数日後。沙織はユウに呼び出され、ユウの部屋に居た。 「どうしたの?」 ぼうっとしている沙織に、ユウが尋ねる。 「え?」 「ぼうっとしてるじゃない。何かあった?」 優しく尋ねるユウに、沙織は首を振る。 あれから何度も鷹緒のことを考えた。湧き上がるように気付かされた、鷹緒への恋心。だが目の前にいるユウに知られてはいけない。しかし、このまま嘘をつき続けるのかと思うと、気が重くてたまらない。どうしたらいいのかわからず、沙織は思い悩んでいた。 「沙織?」 「ごめんね。なんか、疲れてて……」 沙織が言った。そんな沙織の肩を、ユウは抱き寄せる。 「ごめん、急に呼び出したから……」 「そんな……ユウは悪くないよ。ツアー終わって、真っ先に声かけてくれたんじゃない」 「うん、ツアー中は会えなかったから、ずっと沙織のことを考えてたよ」 そう笑いかけるユウを見て、沙織は泣けてきた。 「沙織?」 「ごめんね、なんでもない……」 「なんでもないって、泣きそうじゃん」 「違うの……ごめんね」 沙織がそう言った時、テーブルに置いてあった沙織の携帯電話が鳴った。ユウが手を伸ばして、それを取り、沙織に差し出す。二人の目には、画面に映る『諸星鷹緒』の文字が見えた。沙織の表情が変わる。 「諸星さんみたいだよ。出ないの?」 ユウの言葉に、沙織が携帯電話を受け取る。それと同時に電話が切れた。 「ああ、切れちゃったね……」 そう言うユウの目に、複雑な表情の沙織が映った。俯き加減の沙織は戸惑っているような、困っているような顔をしている。 「……沙織の元気がないのは、諸星さんが原因?」 黙り込んでいる沙織に、ユウが尋ねた。沙織はハッと顔を上げる。真剣なユウの瞳が、沙織を見つめている。 「……違うよ……」 やっとのことで沙織が言った。だがユウにはそれが嘘だとわかって、溜息をつく。 「どうして嘘つくの? そういうふうに隠されたんじゃ、何かやましいことがあるんじゃないかって思っちゃうよ」 「やましいことなんてないよ!」 沙織が言った。ユウは、ただ静かに沙織を見つめている。 「……じゃあ、どうしてそんなにムキになるの?」 「なんでもない……」 「……わかった。話したくないなら、もういいよ」 ユウは静かにそう言うと、立ち上がった。少し怒っているような感じにも見えたが、その声は優しい。 「今日はもう、帰りなよ。送るからさ……」 すでに支度を始めているユウがそう言った。沙織も立ち上がって、支度を始める。すると、ユウが後ろから抱きついてきた。 「沙織……僕のこと、好き?」 ユウの言葉に、沙織は一瞬、押し黙る。 「……うん。す……き……」 そう言ったところで、沙織の目から涙が溢れた。もう、嘘はつけなかった。 沙織はそのままユウの手からすり抜け、その場にしゃがみこむ。そんな沙織に、ユウはすべてを理解した。 「諸星さんのことが……好きになっちゃったとか?」 静かに尋ねたユウに、沙織は首を振った。今は何も考えられない。 「ごめんなさい。今日はもう、帰るね……」 沙織はやっとそれだけを言うと、ユウのマンションを出ていった。ユウはしばらく、その場に立ちつくしていた。
家へ帰る途中、沙織は沈んだ心だった。ユウが嫌いなわけでは決してない。だが鷹緒のことを思うと、胸がドキドキして止まらない。何が恋なのか、なぜユウを好きだと言うことが悲しかったのか、沙織にはわからなくなっていた。 ふらふらと夢遊病者のように、沙織は家へと帰っていった。
