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作品名:Pure Love 〜君しか見えない〜 作者:KANASHI

第18回   絵本
 次の日。祥子が起きてリビングへ出ると、すでに和人の姿はなく、テーブルの上にメモが置かれていた。昨日、祥子が散らかした本は元のように積み重ねられ、数冊の本が束ねられていた。その中には、点字の本もある。

“今日も学校なので出かけます。昨日は話が出来なくて残念でした。今日も昨日と同じくらいの時間に帰ります。今日は話が出来ると嬉しいです。和人”

 更に下には、まだ文章が書かれている。

“追伸。長い間、部屋の一角を本で占領してしまっていてすみません。束ねてある本はいらない本です。今度売りに行くつもりだけど、すぐに片付けたいなら君が処分してください”

 それを見て、祥子は俯いた。
「気を使っちゃって……そういうところ、ずるいのよね。私より年下のくせに……」
 祥子は束ねられた本を見て、小さく微笑んだ。

 その夜。部屋に戻ってきた和人を、いつものように祥子が笑って出迎えた。その様子に、和人はホッとする。
「おかえり」
 玄関まで出迎えた祥子を、和人は思わず抱きしめた。和人の中で、祥子の存在が膨れ上がっていく。いくら優しい家族がいても、今まで和人は心の隙間を感じていた。ふとした時に感じさせられる、孤独。幸にもう会えないと言われた日、和人は祥子の存在がどれだけありがたかったか計り知れない。
「昨日はごめんね。大人げなかったね……」
 祥子が静かに口を開いた。和人はしきりに首を振る。
『こっちこそ、ごめん……でもこれからは、なんでも言って。話さなくてもわかり合いたいけど、僕は人よりそういうところは欠けてると思う。だから君には不満に思わせる部分が多いと思うけど、僕はちゃんと、君のことが好きだから……』
 和人の言葉に、祥子は笑って和人を抱きしめた。祥子が一番欲しかった言葉のような気がした。
「ありがとう、和人……」
 二人は微笑み合うと、中へと入っていった。テーブルの上には、束ねておいたはずの本が解かれていた。和人が祥子を見ると、祥子は小さく微笑んでいる。
「無理して捨てなくていいよ。そこの一角は和人のスペースだって、私が容認しているんだし……」
 祥子の言葉に、和人はもう一度、積み上げられた本を分け始めた。
「和人?」
『……本当にいらない本なんだ。明日にでも売りに行くよ』
「和人……」
 和人は祥子を見つめた。
『祥子。君が気にしてるのは、この点字の本でしょう?』
 昨日不機嫌だった祥子の原因を、和人が尋ねた。昨日は本を崩すことで露骨な伝え方をしたが、祥子は何も言わずに目を伏せる。
『べつに怒ってないよ。僕が無神経だった。ごめんね……』
 祥子は首を振る。
「ごめんね……いつも謝らせてばっかりだね、私……」
 今にも泣き出しそうな祥子に、和人は祥子の手を取った。そして二人、ソファに座る。
『どうしたら、君の不安が拭い去れるのかな……僕は、やましいことは一つもしてないよ。ちゃんと君が好きだし、さっちゃんのことは今でも気かかりだけど、恋とかそういうんじゃない。信じてほしい』
 その言葉に、遂に祥子は泣き出してしまった。わかっていても、割り切れない思いで一杯だった。かといって、和人の心から幸を追い出すなど無理だと思ったし、してはいけないことだと思う。矛盾した複雑な気持ちが、祥子を締めつける。
「私がいけないの……でも私、和人を信じてるから。だから……」
 二人は静かにキスをした。互いに優しい温もりが包む。だがお互いの心に影を落としているのは、幸のことであった。いつの間にか祥子の中で、幸の存在は大きく膨れ上がっていたのだ。だが、それを追い払うように、和人は強く祥子を抱きしめる。それ以外の方法は、今の二人には見つからなかった。

