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作品名:Pure Love 〜君しか見えない〜 作者:KANASHI

第17回   不安
 次の日。和人は実家近くの図書館にいた。今日も児童書の絵本を中心に読み漁る。今日は学校もないので、また一日中ここにいることになりそうだ。
 読み終わった本を返しに立ち上がると、ふと点字コーナーが目に飛び込んできた。無意識に一つの本を手に取る。分厚い本は、すべて点字で綴られている。点字を勉強したことがないので、意味がわからないものの、和人は点字に触れてみた。
 盲学校で訓練しているという幸。おそらく点字も勉強しているだろう。未だ現実を受け入れられないであろう幸を思うと、和人はいつも胸が張り裂ける思いになった。
(これじゃあ祥子が不安がるのも、当たり前だな……)
 和人は一人、苦笑した。祥子の不安を感じていないわけではない。いつも幸のことを思い出すと、その度にどういうわけか祥子は感づいて、悲しそうな顔をする。だが、祥子は自分を責めることも何もしない。そんな祥子を見ていると、和人も苦しくなるのだった。
 だがどう考えても、自分が幸へ向ける思いは恋ではないと思い直してしまう。幸はいつだって、自分のことを弟のように可愛がってくれた。和人も同じで、幸は姉か母のような存在の家族愛であると感じる。だが祥子の不安を考えると、家族愛もいけないのかもしれないと思った。
 和人は席に戻って、ノートを広げた。幸のことは考えないようにしようとしても、そう思えば思うほど、思いが溢れ出してくる。思えば長い付き合いの彼女は、何度か拒絶されて会わない時期もあった。だが、今回ばかりは違うだろう。きっともう会えないだろう。和人はそう思った。
(さっちゃん。僕は君を元気づけることも出来ないけど……どうか負けないで……)
 ペンを動かし、和人はハッとした。アイデアが沸々と沸き上がる。和人は思いのままに、ペンを走らせた。

 次の日。和人は祥子の家で、仕事の打ち合わせをしていた。
『一から書き直そうと思ってるんだ』
 和人が言った。今まで何作か絵本の文を書いてみたものの、担当者も良い顔をしていない。唯一手直しの可能性があるという作品があったため、それに手を加えてみようと思ったが、和人はすべて最初から書こうと言う。正式な仕事のタイムリミットはないものの、そろそろ担当者から承認を得ない限り、道は閉ざされてしまう。
 そんな和人の申し出に、祥子は二つ返事で頷いた。すでに手直ししている作品用にイラストも描き始めたので、ここで一から書き直すということは、祥子にとっても一からの出直しとなってしまうが、祥子の顔は笑顔に輝く。全面的に和人の意思通りにしてやりたいと思った。
「いいわよ。和人が決めたなら」
『本当にごめん。もう描き始めてくれていたのに……』
「大丈夫よ。締め切り間際で変更なんてよくあるし。和人には、納得して書き上げてもらいたいのよ」
 ありがたい祥子の言葉に、和人も微笑んだ。
『ありがとう。頑張るよ』
「ええ。それで、どんなお話になるの?」
 祥子が尋ねる。和人は思い浮かんだ話を、静かに語り始める。
『……女の子が一人いるんだ』
「主人公ね?」
 祥子が相槌を入れる。そんな祥子に、和人も笑った。
『そう。どんな逆境にも立ち向かう、冒険者』
「わあ、カッコイイ」
『女の子には、さまざまな危険が立ちはだかるけど、絶対に負けないんだ』
 まるで和人の、幸への願いみたい──と、祥子は思った。和人の胸の内がわかるのは、一種の女の勘だけではない。和人の無防備なまでの純粋な心が、表れているように思えた。
「……女の子の名前は?」
 祥子の質問に、和人は考えた。主人公の名前はまだ考えていなかった。だが、すぐに浮かぶ。祥子には酷でも、それだけは決まっている。
『さっちゃん……』
 正直なまでの和人の言葉に、祥子も嫉妬心が芽生えることもなかった。ただ笑って、和人の頬を撫でる。和人が自分を信じてくれているのだと思った。幸を助けたい……包み隠さず態度で示す和人にとって、幸は本当に計り知れないほどの大切な人なのだと、改めて感じさせられた。
「いいと思う……」
 嬉しさと悔しさが混じっていながらも、祥子が笑ってそう言った。そんな祥子を、和人は抱きしめる。
『そう言ってくれると思った……』
「……ずるい。本当は、ちょっと妬いてるのよ」
 初めて、祥子がそう不満を漏らす。だがお互い、吸い寄せられるように抱きしめ合う。和人は祥子の不安を抱き上げるように、しっかりと抱きしめていた。

