「三田と付き合い始めたんだ……」 仲良し三人グループの一人、佐々木奈美がそう打ち明けてから十数時間。 友達に恋人をつくることで先を越されたことよりも、ショックの大きい中学三年生の少女が一人。同じグループの、二見美沙だ。 美沙は自宅で、同じく仲良しグループの一人、小林冴子と電話をしていた。 「もう、本当にびっくりしたね。奈美ってば、なんだかんだでモテるんだから」 笑いながら、美沙が言う。 『うん。まあ、でも良かったじゃん。あの二人、お似合いだし。それより、美沙も好きな人いるんでしょう? これを機に、美沙も頑張れば?』 冴子の言葉に、美沙が俯いた。 「私は……いいんだ。好きって言っても、そんなに好きじゃないから……新しい恋でも、頑張っちゃおうかなあ」 笑ってそう言う美沙の顔は、心からの笑顔ではない。 『最後まで打ち明けないんだね、美沙。まあいいけど……』 美沙に好きな人がいるということは、奈美も冴子も知っていたが、その相手が誰なのかまでは、美沙は断固として言おうとはしなかった。 「冴子は? 冴子もそういう話、聞かないね」 『私は、今は受験で頭がいっぱいだもん』 冴子の言葉に、美沙は更に心が重くなる。 「受験か……どうしようかなあ……」 『まあ、焦らず決めたほうがいいよ。まだ時間はあるじゃん』 「そうだね……」 美沙はそのまま、しばらく冴子と話していた。 しばらくして、冴子との電話を終え、美沙はベッドに寝そべった。 ベッドから見える机の上には、二年生の時に撮られたクラスの集合写真がある。美沙の斜め横には、美沙が想いを寄せている男子が映っている。奈美と付き合い出したという、三田貴広だ。その隣には、当時から同じクラスである奈美もいる。 「報われない三角関係になっちゃったな……」 静かに、美沙がそう言った。 まさか突然、二人が付き合うとは思ってもみなかったが、美沙にはこうなる予感がしていた。三田のことを好きだからゆえ、三田が想いを寄せているのが奈美だということを、美沙は一年も前から気付いていたのである。 それがあって、美沙は自分の好きな人が三田だということを、誰にも告げることは出来なかった。
一年前。冴子だけは別のクラスだったが、当時から美沙と奈美は仲が良かった。 「美沙。早く」 昼食の時間、奈美が机をくっつけながら、美沙を呼んだ。 「ごめん、ごめん」 そう言って美沙は席に座る。それと同時に、一人の男子が二人に近付いて来た。三田である。 その頃、美沙はまだ、三田とろくに会話もしたことがなかった。 「佐々木。ちょっと金貸してくんない?」 三田が、奈美に向かってそう言った。奈美は口を曲げる。 「は? なんで私があんたに……」 「頼むって! 友達みんな金なくてさ……今日、部費払うって、すっかり忘れてたんだ。部長が忘れるなんて、カッコ悪いだろ? おまえ、同じバスケ部なんだしさ。もちろんすぐ返すし、頼む!」 申し訳なさそうに、三田がそう言う。 奈美と三田は、男女で分けられているものの、同じバスケットボール部に所属し、三田は部長である。二人は幼稚園の頃からの幼馴染みで、クラスメイトとしても仲が良い。 「本当。部長なのに最低」 奈美が言う。 「そう言うなって。マジで困ってんだよ」 三田の言葉に、美沙が同情して苦笑する。 「貸してあげなよ、奈美」 「……いくら?」 美沙の言葉に、渋々、奈美が尋ねた。 「五千円」 三田が言った。 「そんなに持ってないよ」 そう言いながら、奈美は財布を漁る。 「じゃあ、いくらでもいいよ。本当は一万円なんだけど、友達からかき集めて、あと五千円なんだ……」 「二千円しかない」 奈美が、財布を見て言う。 「じゃあ私、三千円貸してあげる」 そう言って、美沙が三千円を三田に差し出した。 「おお、助かる! 