学校が終わると、真っ先にアルバイト先のファミリーレストランへ向かう。そんな日常を繰り返しているのは、この物語の主人公・竹脇亜由美だ。 高校一年生の亜由美は、進学と同時にアルバイトを始めた。そこで巡り合ったのが、二十三歳のフリーター、森誠司である。亜由美の恋の相手だ。 「おはようございます!」 元気な挨拶で、亜由美はファミリーレストランのロッカールームへと入っていく。 「おはよう。今日も元気だね」 そうしていつも出迎えてくれるのが、森であった。 森は長年の経験があり、アルバイトながらもチーフを任され、スポーツマンのように爽やかな笑顔が、いつでも印象的である。 亜由美と森は、入り時間がよく合うため、話す機会も多かった。 「亜由美ちゃん。来月からメニューが変わるらしいんだ。そこにあるから、見ておいてくれってさ」 「ええ! また覚えなきゃいけないんだ……」 森の言葉に、素早く支度を終えた亜由美が言う。 亜由美はさりげなく森の目の前に座ると、新メニューを広げた。 「美味しそう。おなか空いてきちゃった」 「あはは。学校終わって駆けつけてるんだろ? そりゃあおなか空くよね。ああ、僕、パン持ってるから、よかったらどうぞ」 そう言いながら、森はバックから菓子パンを差し出した。 「え、でも、いいんですか?」 「うん。昼食べようと思ってた残り。たくさん買って余ったものだから大丈夫だよ。これでよかったら」 「ありがとうございます。いただきます!」 亜由美はそう言って、菓子パンを開ける。 だが、森の視線を感じ、亜由美はパンを差し出した。 「……食べます?」 「ハハハ。じゃあ、ちょっとだけ。人が食べてるの見ると、食べたくなるよね」 「あはは。わかります」 こんな他愛もない時間を、亜由美は幸せに感じていた。
バイトを終えると、亜由美はゆっくりと帰り支度を始める。森のほうが遅くまでバイトしているため、帰りは一緒ではない。そのため、出来るだけ会う機会を増やそうと、亜由美はいつもゆっくり支度をしていた。 「おつかれさまです」 そこにやって来たのは、同じ年のバイト仲間、浅沼真里だ。いつもお洒落に決めている真里は、学校は違うものの、同じ年でバイトの時間も合うことが多いため、亜由美とも仲が良い。 「真里ちゃん、おつかれさま。聞いた? 新メニューの話」 亜由美が尋ねる。 「ああ、来月から変わるみたいだね。こっちの苦労も知らないで……」 「あはは。本当にね」 「そういえば、森さんのこと聞いた?」 「えっ?」 真里の言葉に、亜由美は首を傾げる。 「森さん、ここ辞めちゃうんだって」 それを聞いて、亜由美は目を丸くした。 「えっ……ど、どういうこと?」 「なんかさっき、裏で店長と話してるの聞いて……」 「き、聞いてない!」 顔面蒼白といった表情で、亜由美は思わず店内へと飛び出していった。 「森さん!」 亜由美が、厨房にいる森を呼ぶ。 「亜由美ちゃん?」 怪訝な顔をして、森が顔を出した。 「本当ですか? ここ辞めちゃうって!」 それを聞いて、森は苦笑した。 「情報早いなあ。誰から聞いたの?」 「……本当、なんですか。なんで……?」 「うん……いい加減、遊んでるわけにもいかないし。大学出てフラフラしてたけど、そろそろ就職しなくちゃいけなくてね。実家帰って、後継ぐつもり」 森が言った。 亜由美は訴えかけるような瞳で、森を見つめる。 「実家って……?」 「名古屋の飲食店。まあ、前から継ぐつもりだったから、経営学とかも勉強してたんだけど、しばらくダラダラしてたら、さすがに親にも怒られてね……最近、親父の具合も良くないみたいだし……帰ろうと思って」 「名古屋……」 「詳しいことは今度話すよ。僕も店長に話したばっかりだしね。それより、もう暗いから気をつけて帰りなよ」 森はそう言うと、笑って手を振り、仕事の続きを始めた。 亜由美は胸が引き裂かれるような思いがした。いつからかわからないが、気付けば森のことを好きになっていた。一緒にいられれば幸せだった。だが、それすらも叶わなくなってしまう。そう思うと悲しくて、どうしたらいいのかわからない。 「亜由美ちゃん……」 帰り道、真里が心配そうに声を掛けた。 「あ、ごめん、真里ちゃん。ぼうっとしちゃって……」 心ここにあらずといった亜由美に、真里は微笑みながら首を振った。 「いいよ。でも亜由美ちゃん、森さんのことが好きだったんだね……」 「……うん……」 亜由美は正直に頷く。 「気付いたら好きだったんだ……べつに恋人じゃなくても、一緒にいられれば楽しかった。でも、バイト辞めちゃうなんて……」 「……すぐいなくなっちゃうってわけじゃないんだから、よく考えてみたら?」 落ち込む亜由美に真里が明るく元気づける。 