とある中学校。三年生の教室から、一際大きな笑い声が聞こえてきた。 箸が転んでもおかしいと思える時代。小さなことで笑いが生まれているのは、佐々木奈美、二見美沙、小林冴子の、仲良し三人組の女子グループだ。 「ねえ、聞いた? 佐竹さんと宮城君って、付き合ってるらしいよ」 美沙が、そんな噂話を始める。 「嘘! だって宮城って、この間まで五組の三浦さんと付き合ってたじゃん」 目を丸くして、奈美が言う。 「恋の相談してたら、付き合い始めたみたいだよ。よくあるパターン」 少し冷めた様子で、冴子も言った。 「なんか、三年になってから、カップル増えたよね」 「確かに。それと言って、うちらは全然だよねー」 顔を見合わせ、三人は苦笑する。 「でも、美沙は好きな人いるんでしょ。誰よ?」 奈美が尋ねる。 「内緒。それに、好きっていっても、気になるだけっていうか……」 三人は、恋の話はするというものの、美沙以外は好きな人さえもいなかった。その美沙も、恋の相手を打ち明けようとはしない。 「なんで言おうとしないかな。うちらが知ってる相手ってことだよね? クラスの男子?」 からかうように、奈美は美沙にそう尋ねる。 「いいの! べつに告白する気もないし。それより二人だって、好きな人出来たらちゃんと報告してよね」 今度は美沙が、奈美と冴子にそう言った。 「ハイハイ。まあ、そんなに言いたくないならいいけどね」 「それに、今は恋より受験を頑張らなくちゃ」 奈美と冴子は、笑いながらそう言った。
数日後の放課後。奈美は一人、部活から家路へと帰っていった。 仲良し三人組も、部活だけはバラバラで、奈美はバスケットボール部に所属している。 奈美が一人、薄暗い夕方の住宅街を歩いていると、少し後ろから足音が聞こえた。奈美より少し早い歩調で、近付いてくるのが分かる。 不安になって奈美が振り向くと、そこには見慣れた顔があった。 「三田……」 そこには、同じ学校に通う同級生の男子、三田貴広がいた。 三田は幼稚園からの幼馴染みで、何度か同じクラスにもなったことがある。 「おう。女子も今帰りか」 焼けた笑顔を見せ、三田が言った。 三田は男子のバスケットボール部で、最近まで部長を務めていた。今はクラスも違うため、ほとんど話す機会もないが、久しぶりに交わした三田の声はすっかり声変わりして、別人のようである。 「……なんか、久しぶりだね」 交わす言葉が見つからず、少し緊張しながら奈美が言った。 「うん」 三田は返事をしながら、奈美と同じ歩調で歩き始める。 「……すっかり声変わりしちゃったね」 「成長期ですから。それより、今度の試合出るだろ?」 以前と変わらない口調で、三田が尋ねる。 今週末は、バスケットボールの大会がある。 「もちろん出るよ。三年も引退だし。三田は?」 「俺も。最後の試合になるからな」 「そうだね……あ、進路は決めた?」 「うん、なんとなく」 「へえ。どこ?」 自然の流れで、奈美が尋ねた。 「安高か高商」 「じゃあ、バスケ続けるんだ。どっちも強いもんね」 「アンタは?」 三田が尋ねる。 「私は、天南か安高かな。友達がどこ受けるかわかんないから、まだ決めてないけど……」 「ああ。仲良し三人組? おまえら、うるさいんだよ。うちのクラスにまで丸聞こえ」 苦笑しながら、三田が言った。 「なによ。あんただって……」 その時、奈美の目に、沈みかけた夕日に照らされた、三田の顔が映った。幼稚園の頃から知っている三田ではなく、少し大人びた三田がそこにいる。 「……よかったら、一緒に安高受けない?」 突然、三田がそう言った。 「えっ?」 その真意が分からず、奈美は驚いて三田を見つめる。 「……好きなんだ。よかったら、付き合って下さい!」 三田からの、突然の告白だった。あまりに突然の出来事だったので、奈美は耳を疑った。 「えっ……え……!」 