そこには今、一番会いたくない人がいた。彼、である。 「やっぱり住友さん! こんばんは。家、近くなんですか?」 バツの悪い私に反して、彼はいつもの笑顔でそう言った。 私には、それが逆に切なく感じた。 「ああ……はい」 どもりながら、私は答える。 「よかったら家まで送りますよ。こんな時間に、女性が一人じゃ危ないですよ」 「そんなこと言って、梶さんが危ないかも……」 どうしたことか、そんな憎まれ口を叩いてしまった。 だが彼は驚いた顔をした後、またすぐに笑顔に戻った。 「あはは、確かにそうかもしれないですね。でも大丈夫です。僕には愛する妻がいますんで。もちろん、よかったらですけど……」 彼は薬指の指輪を見せながら、そう言う。 私は静かに頷いて、彼とともにコンビニから出て行った。 「あの……僕のこと、嫌いですか?」 帰り際、突然彼がそう言ったので、私は驚いて彼を見た。 「え?」 「いやなんか、避けられてる気がして……」 そう言う彼も、ストレート過ぎる質問に、すまなそうにしている。 「嫌いじゃ、ないですよ……」 私は、そう言うのが精一杯だった。 「そうですか。それはよかった……変なこと聞いてすみません」 彼のその言葉の後、私たちは無言のまま時を過ごした。 昔からそうだが、好意がある人にはうまくしゃべれない自分がいる。克服したいと思っても、それはどうにもなっていない。 「あの!」 そんな自分に嫌気が差して、私は思い切って声にした。お酒がまだ抜けていないせいもある。 「あの、東高下台小学校にいたことはありませんか?」 突然の質問に、彼は驚いた顔をした。だが、すぐに思い出そうと、空を見つめる。 「さあ……僕の家、転勤家族で、子供の頃は何度転校したかわからないんですよね……」 「そうですか……変なこと聞いてすみません」 すっかり意気消沈して、私は黙り込んだ。 私たちは沈黙に戻って、家へと進んでいく。 「もしかして……校門のすぐそばに、小便小僧がいる学校?」 突然、彼が自信なさげにそう言った。 私は思わず、大きく頷く。 「そう! 確かにそう!」 「じゃあ、池の噴水部分が鯉の口になってる学校だ」 「うん、そう!」 「歴代校長の写真が、廊下に飾ってある!」 「そう、そこ!」 私たちは、少年少女時代の笑顔に戻っていた。 「じゃあ、もしかして……」 彼の目は、懐かしさに輝いている。 私は小さく頷いた。 「小学校四年の時に、同じクラスだった……」 私の言葉に、彼は白い歯を見せて笑う。 「なんだ、早く言ってよ! 全然気付かなかった」 「だ、だって、すぐいなくなっちゃったし……それに、苗字も違うし」 私は少しむきになって、口を開いた。 「ああ、親が再婚したからね……でもそうか、こんなところで昔の同級生に再会するとは思わなかったよ。そうか、あの学校の……」 「……覚えてる? うちの学校」 「覚えてるよ。さっき言ったことにしても、何かと変な学校だったもん。でも、すぐにみんな迎えてくれて居心地が良かったし、楽しかった。人に関しては、悪いけど全然覚えてないけどね……まあ、高校や大学の時のクラスメイトも、仲の良い男友達以外は全然覚えてないくらい」 「いいの。私、地味なタイプだし、梶君とも全然しゃべったことないもん」 「そっか……でも、これも何かの縁だね。これから同じ職場な者同士、よろしくお願いします!」 彼はそう言って、深々と頭を下げた。 「こちらこそ」 私は素直さを取り戻し、そう答える。 その時、二人同時にくしゃみをしてしまった。 「あははは。少し冷えてきたね」 彼が言う。その声はいつも明るく、陽だまりのように暖かい。 すっかり路上に立ち止まって話し込んでいた私たちは、懐かしい話に終止符を打ち、とりあえずまた歩き始めた。 「家、どのへん?」 彼が言った。私は前を指差す。 「この先の道、右に曲がったところ……もういいよ。夜出歩くのも慣れてるし。早く帰ってあげないと、奥さん心配するんじゃないの?」 「うん……でも送るよ。どうせ僕の家もこっちだし」 彼の言葉に甘え、私はマンションの下まで送ってもらった。 「ありがとう。なんか、みっともない姿晒しまして……」 「あはは。人のこと言えないよ。僕なんて、家の中じゃパンツ一丁……いやいや、では先輩。また明日」 「もう。先輩はやめてください」 「でも新人だから……じゃあ、おやすみなさい」 「おやすみなさい……」 彼は私の姿が見えなくなるまで見送ってくれた。 部屋に戻るなり、私は嬉しさに顔を綻ばせ、開いたままの卒業アルバムに貼られた、ハートマークをなぞる。 「嬉しいな……」 小学校の頃、ろくに話も出来なかった彼と出会えたこと、わかりあえたこと、何もかも満足だった。 でも、この初恋が実ることはない――。 彼には奥さんがいるし、私の現在抱えている気持ちは、恋ではないはずだから。 なにより、私はこれ以上ないという幸せで温かい気持ちになっていた。
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