二見、ありがとうな。佐々木も……これで部長のメンツが保たれるよ。明日には絶対返すから」 三田はそう言って、去っていった。 「本当。部長として最低かも」 奈美がため息をつきながら、そう言った。そんな奈美に、美沙は苦笑する。 「でも、仲良いね。なかなかお金貸してなんて言えないでしょ。よっぽど困ってたんだって」 「幼稚園から知ってるからね……でも、同じクラスにでもならない限り、そんなにしゃべらないよ。部活だって、同じバスケ部と言いながら、男女は別だしね。たまに、帰りが一緒になったりする程度」 「まあ、そうかもね……」 その時、美沙はまだ、三田を意識して見てはいなかった。
数日後。ホームルームが終わるなり、美沙のもとに三田が駆け寄った。 「二見。遅くなって、マジごめん! これ、借りてた三千円」 三田が、三千円を差し出しながら頭を下げて言った。 「ああ、いいよ、いいよ。覚えててくれただけで。はい、確かに」 笑いながら、美沙が言う。美沙はそのまま、財布の小銭部分に三千円を突っ込むと、奈美のもとへと向かっていった。 「奈美。お金、無事返ってきたね」 美沙が言う。 「良かったわ。これから部活?」 「うん。新しい本を借りたら帰るけどね」 「面白い? 読書部って」 奈美が尋ねる。 美沙は、読書部に所属している。読書部といっても、部として活動することはほとんどない。けれど美沙は、毎日のように図書室へと通っている。 「面白いよ。新刊も早く読めるし。それに、図書室って好きなんだよね」 「へえ。私は汗かくほうが好きかな。じゃあ、部活行ってくるね」 「うん。頑張ってね」 美沙の言葉を受け、奈美は部活へと向かっていく。それを見送ると、美沙も図書室へと向かっていった。 図書室は、いつも静かで人もあまりいない。美沙は借りていた本を返すと、次の本を探し始める。そして新しく本を借りると、家路へと帰っていくのが日課だった。
夕方。家に帰った美沙は、財布を開いた。 「本屋寄るの忘れてた。お金あるよね……」 美沙がそう言いながら財布を確認すると、中には三田から返してもらった三千円が、捻じ曲げられるように入っている。 「そうだ。急いで入れたんだっけ」 美沙は、しわくちゃになった三千円札を取り出した。すると、折り曲げられた札の間に、白い紙が入っている。 「ん?」 白い紙を広げると、中には汚い字のメッセージが書かれていた。 “マジで助かりました。ありがとう。三田” 三田からの、お礼の手紙である。 「律儀な……」 美沙は笑いながら、その三田からの紙を見つめた。 普段はスポーツマンでガツガツした性格だと思っていたが、こういう三田の一面を知った事で、美沙は突然、三田に近付いた気がした。 「三田、貴広か……」
一年後。それからずっと、三田のことが気になっていた美沙だったが、奈美と三田が付き合い始めたことで、美沙はショックながらも、当然のことだと割り切ろうと思った。それは、同じクラスだった一年間、三田はことあるごとに奈美に話し掛け、少なからず三田の心中には気付いていたからである。 「もう、本読む気力もないや……」 美沙はそのまま、眠りについた。
数週間後。放課後。 「最近、図書室行かないんじゃない?」 帰り支度をしながら、冴子が尋ねる。奈美はすでに部活へ行っている。 「うん。なんか最近、あんまり本読みたくなくなってきちゃったんだ。それに、今は読みたい本もあんまりないし……」 美沙が答える。ここしばらくは、人知れず失恋のショックもあり、好きな本を読む気にもなれなかった。 「へえ。何もないならいいけど……」 「うん、平気。早く部活行きなよ。今しか出来ないんだし」 空元気に戻って、美沙は冴子にそう言った。 冴子は水泳部に所属しており、夏のこの時期しか主に活動出来ないのだ。 