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作品名:Pure Love 〜君しか見えない〜 作者:KANASHI

第13回   宣告
 次の日の朝。いつの間に眠っていた和人を、静かに祥子が揺り起こした。
「おはよう」
 手話と声で、祥子が言う。起きたての和人には、祥子のその笑顔がなにより幸せに感じられた。
『おはよう……』
「寝かせてあげたいけど、出かけるんでしょ? 軽くだけど、朝ごはん作ったの」
 そう言って祥子はテーブルを指差す。和人は起き上がると、すぐにテーブルの前に座った。
『美味しそうだね』
「ありがとう。起きたばかりだけど、もう食べられる?」
『うん。いただきます』
 和人は祥子の作った朝ごはんに手をつける。
 朝食を食べ終わった二人は、二人同時に出かける支度を始めた。二人一緒に歯を磨き、顔を洗う。なんだかそんな状態が、くすぐったいが心地良い。二人は互いに安らぎを感じていた。
『じゃあ、行くね』
 支度を終えた和人がそう声をかけた。祥子はバックに書類等を詰めている。
「うん、先に行って。私、まだ時間あるから」
『待っていようか?』
「ううん、いいよ。和人のほうが遅くなっちゃう。行ってらっしゃい」
 祥子の言葉に、和人は頷いた。
『じゃあ……昨日はありがとう』
「私は全然構わないわよ。あ、ちょっと待って」
 玄関まで和人を送り出そうとした祥子は、思い出したように部屋の中へと駆けていった。そしてすぐに戻ってくると、和人に鍵を渡した。和人は意味がわからずに、表情で疑問符を投げかける。
「ここの鍵よ。いつでも好きな時に使って」
 その言葉に和人は驚き、俯いた。
『でも……』
 和人は少し目を泳がせている。初めての出来事に、どうしたらいいのかわからないようだ。
「あんまり深く考えないで。でも、私たちは想いが通じ合ってるって思ってるし……それにこれから、幸さんのことで病院に行く機会も増えるでしょう? 学校に通ってたら、ただでさえ遅くなるんだもの。しばらくここへ泊まっていけばいいわよ」
『……ありがとう』
 それ以上、和人は何も言わなかった。ただ、祥子の優しさを噛み締めているように見えた。祥子も笑って首を振る。
「いいんだってば。私たち、気兼ねしない仲になろうよ。さあ早く行って。今日はどうする?」
『……学校に行って、病院に行って、一度家へ帰るよ。急に外泊したし、さっちゃんのこともあるから心配しているだろうから』
「そうね、今日は戻ったほうがいいよね。わかったわ。じゃあ、またメールちょうだいね」
 和人は頷くと、そのまま祥子の家を去っていった。和人は初めて手に入れた恋人の家の鍵に、なんだか悪いことをしているような、同時に嬉しくてたまらない気持ちになりながら、学校へと向かっていった。

 学校へ向かった和人は、慕っている教師の元へ受賞の報告をしに行った。そして軽く挨拶回りを済ませると、その足で幸の入院している病院へと向かっていく。すぐにでも会いたいという気持ちと、変わり果てた姿の幸を見たくないという気持ちが入り混じり、和人の足は鉛のように重い。しかし和人は、真っ直ぐに病院へと向かっていった。