 それからしばらく経ったある日。和人は夏休みを利用して、実家へと帰っていた。このところ、仕事関係で祥子の家に泊まることが多かったので、実家に顔すら出していない。
「おかえり」
 いつものように、母親の優しい顔が飛び込んできた。いつもは仕事で忙しい父親も、夏休みで家にいる。両親は和人のことが心配でならないものの、賞を取ったり絵本を出したりと輝きに満ちた我が子を、誇らしく思っていた。
『うん。今日、到着する予定だよ』
 和人が言った。和人の書いた絵本は、発売日を来週に控えている。だが、すでに出来上がった物が一足先に実家に届くようになっていた。
「それを聞いてから、朝からそわそわしちゃってるのよ。和人と祥子さんの合作でしょう? どんなのかしら」
 すでに母親は、待ちきれない様子ではしゃいでいる。父親も終始にこやかで、やれやれといった様子で母親を見つめているものの、いつもと違って落ち着かないようだった。そんな両親を前に、和人自身も少しは親孝行出来たのだと思うと、嬉しくてたまらない。
 その時、呼び鈴が鳴った。和人の母親は、いつもより増して猛スピードで玄関へと向かっていった。父親は、苦笑して和人を見つめる。
「朝からあんな調子なんだ。父さんもね……学生の身でよく頑張ったな、和人」
 ストレートな父親の言葉に、和人も嬉しさを噛み締めていた。両親がこんなに喜ぶとは思ってもみなかったのだ。
 やがて母親が、父親経由で和人を呼んだ。玄関には大きな段ボール箱があり、和人はそれを抱えて、リビングへと運ぶ。箱を開けると、間違いなく和人の名前が印字された絵本があった。
「まあ素敵。作・水上和人だって。祥子さんの絵も素敵ね」
「ああ、嘘のようだな。こんなに立派な本になるなんて……」
『ありがとう。喜んでくれて、僕も嬉しいよ』
 両親の言葉に、和人は素直にそう言った。
 久しぶりの家族の団欒に、和人は日々の緊張から解されている気がした。他愛もない話を家族でしている時だけは、和人も心身ともにリラックス出来るのだった。

 夕食を終えて、洗い物をしている母親に、和人は静かに近づいていった。
「なに、和人。まだおなか空いてるの?」
『違うよ。母さんに、頼みたいことがあるんだけど……』
 そう言って、和人は自分の絵本と、その上に置かれたCDを見せた。
「なあに?」
『これを、さっちゃんの家に持っていってくれないかな?』
「さっちゃんに? いいけど、さっちゃんは……」
 幸は目が見えないので、和人の絵本は見れないと、母親は言いたげだった。だが和人は静かに微笑みながら、絵本の上に乗ったCDを指差す。
『これ、テープ図書の試作品なんだ』
「テープ図書?」
『うん、無理言って作ってもらったんだ。絵本の朗読のCDがついてる』
 和人がそう言った。
 絵本を作るという段階で、和人はテープ図書も同時に作ってほしいと提案していた。テープ図書とは、視覚障害のある人や小さい子供への読み聞かせとして、本の内容を朗読した音声の図書である。普通の本より手間もかかるため、担当者も渋っていたものの、和人に障害があることも考慮して、テープ図書の販売もなされることとなっていた。
 その試作品を、絵本とともに幸に渡そうというのだ。母親も優しく微笑む。
「さっちゃん、聞いてくれるといいわね……」
 母親はそう言ってその絵本とCDを受け取ると、そのまま家を出ていった。