「うん……じゃあ、行くね」 「うん。頑張ってね」 美沙に見送られ、冴子は教室を出て行こうとした。すると、教室の入口からこちらを見ている男子生徒が見える。明らかに二人のほうを見ているが、美沙にも冴子にも見覚えはない。 「あの。二見さん、いますか?」 意を決したように、男子生徒が、美沙を見つめながら言った。 「私……ですけど?」 怪訝な顔をしながら、美沙は男子生徒に近付いていく。側にはそのまま、冴子がいる。 「あの……僕、二年の図書委員の高島っていいます。これ、お願いします」 そう言って、高島と名乗った男子生徒が差し出したのは、図書室の図書貸出期限超過の知らせの紙だった。 「すでに先週辺りに伝わっているはずですが、返ってない図書あるんで、すぐに返却するようお願いします」 業務連絡口調で、無表情に高島が言った。 「あ、忘れてた!」 思い出したように、美沙が慌てて言う。 確かに先週、担任から同じ紙を受け取っていたが、それさえ忘れていた。今日は図書委員直々の催促というわけだ。 「ごめんなさい。忘れてた……明日にでも、すぐに返すから」 美沙の言葉に、初めて高島が微笑んだ。 「お願いします。あと、いくつか新刊出てるんですけど、僕、キープしてあるんです。もし良かったら、借りに来てください。僕、明日は図書室にいますんで。じゃあ……」 そう言うと、高島は去っていった。 「へえ。図書委員も大変だね。私、小学校で借りた図書、未だに返してないのあるかも……」 冴子が言う。 「あんた、最低ね……ああ、私はそういうのはしないようにしてたのに!」 悔やんで、美沙が言う。 「まあ、美沙にしては珍しい失敗だね。早く返しちゃいなよ。じゃあ私、部活行くね」 「うん。頑張ってね」 美沙は冴子を見送ると、家へと帰っていった。
次の日の放課後。美沙は急いで、図書室へと駆け寄った。昨日の高島に会うのは少し気が重かったが、これ以上返さないわけにもいかない。 図書室へ行くと、受付には高島がいた。美沙の顔を見ると、高島は優しく笑う。 「あの。ごめんなさい……これ」 バツが悪そうに、美沙は借りていた本を差し出す。 「いえ。それより、もう本は読まないんですか?」 高島が尋ねる。 「え?」 「前は毎日来てたのに、最近来ないから、少し心配してたんです。返却期限破るのだって、初めてだし……」 高島の言葉に、美沙が静かに苦笑した。自分のことをこれだけ知っている高島の顔を覚えていない自分も、不甲斐ないと思った。 「あはは……知ってるんだ、私のこと……ごめんね。私、あなたのこと覚えてなくて……」 「いえ。二見さんが、いつも夢中で本を探してたりしてるの見てましたから。それよりこれ、どうですか?」 そう言って、高島が、新しい図書を差し出す。 「二見さん、いつも新刊は一番に借りに来てたでしょう? 今回は来なかったんで、他の人に借りられる前に、僕が借りておいたんです。もし良ければ、今僕が返しますんで、借りていかれたらどうですか?」 そんな高島に、美沙は驚いた。 「あ、ありがとう。よく見てくれてるんだね……」 美沙は、そう言うのが精一杯だった。 確かに、いつも新刊を一番に借りるのが美沙のスタイルである。多分、図書委員の間でも有名になっているのだろう。 「じゃあ、これ借りていきます」 「はい。今度は期限通りにお願いしますね」 高島のその言葉に、美沙は赤くなった。 「はい。必ず返します……」 美沙はそう言って、新刊の本を持ち、足早に家へと帰っていった。