 和人が幸の病室に向かうと、未だ面会謝絶の札が下げられていた。和人は不安になりながら、何度も部屋の横に付けられた患者の名前を確認した。しかし何度見ても、幸の名前である。
 そこに通りかかった女性看護師を呼び止めると、和人は持ち歩いているメモ帳にすらすらと文字を書いて見せ、返事をくれと言わんばかりに、メモ帳とペンを差し出す。
『ここの患者さんの具合はどうですか? まだ面会出来ないのですか?』
 和人のメッセージを見て、看護師は少し悲しそうな顔を見せ、メモ帳を受け取って返事を書いた。
「意識は戻りましたが、興奮状態でしたので、今は薬で眠っています。しばらくはそういう状態が続くと思われるので、ご家族以外の方は会えません。ご家族の方は今、医師と話しています」
 看護師の文字を見て和人は頷くと、頭を下げて礼を言った。去っていく看護師を尻目に、和人は目の前にあった長椅子に座り、幸の病室のドアを見つめていた。
「カズちゃん」
 しばらくして、目の前に立った人物に、和人は顔を上げた。そこには幸の母親が立っている。また泣いていたようで、目は腫れぼったい。
『おばさん……大丈夫?』
「ありがとう。大丈夫よ……」
 和人の問いかけにそう答える幸の母親は、すぐにでもまた泣き出しそうだ。しかし昨日とは違い、もう大分落ち着いたように見える。
 頷きながら、和人は幸の病室を指差した。
『さっちゃんは……どうですか?』
 あまり手話のわからない幸の母親に、和人は最小限の手話で語りかける。幸の母親も慣れたもので、唇を読んでくれる和人に、ゆっくりと口を開く。
「さっき意識が戻ったんだけど……痛みも恐怖もまだあるし、目が見えなくなったことを知って、ずいぶん泣き叫んでね。今は鎮静剤を打ってもらったから、落ち着いて眠ってるけど……」
 幸の母親は、痛々しい娘の姿に、今や放心状態でいるように見えた。
『そう……おじさんは?』
「今日は仕事に行ったけれど、早目に切り上げてくるわ」
『そう……』
「カズちゃん……心配して来てくれるのはありがたいけれど、しばらくは来ても会えないと思うわ。意識も戻ったし、もう命に別状はないみたいだから、しばらくは来ないほうがいいわ……幸も、今はあなたと会話をすることも出来ないでしょう? どちらも辛いと思うし……」
 その言葉に、和人は心が重くなりながらも、頷くほかなかった。
 確かに、耳の聞こえない和人にとって、普段のコミュニケーションは手話か筆談が主だ。けれど、相手が目の見えない人物ならば、手話も筆談もすることが出来ない。相手にとっても、無理に和人がしゃべろうとしない限り、会話すら交わすことが出来ないのだ。
 そのため、互いに悲しむのは目に見えている。ましてや未だ現実を受け入れられない幸にとって、和人の存在は今は考えられないものだと思った。
『そうだね……僕がいたら、さっちゃんももっと辛くなるかもしれないね……』
「カズちゃん。ごめんね……」
 和人は首を振った。
『それじゃあ、さっちゃんが少し落ち着いた頃に、また伺います……おばさん、気を確かに。頑張って……』
 そう言うと、和人は静かに病院を後にし、そのまま実家へと戻っていった。実家にいた和人の母親も、幸のことを知って深く心配し、涙を流していた。
 また、すでに受賞した作品と受賞賞金も家に届いていた。母親もとても喜んでくれたが、幸のことを思い出すと、二人とも気が落ち込むばかりであった。

 数週間後。幸がどうなったのか、頼りは流れてくる噂だけだった。和人は躊躇いつつも、幸のことが気かかりでならず、様子を見に幸が入院する病院へと向かっていった。
「帰って!」
 和人が病棟を歩いていると、そんな大きな声が響いている。和人には聞こえないものの、その声に驚いた人たちが、廊下からその声がする病室のほうを見つめているのが見える。それと同時に、数人の看護師が慌てて病室へと入っていった。その病室は幸の病室だと思い、和人は小走りに病室を覗き込んだ。
 一人部屋の病室では、数人の看護師がベッドの上の患者を押さえつけているようだった。だが、仕切りのカーテンが邪魔で幸の姿は見えない。看護師はカーテンの向こうで何かの処置をしているようで、それからすぐに病室を出て行った。
 そんな中で、窓際には幸の母親が泣いており、ドアの近くには修吾の姿がある。
「カズちゃん……」
 和人の姿を見つけ、幸の母親がそう言った。
「和人……?」
 中から幸の声が聞こえる。だが、和人にそれは聞こえない。和人には、この病室にいる顔触れで、幸の病室に間違いないとわかっただけだった。
「失礼します。お大事に……」
 すると、そう言って修吾が和人に向かってきた。だが何も言わず、和人の横をすり抜ける。
 状況が飲み込めず、少し呆気に取られた和人は、静かに病室へと入っていった。幸の母親は、とても悲しそうな顔をして涙を流している。そしてそこで初めて和人は、ベッドの上の幸を目にすることが出来た。
 未だ顔や頭を包帯で巻かれ、痛々しい姿ではあるが、意識はあるようで口の辺りが息づいている。だが身体を震わせ、口を結んだりし、唯一動かせる右手で顔を押さえている。泣いているのだ。
 和人は幸の母親を見た。だが首を振るだけで、何があったのかは教えてくれない。和人はもう一度幸を見つめると、勢いよく病室を飛び出した。