「いいね」
 和人の新しい作品を、担当者は何度も頷いて賛同した。
「直すべきところもほとんどない。君、絵本作家としての才能もあるよ」
 最高の褒め言葉を貰ったと、和人も嬉しさに身を投じていた。
『ありがとうございます』
「いやいや。じゃあ、今度の会議にかけるから。それまで発売時期もわからないけど、とにかく森下さんもイラスト書き始めてよ。これなら多分、スムーズに売り出せるよ」
 同時に渡した祥子の下絵も二つ返事でOKをもらい、和人と祥子は意気揚々と帰っていった。
「やったね、和人! あそこの会社、毒舌な担当者ばっかりだから、胸張っていいわよ。私もすぐにイラストかかり始めるね。あ、その前に、夕飯どうしようか。たまには外食にしようよ。前祝いに奮発してさ」
 嬉しそうな祥子に倣って和人も頷くと、二人は歩き始めた。
「あそこにしない?」
 少し先に見えるレストランを指差して、祥子が言った。和人はハッとした。そこは以前、幸と修吾とで食事をしたレストランだ。幸が事故に遭った、あの日のことである。
「……行ったことあるの? あそこは嫌?」
 察して、祥子が言う。
『ああ……うん』
 目を泳がせて和人が頷く。そんな和人に、祥子が苦笑する。
「和人って、バツが悪い時はすぐ目が泳ぐし、顔に出るのね。結構お洒落な店で有名なんだけど、さては前の彼女と来たとか? もしかして、和人って結構遊んでる?」
 すでに気分が高ぶっているせいか、からかうように祥子が尋ねる。そんな祥子に、和人は小さく苦笑した。
『そんなんじゃないよ。ただ……あの店、さっちゃんが事故に遭った日に一緒に食事した店なんだ……』
 和人が正直に答えた。一気に二人は、お祝いムードから意気消沈した。
「あ、そうなんだ……じゃあ、止めたほうがいいね。あっち行ってみようか。この辺、結構お洒落な店あるから……」
 突然、気を遣うように祥子が言い直した。和人はごめん、という仕草を見せると、二人で別の店へと向かっていった。

 その夜。和人は祥子のベッドで眠っていた。夜中にふと目を覚ますと、隣に祥子の姿はない。ダイニングの明かりがついているようで、ドアの隙間から明かりが漏れているのに気がついた。
 和人が起き上がってダイニングへ行くと、祥子がイラストを描いている。下絵も承認をもらっているので、あとはペン入れである。
「和人……ごめん、起こしちゃった?」
 祥子が言った。和人は首を振る。
『こっちこそごめん、仕事中に……』
「ううん、大丈夫……あ、コーヒー飲む?」
『僕が入れるよ。少し休んだほうがいいよ』
 そう言うと、和人はキッチンへと向かっていった。祥子は、そんな暖かな時間が嬉しくてたまらない。
『どう、順調?』
 コーヒーを差し出しながら、和人が尋ねる。
「ううん。いつもより難しい……だって、いくら和人の文が良くても、私の絵が駄目じゃいけないでしょ?  これが和人の今後に影響するのは間違いないんだから。いつもより手は抜けないもん」
 そう言った祥子に、和人は笑って祥子の肩もみを始めた。
「うふふ。ワイロ?」
『そうだね。祥子にも頑張ってもらわないと』
「プレッシャーかけないの」
 二人は笑った。

 しばらくして、何度か出版社側とのやり取りが続き、ようやくイラストの入稿も終わった。あとは発売日を待つのみとなる。
 最後の入稿を終えた祥子は、家へと戻っていった。和人は学校なので、今日は夕方を過ぎないと帰ってこないのは知っている。和人が帰ってくるまでに、部屋の片付けや夕飯の支度をしなければと思った。
 耳の不自由な和人との生活は、祥子にとって思ったよりも違和感なく生活出来ていた。それは、和人の優しさにずいぶん助けられているのだと感じる。半同棲生活となっている和人との生活で、部屋の一角は完全に和人の私物で一杯だ。その大半は本なのでかさばるばかりだが、それを取り上げる気には到底なれない。
 ふと、和人の私物である積み上げられた本が気になった。数十冊にも上る本は、床の上に器用に積み重ねられている。
「危ないなあ、こんなに積んじゃって……それにしても、難しい本ばかりで読む気にもならない」
 祥子は苦笑しながら、その本のタイトルを上から順番に読んでいく。その時、一冊の本が目に留まった。
「はじめての点字……?」
 もっとタイトルを追っていくと、いくつか同じ類の本が見える。
「“点字の基礎”、“視覚障害者とのコミュニケーション”、“視聴覚障害者の対話・触手話”……」
 見えるところに置いてあったのに、和人がそんな本を読み漁っていたとは知らなかった。まるで幸とのコミュニケーションを図ろうという和人の意思が丸見えだ。
 祥子の手の届くところに置いてあったという、和人のあまりにも無防備な行為は、逆に残酷だと思った。
 一気に祥子の不安が爆発する。何度も幸の存在は忘れようと思った。だが、それは振りに過ぎなかったことを、祥子自身が思い知らされている。祥子は怒りに任せて、積み上げられた本を崩した。途端に、辺りの床が本で埋まる。
「和人……本当に、幸さんはただの幼馴染みなだけなの? 私にはどうしても、そんなふうには見えないよ、和人……」
 祥子の目から、涙が溢れた。

 数時間後。祥子の家に帰った和人は、真っ暗な部屋に首を傾げた。玄関の明かりを付けると、祥子がいつも履いている靴はある。不思議に思いながらも、和人は部屋の中へと入っていった。
 リビングの電気を付けると、部屋の隅にある和人のプライベートゾーンと化した一角に、本が散乱していることに気がついた。そのうち一つの本だけ、テーブルの上に置いてある。“はじめての点字”。和人はそれを見つけると、寝室へと入っていった。
 寝室も真っ暗だが、ベッドに祥子が横たわっているのがわかる。和人はベッドに腰かけると、寝ているともわからない祥子の頬に手を触れた。祥子がその手を拒むように払い除けたので、起きていたのだとわかる。
 祥子は和人を見ようともしないので、和人はコミュニケーションの手段を奪われていた。責めるにも謝るにも、自分を見てくれなければ始まらない。和人は祥子の頬にキスをした。
「嫌!」
 今回は今までと違う……雰囲気ごと祥子が和人を拒むことは今までなかった。和人は溜息をつくと、祥子に布団をかけ直してやり、静かに寝室を出て行った。
「……馬鹿!」
 叫ぶように、祥子が言った。だが、和人に聞こえるはずもない。再び閉ざされた寝室の扉を見つめながら、祥子は涙を流した。
「……馬鹿……」


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