「幸……」
 幸の家では、幸の母親が和人の母から受け取ったばかりの絵本を持って、幸に声をかけた。幸は自分の部屋で、ベッドに入って眠ろうとしているところだった。今までよりも出来ることが限られているため、最近はベッドに入るのが早い。それも不眠症になっていたため、薬で誤魔化した睡眠だ。
 事故に遭って家へ戻ってきた幸の部屋は、二階から一階の和室に移されていた。階段は危険だし、居間もトイレも一階にあるからだ。
 幸は一日のほとんどを居間で過ごし、大学も休学している。技術が問われる音楽学部では、このままでは卒業など出来ないだろう。しかし、今はそんなことを考えている余裕はない。日々の生活だけで精一杯で、今後のことを考える余裕など、幸にもその両親にもまだなかった。
「なに?」
「今、カズちゃんのお母さんが来てね。カズちゃんが、あなたにって……」
「和人が……?」
 ベッドに座って、幸は母親の声が聞こえるほうを向いている。
「絵本よ。カズちゃんね、今度絵本出すんだって。ちゃんと本屋さんにも並ぶらしくて、一足先にくださったのよ」
 母親の言葉に、幸は皮肉に笑った。
「絵本なんて……見られるわけないじゃない……」
「あ、でもね。これ、テープ図書っていうんですって。CDらしくて、内容が声で吹き込まれてるから幸にもわかるようになってるって。聞いてみましょうよ」
 すっかり元気を失くして荒んでいく幸を、母親が元気づけるようにそう言った。
「そう。すっかり有名になったみたいね、和人……」
 嫌味を言うように、幸が言葉を放つ。出てくる言葉はどれも恨み言ばかりだ。
「……あの子はよく頑張ってるわよ。文学の賞も取ったそうだし、良い子だしね。小さい頃から障害を負ってるのに、前向きで明るくて。でももう、カズちゃんも大人なのね。ご両親に紹介したっていう恋人もいるみたいだし……当たり前か。あの子ももう、二十歳過ぎてるんだものね」
「……そんなに良い子なら、私の代わりに和人がお母さんの子なら良かったのにね」
 本心ではないものの、今の幸にはそんなことしか言えなかった。だが幸の母親も、そんな言葉でさえももはや慣れてしまっっている。それでも、どうしていいのかわからなかった。しかし、ここではっきりと否定しなければ、幸も救われない。母親は口を開いた。
「そんなこと言ってるんじゃないわ、幸。あなたの目は、手術すれば治る見込みがあるって言われたのよ。あんたもカズちゃんを見習って、前向きに……」
「嫌よ! もう目を開けるのも怖いのに……また手術でズタズタに切り裂かれるっていうの? そんな恐怖、私には耐えられない……それに治るっていったって、気休め程度って言われたじゃない。光があればそれでいいの? ほとんど見えないなら、見えないのと一緒よ!」
 母親の言葉に、勢いに任せて幸が言う。幸が言う通り、医者には手術すれば目に光を取り戻せると言われつつ、眼鏡などで矯正してもほとんど見えない状態になるだけだと言われていた。
 かすかな光でも取り戻せることは希望だという両親と、もはや手術などで怖い思いをしたくないという幸とでは、真っ向から意見が対立していた。
「幸……」
 もう何も言えず、母親は無言のまま、棚の上のオーディオデッキに和人の絵本のCDを入れ、再生ボタンを押した。途端に、いかにも物語が始まるという感じの音楽が流れる。
「やめてよ!」
 幸は突然立ち上がると、音楽が聞こえるオーディオデッキのほうへと歩き出し、構わずボタンを一遍に押した。何度か叩くようにボタンを押すと、音楽が止む。
「幸……」
「聞きたくない!」
 幸が言った。なぜ聞きたくないのかは、幸自身にも説明がし難かった。ただ、今は何も考えたくなかった。和人のことも誰のことも、思い出したくはない。
「そう。ごめんね……もう寝るところだったものね。おやすみ……」
 母親は静かにそう言うと、幸の部屋を出ていった。
 残された幸は、涙に濡れていた。こんなことを言いたくはない。母を傷付けたくはないのに、どうしても苛立ちをぶつけてしまう。幸は今まで以上に、自暴自棄になっていた。


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