家に帰ると、美沙は借りてきた本に夢中になっていた。夕飯も食べずに、最後まで読み切る。 「ああ、意外な展開だったなあ。これ、もう一回読み直さなきゃ」 美沙はそう言って、あとがきのページを開く。するとそこには、一枚の紙が挟まれていた。 無意識に紙を開くと、そこには綺麗な字がある。 “二見様” 冒頭にそんな字があったので、美沙は驚いて差出人の名前を探す。一番下に書かれていたのは、「高島」の文字であった。 「高島……あの子からの手紙?」 逸る気持ちを抑えて、美沙は手紙を読み始める。 “二見様。突然、こんな形で手紙を送ることをお許しください。僕は、二年一組の高島健太郎という者です。僕は一年の時に図書委員になって二見さんのことを知り、それ以来、ずっと気になっていました” その文を見て、美沙は真っ赤になった。 “二年に上がってからも図書委員になり、活動こそありませんが、二見さんと同じ読書部にも所属しています。何度か貸出の時に会話を交わしたこともありますが、きっと二見さんは、僕のことを覚えてはいないと思います。それでも、僕はそれでも構いませんでした。ですが最近、二見さんが図書室に来ないので、とても心配しています” 「……」 美沙は、食い入るように手紙を見つめる。 “支離滅裂な手紙ですみません。ただ、もう図書室には来ないのかと思うと、これを書かずにはいられませんでした。よかったら、また図書室に本を借りに来てください。僕は火曜と金曜に委員で受付をしています。そしてもしよかったら、僕と付き合ってください” 「ええー!!!」 飛び上がるほど驚いて、美沙は叫んだ。 突然、知らない年下の男の子からの告白。今時珍しい、丁寧な手紙の告白。自分のことをずっと見てくれていたという男の子に、美沙は舞い上がった。だがその反面、美沙は大きく悩むことになる。 「嬉しいな。だけど、年下か……しかも、全然知らない子……」 美沙は、机の上の集合写真に写る三田を見つめた。 「告白……」 美沙は目を閉じた。 自分が出来なかった三田への告白。それどころか、仲の良い友達にも打ち明けられなかった想い。それがどれだけ悲しくて苦しいのか、美沙は知っている。そして、どれだけ勇気がなければ告白など出来ないことなのかも、美沙は知っていた。 きっと高島は、人知れずずっと自分のことを見てくれていたのだろう。そう思うと、やはりその気持ちは嬉しかった。
数日後。火曜日。高島のいるはずの図書室に、美沙は行くことが出来なかった。今はまだ、顔を合わせられない。突然の告白。また生まれて初めての告白に、どう対処していいのかも分からなかった。 けれど、借りていた本の期限がまた迫っている。 「どうしたの? 美沙」 いつもと違う様子の美沙に、冴子が声を掛ける。 「最近、様子がおかしいよね」 側にいた奈美も言う。 「そ、そんなことないよ……」 そう言う美沙だが、思い悩んでいることは明白だ。 「なに? うちらにも言えない悩みなの?」 「さては、恋?」 からかうように心配する二人を尻目に、美沙はあまりの苦しさに頷き、すべてを二人に打ち明けた。 「へえ。あの年下君か。最初に会った時から、美沙にその気はあると思ったよ」 話を聞いた冴子が言う。冴子は先日、高島を見ているので、顔も覚えている。 「へえ。どう、カッコイイ? 頭良さそう? スポーツ出来そう?」 奈美が尋ねる。 「頭は良さそうかな。背はまだ小さいけど、顔は可愛かったよ」 冴子が答える。 「あのねえ、あんたたち……」 二人の反応に呆れて、美沙が言う。 「美沙はどうなのよ。まんざらでもないんでしょ? だったら……ああ、でも好きな人がいるんだっけ……」 奈美が言う。 「あ……ううん。好きな人は、もういないんだ……」 美沙が答える。まさか、奈美の彼氏を好きだったとは、今は告白など出来ない。 「え? 諦めちゃったの?」 「う、うん、まあね……」 悲しく微笑む美沙に、奈美と冴子は顔を見合わせた。 「じゃあ、新しい恋に進まなきゃね。ずっと見ててくれたんでしょ。