「あれ、沙織ちゃん。さっきはどうも。彼氏クンは?」 やってきた沙織を見て、受付でお茶を飲んでいた広樹が尋ねる。 「あ、バイトで……」 「そっか。どうだった? BBのライブは」 「もう、すっごくよかったです! 興奮しちゃったんで、早速来ちゃいました」 興奮気味で、沙織が言った。 「そうか。よかった、よかった」 「あの……鷹緒さんは、まだ帰ってないんですか?」 沙織が、辺りを見回して尋ねる。 「スタジオにいると思うよ。あそこは鷹緒のアトリエみたいになってるから。今日は泊り込みで作業するって言ってたよ」 「……行っても平気ですか?」 沙織が言う。先日の撮影や今日のライブのことを、鷹緒と直接会って話がしたかった。そんな沙織に、広樹が笑う。 「いいけど、仕事中のあいつって、反応ないからつまらないと思うよ? 邪魔したら不機嫌になって、扱いづらいしね」 「そうですか……」 「ああでも、顔出してやってよ。これ持って」 そう言って、広樹は冷蔵庫から、缶のお茶とおにぎりを出し、袋に入れて沙織に差し出した。 「あいつ、仕事となると食べるのも忘れるんだよな。僕も後で顔出そうと思ってたんだけど、君が行ってくれるならいいや。なんとか食べさせてやって」 「わかりました。じゃあ……行ってきます」 沙織はそれを受け取ると、スタジオへと向かっていった。
沙織がスタジオへ行くと、鍵が閉まっていた。 「あれ? いないのかな……」 そばにあった呼び鈴を鳴らし、何度かドアをノックする。しかし、応答はない。 「いないのか……」 そう言いかけた時、ふと前にスタッフが言っていたことを思い出した。 『鷹緒さん、前にスタジオでぶっ倒れてましたよね?』 「……大丈夫だよね? でもヒロさんも、仕事となると食事も忘れるって……」 沙織は急に、鷹緒の安否が心配になった。その時、前にスタッフがスタジオの鍵のありかについて話しているのを思い出す。 「窓枠の溝に……」 近くの窓枠の溝を見ると、そこには鍵が挟まっている。 「本当にあった……どうしよう、泥棒みたい。で、でも、鷹緒さんが倒れてたら、シャレにならないよね」 沙織は意を決して、その鍵でスタジオのドアを開けた。するとドアは簡単に開いた。 静かに中へと入っていくが、スタジオに人の気配はない。 「た、鷹緒さん……いませんね。鷹緒さん……」 「なに?」 その時、沙織の背後から、そんな声が聞こえた。 「ぎゃあ!」 沙織は驚きのあまりに飛び上がり、声を上げて振り向いた。すると、そこには鷹緒が立っている。 「た、鷹緒さん!」 「なんだよ、こんなところで。それにおまえ、鍵……」 思わぬ訪問者に、鷹緒も驚いた様子である。 「あの、か、鍵のありか、スタッフさんが話してるの聞いてて……勝手に入って、ごめんなさい!」 鍵を差し出しながら、沙織は深々と頭を下げて謝った。 「ああ……いいよ。ここにあるのは、ガラクタばっかだから。ほとんど放置状態……」 鷹緒はそう言って、中へと入っていく。 「……今来たの?」 中へ入りながら、沙織が尋ねた。 「ううん。一度来て、あまりに腹減ったから、そこのコンビニでカップラーメンをね」 「あ、私も、ヒロさんに言われて、おにぎりとお茶……」 「ああ、サンキュー」 鷹緒はそう言うと、沙織からそれを受け取り、お湯を沸かし始める。そして、おにぎりを頬張りながら、口を開いた。 「それで?」 「えっ?」 鷹緒の言っている意味がわからず、沙織が驚いた顔をする。 「え、って……何か用があるんじゃないのか? 事務所に行ったんだろう?」 「ああ、うん……特に用事があったわけじゃないんだけど、さっきヒロさんに会ってね。いつでも寄ってね、なんて言ってくれたから、本当に寄っちゃった……」 沙織は妙にドキドキしていた。お互いのことはあまり知らないが、親戚であるという微妙な関係の鷹緒は、有名人を手がける写真家であり、沙織の周りにはいないタイプである。 「へえ。今日、彼氏は?」 「バイト」 「ふうん?」 そう言いながら、鷹緒はパソコンに向かう。 「あの……今日のBBのライブ、見たよ。渋谷に来いって、このことだったんだね。ちゃんと教えてくれればよかったのに。危うく見逃すところだったよ」 近くのソファに座りながら、鷹緒の背中に向かって、沙織が言った。 「ああ……秘密はどこから漏れるかわからないからな。ちゃんとは言えないよ」 「そんなこと、しないのに……」 「うん……まあね」 その時、やかんの笛が鳴った。 「あ、私がやるよ」 立ちかけた鷹緒に、沙織が言う。沙織はやかんの火を止めると、鷹緒が買って来たカップラーメンにお湯を入れ、鷹緒のそばに置いた。 「はい」 「サンキュー」 沙織は首を振ると、鷹緒の前にあるパソコンを覗く。画面上には、BBの写真が並んでいる。 「わあ、BBだ。これ、さっきのライブ?」 「ああ」 「すごいなあ……そういえば、鷹緒さんって有名なんだね」 「は?」 唐突なまでの沙織の言葉に、鷹緒は驚いた。 「あ、あのね。さっき彼氏が教えてくれたの。ファッション雑誌とかに、鷹緒さんの名前が結構出てるって……」 「ああ……でも、有名かどうかは疑問だな」 「またまた」 苦笑している鷹緒は、カップラーメンの蓋を開け、食べ始めている。 そんな様子を見つめている沙織に気付き、鷹緒は口を開いた。 「おまえ、夕飯は?」 「あ、どうしようかな……」 「早く帰れよ。暗くなるぞ」 「うん……」 沙織はなぜか、まだ帰りたくないと思っていた。もっと鷹緒と話していたいと思う。 「……家に何かあるの?」 「え、どうして?」 鷹緒の言葉に、今度は沙織が、驚いて聞き返す。 「いや。帰りたくなさそうだったから」 「別に、そんなことないけどさ。でも、なんか……そういう時ってあるでしょ?」 「さあな……」 鷹緒はカップラーメンを置くと、立ち上がった。 「もう食べたの?」 「飯、食いに行こうぜ」 「まだ食べるの?」 「こんなもんじゃ、体力続かねえからな」 鷹緒はそう言うと、パソコンの電源を切り、上着を持って振り向いた。 「送るよ」 その言葉に含まれた優しさが、沙織にはわかった。しかしそれは、恥ずかしいような心地よい感覚である。 「うん……」 沙織はそう返事をすると、鷹緒についてスタジオを後にした。
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