「はは……そりゃあ、びっくりするよな。最近、あんまり話もしてなかったのに……」 苦笑しながら、三田はそう言う。しかし、その顔は真剣に見える。 「な、なんで、私……?」 「なんでって……思えば、幼稚園からずっと一緒じゃん? クラスは違っても、知らない仲じゃないしさ。それに、ずっとバスケで見てきたから……」 「……三田……」 奈美は真っ赤になりながら、俯いた。 「ずっと告ろうと思ってたんだけど、なかなか二人きりになれる時とかなかったし……でも、これから受験だなんで忙しくなるだろうし、今しかないと思って」 「……きゅ、急に、そんなこと言われても、なんていうか……」 目を泳がせながら、奈美は俯く。告白をされたことなど人生で初めてだったので、どうしていいのかわからない。 そんな奈美を見て、三田は静かに口を開いた。 「じゃあ、今度の試合が終わるまで待つよ。俺、優勝狙うから。もし決めかねてたら、優勝出来たら付き合ってよ」 「三田……」 「じゃあな!」 三田はそう言うと、恥ずかしそうに笑いながら、家のほうへと去っていった。 「な、なによ、急に……勝手なことばっかり……」 そう言いながらも、奈美は初めての告白に胸躍らせ、小さい頃からの三田との思い出を、思い返していた。
次の日。奈美は、美沙にも冴子にも、三田のことを話すことが出来なかった。 そんな浮かない顔の奈美に、冴子が首を傾げて尋ねる。 「どうしたの? 奈美。具合でも悪い?」 「え? う、ううん。べつに……」 慌てた様子で、奈美が答える。 「じゃあ、何かあった? もしかして、恋煩いとか!」 「えっ!」 もちろん本気で言ったわけではない美沙の言葉にも、いちいち奈美は反応してしまう。 「え、マジ?」 「ううん。違う、違う。ただ、ちょっと……バスケの試合があるから、緊張しちゃって……」 奈美は、誤魔化しながらそう言った。 「へえ。奈美が試合で緊張するなんて、初めて聞いた。まあ、これで引退でしょう? 寂しくはなるよね……これから受験一色になるんだし。奈美は高校決めた?」 「う、ううん。美沙と冴子は?」 「私は、海栄行こうと思う……」 冴子が言った。 「え! 頭いいとこじゃん。言ってくれればよかったのに。決めてたの?」 奈美と美沙が、驚いて尋ねた。冴子が言った志望校は、全国でも有数の進学校である。 「うーん……漠然と希望はあったんだけど、今までの成績じゃ危なかったんだ。だけど、三年入ってから少し頑張ったら、なんとか道は見えてきたかなって……」 冴子が言った。 「もう決めてたんだ……でも、なんで海栄?」 「ううん。水泳続けたいから……それより、二人はどうすんの?」 自分の話もそこそこに、冴子が尋ねる。 冴子は水泳部に所属しており、志望校は水泳部が強いことでも有名である。 「なるほど。水泳あるからか。うちは母親が女子高出身だから、同じ女子高に行けって言われてるんだよね……まあ、まだ分からないけど」 美沙が言う。 それを聞いて、奈美は眉を顰めた。 「ええ? じゃあ、みんなバラバラになっちゃうね……」 「奈美は?」 「う、うん。私は、天南か……安高かな」 奈美が答える。一瞬、三田の顔が脳裏に浮かんだ。 「じゃあ、安高のがいいんじゃない? 確か、バスケ部強かったよね」 「そうだよね。それに安高は近いから、うちの中学から行く率も高いし。高校行っても、続けるんでしょ? バスケ」 興味津々といった様子で、冴子と奈美が尋ねる。 そんな二人に、奈美は苦笑しながら口を開いた。 「うーん……まだ、決めかねてるんだ……」
週末――。バスケットボールの大会が、近くの学校で行われた。男女共に行われ、三年生にとっては最後の大会となる。 男子バスケットボール部には、もちろん三田の姿もあったが、三田は奈美の顔を見ようともしない。先日の告白が夢ではないかと思うくらい、いつも通りの三田であった。 そんな中で、早速試合が行われた。会場では、もちろん男子と女子は別々のコートなので、互いに意識している暇もない。 奈美も最後の試合を掛けて、試合に参戦していった。
