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作品名:Pure Love 〜君しか見えない〜 作者:KANASHI

第16回   挑戦
 数日後。和人は朝から図書館にいた。ここはよく来るところだが、今回は児童書コーナーを何度も行き来する。小説やエッセイなら書いたことがあるが、絵本を書いたことは一度もない。和人はその日、たくさんの絵本を読み漁っていた。
 果たして自分に絵本が書けるのかは疑問だった。絵本を書いたことも、書こうと思ったこともない。だが、少なくとも絵は祥子と決まっている。何度か絵本の仕事をしている祥子ならば、的確なアドバイスももらえることだろう。
「やっぱり、まだいた」
 絵本を読んでいた和人は、突然肩を叩かれた。見上げると、祥子が立っている。
『あれ、どうしたの?』
「仕事終わったから来たのよ。まだいると思って。もうすぐ閉館よ」
 祥子の言葉に、和人は驚いた。
『……もうそんな時間?』
「そう。一日中いたの?」
『そうらしいね……』
 二人は苦笑した。開館と同時にやってきた和人は、どうやら昼食を忘れてまでそこにいたようだ。
「まったく……集中すると、ご飯も忘れちゃうのね」
『どうりでお腹が空いたと思った。この本、ちょっと借りてくるよ。入口で待ってて』
 和人はそう言うと、数冊の本を持って貸出カウンターへと向かっていった。

「なに食べようか」
 図書館を出て、歩きながら祥子が尋ねる。
『いいよ。カレーで』
 和人が言う。
「ええ? 一昨日のでしょ。ごめん、私が作りすぎちゃったから……」
『いや、いいよ。美味しいし』
「じゃあ、せめておかずは違うの作る。スーパー寄って、買い物しようよ」
 二人は笑って、近くのスーパーへと向かっていった。
 途中、病院の横を横切る。幸が入院しているはずの病院だ。図書館の近くでもあり、祥子の家からは生活圏内である。病院の横を通るたび、和人が病室のほうを見上げるのを、祥子も気づいていた。
「あれから会ってないの? 幸さん……」
 祥子が尋ねる。今まで聞かないようにしていたが、今日は勢いで口にしてみた。
『うん……』
 和人はそう返事をするだけで、多くを語ろうとしない。そうこうしているうちに、スーパーへと着いた。二人はそこで買い物をすると、祥子の家へと向かっていった。
 ここしばらく、和人は祥子の家で寝泊りすることが増えていた。学校が忙しくなってきたこともあるが、伏せっていた和人の母親が回復し、また働き出したことにもあった。なにより、すでに祥子を両親に会わせたので、両親も安心してくれているようである。
 祥子を紹介した帰り際、何度も祥子に和人を頼むと言った両親の姿が目に浮かぶ。もはや両親が絶大な信頼を寄せている祥子に、祥子自身も和人と恋人になったことに自信を持っていた。

「かーずと」
 夜のまったりした時間、ソファで絵本を読んでいる和人に、祥子が後ろから抱きついた。祥子は酔ったように陽気を装っている。和人に自然と抱きついたものの、その顔は真剣だった。
『なに?』
 和人が優しく尋ねる。
「ううん。頑張ろうね、仕事……」
 抱きつきながらの祥子の手話に、和人は頷く。だが祥子は、未だ言えない唯一の不満を渦巻かせていた。
「和人、幸さんのことなんか早く忘れて。私、そのことだけが不安なのよ……」
 祥子が静かに言った。祥子は不安だった。和人を幸に取られるのではないかと思うと、気が気でない。今まで何度も話題に上った幸の話題を、和人が避けるようになったこと。病院を通るたびに見せる、切なげな顔。そして、幸ともう会えないと言った時の、和人の涙。
 愛しているからこそ、和人の気持ちに整理がつくまで、祥子は待とうと思っていた。だが、和人の両親にも紹介され、幸せな時だからこそ感じる不安と不満。それらが祥子に重く圧しかかっていた。
『なんて言ったの?』
 和人が尋ねる。祥子の独り言は声の振動で和人に伝わっていたが、後ろから抱きつかれていたため、何と言ったのかはわからない。
「ううん。なんでもない」
 急に笑顔を取り戻し、祥子は和人の隣に座った。和人は雰囲気で祥子の不安は感じていたものの、その原因が何なのかはわからず、それ以上聞くことも出来なかった。

 数ヵ月後。和人はいくつかの作品を書き上げて、祥子とともに担当者に見せに行った。男性のその担当者は、新人ながらもやり手でである。すべての作品を読んでも、担当者の顔は渋い。
「ううーん、いいんですよ。絵本を初めて書いたにしては、よく出来ていると思います。だけど、なんていうのかな。スパイスがないんだよな……」
 担当者にそう言われ、和人は頷く。祥子は通訳代わりについて来ただけだが、その批評に気が気でない。
『仰ることはなんとなくわかります。僕も何かわからないけど、足りないと思っています。ただそれ以上のことは僕にはわからなかったので、感想をいただきに来たのですが……』
 和人の手話を、祥子が訳して担当者に伝える。
「そうですね……君が受賞した作品、僕も読ませてもらいました。うん、あれは素晴らしい作品だと思います。きっと君は、子供の頃から文才があるんだな。だから、文を書くのには慣れてるんだ」
 担当者の言葉を、隣で祥子が通訳している。和人はその二人を交互に見ながら、頷いて聞く。
「この絵本も同じです。これは、少しいじれば大作の小説になる……つまりね、君は文学に慣れ親しみ過ぎているんだ。絵本は奥が深いこと、君も知っているだろう? 君の文章は、まだ大人向けに過ぎない。絵本は子供から大人まで親しめる本だよ。もっと子供の目線で書かないとね。子供が夢中になるような、大きくなっても忘れないような絵本にしてもらいたいんです」
 担当者の言葉はわかりやすく、和人にすんなり伝わった。なるほど、今まで大人向けの文芸作品しか書いてこなかった和人にとって、絵本がどれほど純粋で難しいものなのか、和人は思い知らされていた。