その子」 「でも、年下だよ? 全然知らない子だし……」 美沙が言う。 「なにそれ、偏見? 年なんて関係ないじゃない」 「そうそう。恋愛なんて、知り合ってからするケースも多いでしょ。美沙はそんなにうぶでもなさそうだし」 奈美と冴子が、説得するように、しかし軽くそう言った。しかし、美沙の気持ちは晴れていない。 「とにかく、今日は彼が図書室にいる日なんでしょ? 返しに行こうよ、その本」 「嫌だよ!」 二人の言葉に、慌てて美沙が拒否する。 「なんでよ。また延滞するつもり?」 「そうじゃないけど……」 「前進あるのみ。とりあえず、会ってあげなよ」 真剣ながらも、美沙が深刻にならないよう、わざとからかうように言う奈美と冴子に、美沙が大きく首を振った。 「嫌だ! 悪いけど、この本返して来てくれない? それか、明日にでも返しに行く……」 美沙の言葉に、奈美が心配そうに口を開く。 「会ってあげないの? 答えてあげないつもり?」 「答えるも答えないも、私にそんな義理ないもん!」 俯く美沙から、冴子が本を取り上げた。 「そんなに言うなら、私が返しに行ってあげる。まあ、確かに無理することないよ。フリーの身で告られたからって、付き合わなきゃならないことは全然ないし。返事は? 私からしてあげてもいいけど」 そんな冴子に、美沙は首を振る。 「じゃあ、行こう。奈美」 「う、うん」 好奇心も手伝って、奈美と冴子は美沙を置いて、図書室へと向かっていった。
「こういうのってワクワクするよね。悩んでる美沙には悪いけどさ」 少し苦笑して、奈美が言う。 「まあ、人の恋路だからね……でも、美沙は答えてあげないつもりなのかな……」 冷めた様子で、毅然としながら冴子は廊下を歩いている。 「え?」 「この本だって、借りたその日に読んだのよ? それなのに、返却日ギリギリまで返せなくて……さっきだって、あんなムキになっちゃって。そういうものかな……」 「うーん……まあ確かに、あんなにムキになるのは美沙らしくないけど、私も知らない子から告白されたら、なんて言ったらいいのかわからないかも……」 そんなことを話しながら、二人は図書室のドアを開けた。 中は相変わらず、ほとんど人がいない。狭いながらも綺麗な図書室の受付には、逸早くこちらを向いた高島の姿があった。 「あ……」 冴子の顔を覚えていた高島が、静かに微笑んで軽く会釈した。冴子も会釈しながら、受付へと向かっていく。 「これ、頼まれて……」 本を差し出しながら、冴子が言った。 高島は、少し悲しそうに微笑み、その本を受け取る。 「ああ……はい、確かに。返却ありがとうございました」 高島にそう言われ、奈美と冴子は静かに背を向ける。 「あの……」 そんな二人に、高島が声を掛けた。 「あの、二見さんに伝えてもらえますか……?」 おもむろに、高島がそう言った。 二人は顔を見合わせる。 「え?」 「……たぶん、二見さんが僕の手紙を見たから、お二人が来たんですよね? それが答えなら、それでいいんです。だけど、僕が居るから気まずくて図書室に来れないなら、僕は出来るだけここには来ないようにします。委員だから、火曜と金曜は来なくちゃいけないけど……それ以外は利用しませんから……だから……そう伝えてください」 少し俯き加減にそう話す高島に、二人も少し俯いた。 「……私たちが来たことが答えじゃないよ。だけど、決めかねてるんだと思う……だって美沙は、あなたのことを何も知らないから」 冴子が正直にそう言う。 「……そうですね。僕も、急だとは思ってたんですけど……知っておいてもらいたかったんです。手紙でも……」 「もう少し、待ってあげて」 奈美の言葉に、高島は頷いた。 「はい。ありがとうございます」 「じゃあ、またね……」 二人は、図書室を後にした。