 和人がそのまま病院を飛び出すと、病院の駐車場に向かう修吾の姿が見えた。とぼとぼと歩く修吾に、和人が追いついて肩を叩く。
「水上君……」
『彼女に、何をしたんですか!』
 いつになく険しい表情で、和人が言う。手話をするその手さえ、興奮して荒々しい。
「……婚約を、解消させてもらったんだ……」
 やがて言った修吾の言葉に、和人が信じられないといった様子で、修吾の顔を覗き込む。
『さっちゃんと……結婚しないということですか?』
 修吾は静かに頷いた。
「無責任だけど……幸のことは可哀想だと思うし、助けたい。だけど、どうしようもないじゃないか……もう前とは違う。身体のことも、将来のことも……俺には幸の人生は背負えない。親も反対しているし、こう言ってはなんだけど、結婚する前でよかったと思ってる……」
 ぼそぼそと修吾がそう話した。和人は修吾の口元をじっと見つめながら、身体を強ばらせ、怒りに震えている。こんな震えがきたのは生まれて初めてだった。
 和人は修吾を睨みつけ、突然殴りかかった。
 修吾の言葉が、百パーセント和人に伝わったわけではない。だが和人には、修吾が幸との婚約を一方的に解消して逃げ出し、幸を傷付けたことだけはわかった。
『どうして! どうしてそんなことを……どうして!』
 修吾に詰め寄り、手話で怒鳴るようにそう言う和人の目からは、今にも涙が溢れ出しそうだった。「どうして」と、何度も何度も問い質す。
『彼女の気持ちはどうなるんだ。どうしてそんなことが出来る! あなたの恋人だろう!』
 早口で手話を続ける和人に、修吾はもう手話についていけなかった。ただ、自分を責めていることだけはわかる。
 和人は修吾の襟元を掴み、顔で訴えかけながら、その手を離そうとしない。
「離してくれ!」
 そう言って、修吾は和人を力一杯振り払った。
 駐車場をぐるりと囲む木製のガードレールに、和人はもたれるように倒れかかった。顔を打って、擦り切れた頬から血が滲む。だがそんなことをもろともせず、和人はもう一度修吾に掴みかかり、もう一度、修吾を殴った。
 今度は修吾が地面に倒れ、和人は修吾に馬乗りになって掴みかかる。
「俺だって、酷いとわかってる!」
 そんな和人に、修吾が叫んだ。
「だけど……もう無理なんだ……」
 地面に横たわりながら、修吾が涙を流してそう言った。
 何もかも変わり果てた姿の幸を、修吾はもう正視することすら出来なかった。自分の責任に向き合う勇気もなく、親からも幸との関わりを反対されている。そんな中で、修吾自身も重圧に押し潰されていた。
『……お願いします。彼女を……さっちゃんを、どうか苦しめないでください』
 俯き加減にそう言った和人の目から、一筋の涙が零れ落ちる。
 やがて近くで見ていた人たちから、二人は引き離された。修吾は衣服についた砂を払い落とすと、未だ真っ直ぐで悲しげな目で見る和人を、静かに見つめた。
「ごめんな。もう、幸のことを前のようには見れないんだ……でも出来る限りのことはするつもりだから……」
 修吾はそう言うと、車に乗り込んで去っていった。残された和人は、しばらくその場に立ちつくしていた。


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