『難しいね、絵本って……』
 帰り道、和人が祥子にそう言った。祥子も優しく笑う。
「そうね……そんなに字数が多くてもいけないし、無駄なことは省かなきゃいけない……なにより、言葉を習う前の子供もわからなきゃいけないじゃない? お母さんが読み聞かせたりして。想像力が広がるような絵本がいいわよね。その面では、私の絵も重要になってくるわけだけど……」
『そうだね……もう一度、書いてみるよ』
 気を取り直して、前向きに和人が微笑む。
「うん。和人なら出来るわよ。さあ、今日はどうする?」
『最近帰ってないから、今日は実家に帰るよ』
「そう。じゃあ、ここで。またね……」
 祥子は分かれ道の別の方向へと去っていった。和人はその後姿を見送ると、駅へと歩いていった。

 帰り際、和人は実家の近くにある本屋へ寄った。この店には小さい頃からよく来ているため、今でも居心地が良い。暇さえあれば何時間でも、和人はこの本屋でいろいろな本を手に取っていた。今日も何冊かの本を買うと、和人は実家へと歩いていった。
 あと少しで実家が見えるというところで、和人はタクシーに追い抜かされた。すると、タクシーは和人の家の隣へと停まる。幸の家だ。
 和人はハッとして、思わず電信柱の陰に隠れた。隠れる必要はないと思ったのは束の間だったが、もはや動くことが出来ずに、タクシーを見つめる。
 すると、タクシーから幸の母親が出てきた。それに続き、幸の姿が目に映った。
(さっちゃん──)
 思わず声に出して、駆け寄りたかった。だが、和人はその光景を食い入るように見つめるだけで精一杯である。
 幸はそのまま母親に手を引かれ、家の中へと入っていった。もはや顔中を覆っていた包帯はなかったが、遠目にも顔に残った傷跡が生々しく見えた。目は瞑られたままで、足はまだ完治していないのだろうか……片足をひきずるように、歩いていた。
 タクシーが去っていくと同時に、和人は歩いていった。そして幸の家を見上げる。
(おかえり……家へ帰ったんだね。さっちゃん……)
 和人は心の中でそう呟くと、自分の家へと入っていった。

「おかえり、和人」
 和人が実家へ帰ると、母親が笑って出迎えた。病気をして伏せっていた時よりは顔色も良く、元気に見える。
『ただいま。元気そうだね、安心したよ』
「まあね。やっぱり仕事始めたからかしら。家でじっとしているのは、私には性に合わないのよ」
『うん、わかる。お母さんは、外に出ていたほうがいいみたいだ』
 笑いながらそう言って、和人は椅子に座った。母親はすぐにお茶を差し出す。
『ありがとう……今、さっちゃんが家に入っていくところを見たよ。帰ったみたいだね』
 和人が尋ねる。
「ええ、先月の終わりくらいかしら。これからは、盲学校の施設で少し訓練するみたい。まだ足が治ってないみたいで、リハビリも続けなくちゃいけないって言ってたわよ。本当、さっちゃんも大変ね……まだ慣れないから、ずいぶん荒れてしまっているみたいだし……」
 母親の言葉に、和人は頷いた。
『そう……』
「あんたはどうなの? 祥子さんとはうまくいってる?」
 少し照れながら、和人は大丈夫だと頷く。
「そう。あんな良い子いないわよ。ちゃんとするのよ」
『わかってるよ。でも、あっちのほうが大人だし、まだ僕のほうが助けてもらってばかりだけど……』
「そう。うまくいってるならいいわ。あんたはちゃんと一人立ち出来てるんだから、ちゃんと自分で幸せ掴まなきゃ駄目よ」
 母親が言う。その言葉は、和人が以前から、母親に口癖のように聞かされている言葉である。
 子供の頃、和人が障害を負ってから、和人自身も人に甘えることが多かったが、両親もそれを持て余していた。
 そんな和人を支えてくれたのは、幸の存在だった。家族でも親戚でもない幸は、出来ることは自分でやれと教えてくれた。幼い頃、何も出来ないと泣く和人に、今まで出来ていたことが出来ないはずがないと本気で叱ってくれたのは、両親でもなく幸である。そんな幸に、和人は応えたかった。出来るだけのことは自分でやることを決意した。
 そんな和人に倣って、和人の両親も甘やかすのを止めるようになる。大学進学と同時に、和人に一人暮らしをさせるのは気が気でなかったが、和人を応援したいと思った。結果、和人はずいぶん大人になっているのだと、両親も感じていた。
『うん、わかってるよ……』
 和人は微笑むと、しばらく母親と話を続けていた。


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