っている。 「ああ、なんだ。ファンレターか。相変わらず、おモテになるようで」 からかうように広樹が言う。鷹緒は大きな溜息をついて、段ボール箱を持ち上げた。すると、底が抜けて手紙が床に傾れ出てしまった。 「げっ!」 「アハハ。なにやってんだよ」 二人は仕方なく、散らばった手紙を拾い始める。そんな鷹緒の目に、一つの手紙が目に入る。差出人に、石川理恵と書かれていた。鷹緒は無意識に、手紙を開ける。 『諸星鷹緒様。はじめまして。私は石川理恵といいます。私は十五年間、特に面白いこともなく、夢もなく、親の言う通りに生きてきました。ずっといじめにも遭ったりして絶望的な時に、あなたの出ている雑誌に巡り合いました。その時から、鷹緒さんのことが好きになりました。私はもうすぐ高校を辞めて、モデルのオーディションを受けようと思います。落ちても諦めません。あなたが私を救ってくれたから、あなたと同じ道を夢見ています。憧れのあなたに、一歩近付きたいと思っています』 「おい、鷹緒。読んでないで、おまえも拾えよ」 広樹が言った。それに構わず、鷹緒は手紙を見たまま思わず笑う。理恵の素直な文章だった。なにより、自分が雑誌に出たことで人の救いになったのかと、鷹緒は信じられない思いをしながらも、嬉しさを感じていた。 「なに? なにが書いてあるんだよ」 笑っている鷹緒に、広樹が怪訝な顔をして尋ねる。 「いや……結構、嬉しいもんだなって思ってさ……」 鷹緒はそう言って立ち上がった。 「ヒロ。悪いけど、俺もう行くよ。段ボールは邪魔にならない所に置いといて。帰りに持って帰るから」 手紙をかき集めて段ボールに入れると、鷹緒はそのままスタジオへと戻っていった。 「鷹緒」 鷹緒がスタジオに戻るなり、着替えを終えた理恵が声を掛けた。だいぶ現場にも鷹緒にも慣れてきたので、冗談交じりにそう呼んでみる。 「呼び捨てにすんなよ」 そう言うものの、鷹緒は強い口調ではない。 「なんとなく、呼んでみただけ」 少し照れながら、理恵がそう言った。鷹緒は、急に押し黙る。 「……怒った?」 そんな鷹緒に、理恵が不安そうに言う。鷹緒は苦笑して、理恵を見つめた。 「付き合おうか」 突然、鷹緒がそう言った。 「え!」 理恵は驚きつつも、その後の言葉を求める。 「おまえ、すごい勢いなんだもん。いいよ。俺でよければ、付き合っても」 鷹緒の言葉に、理恵は口に手を当てた。 「嘘……」 「……嫌ならいいけど?」 意地悪そうに、鷹緒が言う。 「やだやだ! いい。もちろんいい。嬉しい!」 慌てて理恵が言った。そんな理恵に、鷹緒が吹き出す。鷹緒が、今までになく無防備な笑顔を見せた。 幸せを噛み締めながら、理恵は目の前にいる鷹緒を見つめた。晴れて恋人となった二人は、これから二人だけの愛をあたためていく……。
恋の力は不思議な魔法。願い続けた夢。憧れから、恋が叶った瞬間……ひとつの恋のカタチ。
|
|