数時間後。奈美のいる女子バスケットボール部は、三回戦で敗退した。 三年生の中では、悔しくて泣いている選手もいる。そんな同志を慰めながら、奈美は隣のコートを見つめた。 隣のコートでは、同校の男子バスケットボール部が依然、試合を続けている。気付けば、決勝戦である。 「男子バスケ、応援しに行こう」 部員達に促され、奈美も男子バスケ部の応援に駆けつけた。三田の真剣な眼差しが、格好良いほどに見える。 「五点負けてる? もう時間ないじゃん。頑張れ!」 女子達が懸命に応援する中、奈美は食い入るように試合を見つめていた。 そんな時、一瞬、奈美の目が三田と合った。 「三田!」 そんな声とともに、三田のもとにボールがやってくる。三田はその場から、ゴール目掛けてシュートを放った。 ボールは綺麗な弧を描くとともに、声援が湧き上がる。 「キャー! さすが三田部長。スリーポイントシュート! 二点差、いけるよ!」 女子達の応援にも、熱が入る。 試合は白熱するとともに、空しくも試合終了の笛が鳴った。 男子バスケットボール部も、惜しくも優勝は出来なかった。
落ち込み気味の電車を降りて、奈美は一人、家路へと歩き出した。 引退試合に花を添えられなかったのも残念だったが、三田が優勝出来なかったことも、なぜか悲しく感じられる。 「佐々木……」 奈美はそこで、後ろから声を掛けられた。三田だ。 「三田……」 気まずい空気が、二人を包む。 「……残念だったな。お互い、優勝出来なくて……」 静かに笑いながら、三田が言った。 「う、うん……」 「俺も……カッコ悪いな。優勝して、佐々木と付き合う気満々だったのにさ」 「……」 「まだ、決められないかもしれないけど……答え、聞いてもいい?」 三田の言葉に、奈美は小さく頷いた。 しかし、何も考えられなかった。自分がどうしたいのかも分からず、言葉も出て来ない。 そんな奈美に、三田が苦笑する。 「やっぱ、急だったか。じゃあ、いいや。またの機会に……ごめんな。急に変なこと言ってさ」 そう言って、三田は引きつりそうな笑顔を寂しそうに変え、奈美に背を向けた。 「三田!」 去りかけた三田に、奈美が駆け寄って声を上げた。無意識でもあった。 「三田。私で、良かったら……いいよ」 奈美の言葉に、三田は目を丸くした。 「え、マジで?」 なるようになると思った。奈美も、三田の性格は分かっているつもりだ。スポーツマンで誠実で優しい。なにより、たった今笑っていたはずの三田の悲しそうな顔が、奈美の胸を締めつける。そして奈美も、離れていく三田を見たくなかった。 奈美の答えが出た瞬間であった。 「優勝は出来なかったけど、スリーポイントシュートは、カッコ良かったよ」 そう言った奈美に、三田は白い歯をむき出しにして笑う。 「やったー!」
次の日。学校へ行った奈美は、美沙と冴子に、三田と付き合い始めたことを報告した。 「うっそー! なによ、急に。びっくりした!」 普段は冷静な冴子も、驚いて声を上げる。 「う、うん。こっちも急だったんだけどさ。三田ならいいかなって……」 奈美が、少し照れながらそう言う。 「そうなんだ。三田と……びっくりしすぎて声出なくなっちゃったよ! でも、おめでとう、奈美。よかったね。ああ、置いてかれちゃったなあ」 美沙も言った。 「もう、美沙ったら」 「いや、本当に。よかったよかった」 いつものように大声で笑いながら、三人はお祝いムード一色になった。 それから奈美は、三田と同じ高校へ進学する。
同級生。幼馴染みの友達から、恋人に変わる瞬間……ひとつの恋のカタチ。
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