その日から、沙織はちょくちょく暇があっては、鷹緒の事務所に行くようになっていた。鷹緒に会うことは滅多になかったが、社長の広樹も事務員の牧も、みな優しかったので、沙織にとって居心地の良い場所になっている。 「こんにちはー」 ある休日。今日も篤がバイトのため、沙織は一人、事務所へと顔を出した。 「沙織ちゃん。いらっしゃい」 事務員の牧が、受付で出迎える。沙織は牧に近付き、口を開いた。 「牧さん。何か仕事ありますか?」 「あるわよ、膨大に。でも、ちょっと休んでからにしようよ」 「はい。じゃあ、コーヒー入れますね」 「ありがとう」 沙織は慣れた様子で給湯室へと入っていき、コーヒーを入れて受付に戻る。そんな沙織に、牧がクッキーの入った缶を差し出した。 「ありがとう、沙織ちゃん。クッキーあるから、一緒に食べよ」 「わあ、おいしそう。いただきます」 沙織はクッキーを頬張りながら、事務所を見回す。 「今日は静かですね」 「比較的ね。忙しい時期も、ちょっと過ぎたし」 その時、鷹緒が事務所へ入ってきた。 「鷹緒さん」 「おう。なんだ、また来てたのか。よっぽど暇なんだな」 憎まれ口を利きながら、鷹緒が沙織を見て言う。 「またまた、鷹緒さん。沙織ちゃん、いろいろ手伝ってくれてるんですよ」 苦笑しながら牧が言った。鷹緒は軽く微笑みながら、応接部分のソファへと座る。 「ふうん……じゃあ、俺にもコーヒーくれよ」 「ひねくれ者にはあげませんよー」 鷹緒に近付き、わざと膨れっ面をしながら沙織が言う。 「すみませんね。この年になると、ひねくれもするんだよ。いいからくれ」 「はーい」 沙織は笑いながら、コーヒーを入れて鷹緒に差し出した。 「サンキュー」 鷹緒は早速テーブルに書類や写真を広げ、コーヒーに口をつける。 「あ、BBの写真」 テーブルの上を覗き込みながら、沙織が言った。鷹緒は構わず、写真を並べている。 「本当、カッコイイわよね、BB。鷹緒さんも、どうするのかと思ったけど、BBの専属カメラマンの契約も受けてくれたから、事務所の知名度も一気に上がって……」 すぐそばの受付から、牧も覗いてそう言った。 「あ、受けたんだ? BBの専属カメラマン」 「ガキが首突っ込むな」 沙織の言葉に、鷹緒が言う。 「最近、冷たくないですかー? 親戚なのに」 そんな鷹緒に、冗談交じりで沙織が言った。 「あのなあ。暇な時は手伝えとは言ったけど、毎日毎日来やがって」 「別に、鷹緒さんにはほとんど会わないじゃない」 「話には聞いてる」 その時、鷹緒の携帯電話が鳴った。 「はい。ああ、どうも……」 すかさず電話に出た鷹緒の後ろで、膨れる沙織に、牧が笑って口を開く。 「漫才やってるみたいね」 「合わないんです。私と鷹緒さんは」 「あら。面白いコンビだと思うけど?」 「やめてくださいよ。あんなオジサン」 その言葉に、鷹緒が沙織の頭をコツンと叩いた。 「あ、電話終わってたんだ?」 「牧。これ、俺の来週のスケジュール。ヒロと俊二に渡しておいてくれる?」 沙織の言葉を遮って、鷹緒が牧にそう言う。 「わかりました」 返事をしながら、牧はすぐにコピーを取り始めている。その時、奥から広樹が出てきた。 「おう、鷹緒。居たか」 「ヒロ。なに?」 「おまえ、今夜の予定は?」 「八時から打ち合わせ」 その質問に、鷹緒が答える。 「じゃあ、ギリギリだけど……おまえ、キャンディスの撮影やってくれないか?」 広樹がそう言った。キャンディスとは、中高生向けのファッション雑誌で、鷹緒の助手である俊二がカメラマンを手がけている。 「なんで? 俊二の仕事だろ」 「俊二がぶっ倒れたんだ」 「は?」 「風邪。熱が三十九度越えてるって。他のやつも出払ってるし……おまえしかいないだろ」 その言葉に、鷹緒は軽く頭を掻いた。 「……オーケー。八時前には終わらせるぞ」 「当然。僕も手伝うよ。お願いします」 「仕方ないですな。一肌脱ぎますか」 鷹緒はテーブルの上の写真をかき集めると、すぐに支度を始めた。 「うちのスタジオ?」 「ああ。スタッフ連中は、すでに準備に行ってるよ」 「了解。おい、沙織。手伝って」 振り向きざまに、鷹緒が沙織にそう言った。 「えー、なんて。いいよ」 「当然だろ。じゃ、行って来ます」 そのまま鷹緒は沙織を連れて、事務所を出ていった。
「俊二さん、大丈夫かな?」 歩きながら、沙織が尋ねる。 「さあな……でも、あいつが仕事休むなんて、余程のことだからな」 「でも、こういうこともあるんだね。今日の撮影関係者、鷹緒さんに撮ってもらえるなんてラッキーじゃん」 「まあな……」 鷹緒は軽く笑うと、スタジオへと入っていった。 スタジオでは、スタッフが着々と準備をし、モデルたちも衣装に着替えていた。しかし、関係者は騒然としている。 「お疲れさまです」 鷹緒がそう言うと、雑誌の制作スタッフが駆け寄った。 「あ、これは諸星さん……」 「すみません。うちの木田が熱で来られなくなりまして、急遽私がやらせていただくことになりまして……」 軽くお辞儀をして、鷹緒が言った。 「いえ。それは、こちらとしても嬉しい限りなのですが……」 「はあ、何か?」 浮かない顔の雑誌関係者に、鷹緒が尋ねる。 「実は予定していたモデルが一人、風邪で来れなくなりまして、プランが変わってしまいそうなんですよ。でも八時までには上げたいと聞きまして、どうだろうと……もちろん、日取りを変えるのも不可能ですし……」 「プラン変更には、そんなに時間がかかるんですか? 一人抜けたくらいなら、臨機応変に……」 雑誌関係者に、鷹緒が言う。 「いえ。プランを考えたのは、うちの編集長が用意したプランナーでしてね。まあ、こちらの事情なんですが、寸分たりとも変えるわけにはいかないんですよ……」 焦る関係者を前に、鷹緒も少し考えた。その時、広樹がやって来た。 「何かあったんですか?」 そう言う広樹に、関係者がまた説明をする。 「……沙織ちゃん。君、モデルやらない?」 一同が考え込む中、突然、広樹がスタッフに混じる沙織にそう言った。 「ヒロ。冗談言うなよ」 すかさず鷹緒が止める。広樹は笑いながら沙織の肩を掴んで、雑誌関係者を見つめる。 「冗談なんかじゃないよ。どうですか、この子。可愛いでしょう?」 「彼女は?」 雑誌関係者が、沙織を見つめて尋ねる。 「諸星の親戚で、うちの事務所を手伝ってくれている子なんですが、現役高校生です。モデルとしてなら背は低めだけど、雑誌モデルなら大丈夫でしょう」 「やってもらえますか?」 関係者の言葉に、沙織は戸惑った。 「わ、私がモデルなんて……出来ません!」
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