だが、亜由美は溜息をついて真里を見つめた。 「……いいな。真里ちゃんみたいに可愛ければ、私だって告白する勇気が持てるのに」 そう言った亜由美に、真里は笑う。 「なに言ってるの! 亜由美ちゃんは可愛いじゃん。自分でわかってないだけだよ」 「……そうかな……」 「そうだよ。それにね、私、高校デビューなんだ」 突然、真里がそう言った。 「え?」 「中学の時は今よりもっと太ってて、お洒落でもなくて……それで苛められることも多かったから、高校入ったら新しい自分になってやるって思って。だから、もし今の私が可愛いなら、変身したからかなあ。確かにあの頃とは、見方も考え方も全然違うもん。別の自分になったみたい」 「へえ、高校デビュー……そうは見えないね」 「だから亜由美ちゃんも、自信持ちなよ。可愛さなんて気持ちの持ちよう! 森さんだって、すぐに行っちゃうわけじゃないんだし、時間はあるよ」 真里の言葉に、亜由美は元気づけられたような気がした。 「そうだね。よく考えてみる。ありがとう、真里ちゃん」 「ううん。じゃあ、またね」 分かれ道に差し掛かり、二人は別れて家へと帰っていった。
家に帰った亜由美は、携帯電話を見つめていた。フォトフォルダには、バイト仲間で集まった時の写真が何枚かある。そこで、森とツーショットで撮ってもらった写真もあった。 亜由美はその写真を見て、意を決して森へメールを送ることにした。すでに森もバイトを終えているはずである。 「おつかれさまです。バイト辞めるって聞いて、本当にびっくりしちゃいましたよ! いつ行っちゃうんですか? 森さんいなくなると寂しいですよー!」 軽い感じでそう打ち込み、何度も何度も見直した。 「寂しい……だと、好きなのバレちゃうかな?」 独り言を言いながら、亜由美は考え込む。 「ああ、もういいや。送っちゃえ!」 ボタンを押して送信する。すぐに送ったことに後悔するも、もう遅い。 「送っちゃった……」 胸を締めつけられる思いで、亜由美はベッドに横たわった。思えば思うほど募る、森への想い。 亜由美がバイトを始めたばかりの時、すでにベテランだった森は、失敗しても一度も怒らずに、丁寧に仕事を教えてくれた。そんな森に、亜由美はどんどん惹かれていったのだった。 その時、メールの着信音が鳴る。 「ハイハイハイハイ!」 物凄い勢いで起き上がりながら、亜由美はメールを開く。 『おつかれさま。突然こんなことになって、亜由美ちゃんにも申し訳なく思います。僕のほうも急なので、準備だなんだで大忙しになりそうです。店長とも話しましたが、今月いっぱいで辞めるつもり。みんなにも迷惑掛けると思うけど、よろしく頼むね』 森からのメールに、亜由美は落ち込む一方だった。 「今月いっぱい……」 思いのほか、リミットは迫っていた。亜由美は、もう一度メールを打つ。 「残念です。まだまだ新米なので、いろいろ教えてもらいたかったんですが……」 亜由美がメールを送ると、また森から返事が来た。 『大丈夫。もう僕が教えることはないよ』 そんな返事に、亜由美はまたメールを返す。 その繰り返しで、結局それから一時間ほど、二人はメールを続けていた。 『そろそろ遅くなってきたので寝ましょう。じゃあ、今度の土曜日に』 森からのメールに、亜由美は「おやすみなさい」とだけ返した。 一時間のやりとりによって、亜由美は土曜日にデートするところまで漕ぎ着けていた。今週は、亜由美がシフトに入っていなかったからである。いろいろ話したいことがあるという亜由美の言葉に、森が別の日に会ってくれると約束してくれたのだった。 なりゆきではあったが、亜由美は嬉しくてたまらない。
土曜日。今日が最後という意気込みで、亜由美は森との待ち合わせに向かっていった。 いつになくお洒落に時間を掛け、普段買わないようなファッション雑誌を参考に、何度も鏡を見つめた。今日が最後だという意気込みによる切迫感と、焦るような勢いが亜由美を支配する。 「ごめん、待った?」 そこに、森がやって来た。 「あ、いえ……」 「制服見慣れてるから、なんか私服なだけで緊張するなあ」 照れながら森が言う。 森の言葉に、亜由美も嬉しさを隠せない。だが、亜由美は緊張のため、普段の元気な亜由美ではいられなかった。 その後二人は映画を見たり、夕食を食べたり、恋人のような時間を送る。 亜由美はそんな時間に酔いしれるように、二人の時間を堪能した。