「いい子じゃない。今時珍しいよ、あんな子」 教室に帰ってから、奈美と冴子が美沙にそう言った。 「そんなこと言ったって……」 「……まあ、悩むだけ悩むんだね。じゃあうちら、部活行くから」 そう言って、美沙を残して二人は去っていく。冷たい仕打ちにも思えたが、これ以上のことは、美沙自身が決めることだと思った。 残された美沙は一人、とぼとぼと家へ帰って行った。自分で本を返しに行けなかった罪悪感に駆られる。しかし、美沙は未だ何も考えられず、前にも後ろにも進めない状況に陥っていた。
数日後。土曜日。放課後に、美沙は図書室へと向かっていった。知らず知らずのうちに、高島の影を探してしまう。土曜日なのでいないはずだが、ホッとすると同時に少し残念な、複雑な気持ちに駆られた。 美沙は気を取り直して、本を探し始める。 「あ、これ読んでなかった。そういえば、あの本また読もうかな……」 久しぶりの図書室は、悩み事が吹き飛んだように時間を忘れられ、美沙は本を探す。いくつか選んだところで、椅子に座ってパラパラと本をめくり始めた。そして何冊か見極めると、貸出カードを引き抜く。 すると美沙の目に、信じられない光景があった。ほとんどのカードには、高島健太郎の名前が書かれている。 「嘘……」 前に美沙が借りたことのある本のほとんどには、高島の名前が書かれている。また、借りていない本さえ、その名前がある。 「二見さん……」 そこに声を掛けたのは、高島だった。 「た、高島君……」 「すみません。声掛けないようにしようとも思ったんですけど……僕、これからここの掃除があって、ずっとここに居ることになってしまうので……」 自分の存在に断りを入れるように、高島が本当にすまなそうに言ったので、美沙は静かに微笑んだ。 「たくさん、本読んでるんだね……」 美沙の言葉に、高島は微笑んで頷く。 「ああ、はい……はじめは、二見さんがどんな本読んでるんだろうって……興味本位で読み始めたんですけど、だんだん二見さんが読んでるのは面白い本だって、僕と趣味が合うんだってわかってきて、その他にも、名作や新刊とかは読むようにして……あ、すみません。なんか、ストーカーっぽいですよね……」 苦笑しながら、高島が言った。そんな高島に、美沙も笑う。 「ううん。すごいね。私より読んでる」 「いえ、そんな……」 自分たちの会話がおかしく思えて、二人は互いに笑った。 「あの……ありがとう。手紙、嬉しかった」 美沙が、素直にそう言った。今なら、素直な自分になれると思った。 「あ、あの。いえ! すみません。あの……」 真っ赤になりながら、慌てて高島が首を振る。 すべての不安を拭うように、高島の真剣で暖かい気持ちが、美沙の心を溶かしてゆく。 「私、今年は受験生だし、まだ高島君のこと、全然知らないけど……私でよかったら、つき合ってください」 人気のない静かな図書室で、美沙が静かにそう言った。 何も知らない相手だが、高島は自分を見つめていてくれた。そう思うと、嬉しくてたまらない。きっとつき合えると思った。 美沙の告白は、ごく自然な流れであった。 「え、本当ですか!」 静寂を破って、高島が言う。 「……うん」 そんな美沙の言葉に、高島が満面の笑みで笑った。 「嬉しいです! あの……ありがとうございます。ぜひ、お願いします!」 すごい勢いで、高島が手を差し出して言う。 美沙も頷いて、その手を取って握手を交わした。恥ずかしいような、くすぐったい気持ちがした。 図書室に、静かな時間が流れる。二人は恋人同士になった。
幼いけれど、毎日が一生懸命に過ぎる思春期。無色透明の、ひとつの恋のカタチ。
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