「今日はありがとう。ごめんね、いろいろ連れ回しちゃって」 駅まで送ってくれた森が、改札の前でそう言った。 「いえ、そんな……こちらこそ、わざわざ時間作ってもらっちゃって……」 今日、森に告白しようと決意してきた亜由美だが、なかなかそこまで踏み切れない。亜由美は電車なので、今日はここでお別れだ。 「ううん。僕も楽しかったよ。じゃあ、気をつけてね」 「はい……ありがとうございます」 亜由美が手を振ると、森は笑って背を向けた。 今日で最後というわけではないが、このまま何も言えないままでは、最後まで告白など無理だと思った。だがそう思っても、亜由美は森の背中を見つめることしか出来ない。 (このままでいいの……? このままじゃ、いつまで経っても何も言えないんじゃない。それでいいの?) 心の中でそう繰り返されるが、亜由美はその場に縛りつけられたかのように動けず、声も出ない。溢れ出たのは、どうしようも出来ない悔し涙だけだった。 その時、背を向けていた森がふと振り返った。森は、まだ自分を見つめている亜由美に驚き、首を傾げてこちらに近付いてくる。 「も、森さん!」 次の瞬間、亜由美は吹っ切れたようにそう叫んでいた。 森はその声に立ち止まり、亜由美を見つめる。 亜由美はもう迷ってはいなかった。そのまま涙を拭うと、森に駆け寄った。 「……どうしたの? 亜由美ちゃん」 「私……今日、決めてきたんです。私、森さんのことが好きなんです!」 勢いに任せて亜由美が言った。何も言えないままで終わるのは嫌だと思った。 だが森は、相変わらない目で亜由美を見つめている。 「……僕も好きだよ」 思いのほか、森はすんなりそう言った。 「でも……」 続く森の言葉に、亜由美の体にもう一度緊張が走る。 「でも、僕は実家に帰らなきゃならないんだ。もうこっちにいられるのも、一ヶ月もない。だから……」 「それでもいい!」 とっさに亜由美がそう言った。このままでは断られると思った。 「亜由美ちゃん……」 「それでもいいです。私、森さんと……」 また溢れ出そうとする涙を堪えながら、亜由美が言った。少しでも気が緩めば、涙が零れ落ちそうだ。 そんな亜由美を見つめたまま、森は冷静に口を開く。 「でも亜由美ちゃんはまだ高校生だし、このまま付き合えたとしても遠距離になっちゃうよ。そういう関係が続くとは、正直僕は思えない……」 森が言った。確かに、このまま二人が付き合っても、遠距離恋愛になることは明白である。そうちょくちょく会える距離でもない。だが、亜由美はそれでも良いと思った。 「私は……大丈夫です。森さんのことが好きだから……離れてたって、大丈夫です」 真っ赤になりながらの告白。遂に亜由美の瞳から涙が零れてしまった。だが、泣き落としはしたくない。亜由美はとっさに涙を拭うと俯いた。 森は静かに微笑み、亜由美の顔を覗き込む。 「じゃあ、付き合おうか」 優しい森の声に、亜由美は顔を上げた。森は優しく笑ったまま、亜由美を見つめている。 「……本当に?」 亜由美の言葉に、森が笑う。 「僕もずっと前から好きだったよ。でも亜由美ちゃん、高校生だし。実家に帰ることは前から決めてたから……ごめんね、僕から言ってあげられなくて」 森はそう言いながら、亜由美の手を握った。暖かい温もりが、二人を包む。 知らぬ間に交差していた想い。森も亜由美を見てくれていた。遠距離恋愛に不安がないわけではなかったが、互いの温もりが安心感を生んでいる。今は互いのことしか見えなかった。
半年後。 「亜由美ちゃん。森さんとはどうなの?」 バイト先のロッカールームで、変わらずバイトを続けている真里が、亜由美に尋ねた。 「うん、順調だよ。毎日メールもしてるし。あ、見る? 森さん最新画像」 亜由美はそう言って、昨日届いたばかりの写メールを見せる。 「あれ、髪切ったみたい? でも変わってない」 「うん。昨日切ったんだって」 「へえ。遠距離なんてどうなるかと思ったけど、心配なさそうで良かった」 真里の言葉に、亜由美が微笑む。 「うん。まだまだ不安もいっぱいだけどね……でも好きだから。大丈夫!」 頼もしい亜由美の言葉に、真里も頷いた。 「二人なら、きっと大丈夫だね」 「もちろんよ」 自分に言い聞かせるような決意に満ちた亜由美の言葉が、亜由美自身を支えていた。 その時、亜由美の電話が震えた。メールの着信である。 『休みが取れたので、今度の週末、そっちに行きます』 森からの、そんなメールだった。 「やったー! 半年振りに会えるよ、真里ちゃん!」 興奮しながら、亜由美が言う。 「本当? おめでとう!」 「うん、うん!」 「早く返事してあげなよ」 「うん!」 亜由美はメールを打ち始めた。 何度も考えながら、言葉を探してゆく。その言葉が繋がって、離れている二人を繋げる。
離れていても、想いは繋がっている……ひとつの恋のカタチ。
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