やっとの思いで沙織が家へ帰ると、部屋の前には鷹緒の姿があった。沙織は目を丸くさせる。 「鷹緒さん……!」 「おう、出かけてたのか。電話しても出ないから、どうしたのかと思った。デート中だったか? 邪魔してたらごめんな。これ、この間の礼。居なかったら、ポストに入れて帰ろうと思ってた」 手土産を見せながら、静かに笑って鷹緒が言う。 「鷹緒さん……」 震える声で、沙織がそう呼んだ。鷹緒は怪訝な顔をして、沙織の顔を覗きこむ。 「……どうした?」 沙織は、しきりに首を振った。 「……泣いてるのか? 喧嘩でもしたのか?」 鷹緒の問いかけに、沙織は首を振る一方だ。 「沙織?」 「……しないで……」 「え? 聞こえ……」 「優しくなんてしないで!」 沙織はそう言うと、鷹緒を押し退けて、部屋の鍵を開けようとする。そんな沙織の腕を、鷹緒が後ろから掴んだ。 「離して……」 そう言いながら、沙織は体を強張らせていた。時が止まったかのように、何も出来ない。 鷹緒は鷹緒で、どうしたらいいのかわからなくなっていた。ただ沙織の腕を掴んだまま、その先何をしたらいいのか、何を声かければいいのか、まるで浮かばない。 時間が止まった中で、カチャンと沙織の手首が回り、鍵が開いた。それを見て、鷹緒はゆっくりと沙織から離れる。 沙織は振り向いて、鷹緒を見つめた。涙に濡れた沙織の瞳は、すでに真っ赤に腫れている。鷹緒はそんな沙織を見て腕を掴むと、部屋のドアを開け、中へと入っていった。 玄関先で、二人はしばらく見つめ合ったままだった。 「……何が、あったんだ?」 しばらくして、鷹緒がそう口を開いた。その言葉に、沙織も我に返る。 「……鷹緒さんには、関係ない」 沙織の言葉に、鷹緒は押し黙った。 「帰ってよ……」 そう言う沙織に、鷹緒は目を伏せた。そこから動こうとしない鷹緒に、沙織は苛立って手を振り上げる。 「帰って!」 沙織の振り上げた手を、鷹緒は反射的に掴んでいた。沙織はそのまま涙を流す。鷹緒は沙織を見つめたまま、沙織の額に手をやった。大きな鷹緒の手が、沙織を包む。 「……熱なんかないよ」 「あるよ。おまえ、手、熱いじゃん……上がるぞ」 そう言って、鷹緒は沙織の手を掴んだまま、部屋の中へと入っていった。 鷹緒が沙織の部屋に上がるのは初めてだった。狭い部屋を見回すと、奥の寝室が目に入る。鷹緒は奥へと進んでいく。 「嫌だ、女の子の部屋に勝手に入らないでよ」 「なに、変なもんでも隠してあるのか?」 拒否する沙織に茶化すようにそう言った鷹緒だが、顔は真剣である。 そのまま鷹緒に、強い力でベッドに押し倒された沙織は、途端に布団を被せられた。鷹緒は寝室を出ていくと、洗面所でタオルを見つけ、濡らして寝室へと戻っていく。 寝室の沙織は、大人しくベッドに横になっていた。 「この間の、まるで逆だな……ほら、手退けろよ」 苦笑して鷹緒が言った。沙織は泣いているのか、両手で顔を隠している。沙織が手を退かそうとしないので、鷹緒は沙織の手の上にタオルを乗せた。 「冷たい……」 「おでこに乗っけろよ。俺の風邪が移ったのかな……ごめんな」 素直に謝る鷹緒に、沙織は小さく首を振った。 「……沙織。俺、どうしたらいい?」 少しして、静かに鷹緒がそう言った。どういう意味かわからずに、沙織がそっと鷹緒を見上げる。目が合った鷹緒は、真剣な眼差しで沙織を見つめている。 「帰ってほしいなら帰るよ。でも俺、おまえがいつもと違うから、心配なんだ……」 今日の鷹緒は、どこか素直に見える。そんな鷹緒に沙織が手を差し出す。それを見て、鷹緒もそっと手を握った。 「ごめんね。なんか今日、イライラしてて……」 沙織も素直に謝る。鷹緒を好きな気持ちに気付いたことで、沙織は鷹緒から逃げたかった。恋人であるユウにも悲しい思いをさせてしまい、どうしたら良いのかわからぬ苛立ちが、鷹緒にぶつけることで表れてしまっていたからだ。 「それはいいよ……それより、薬飲めよ」 鷹緒は風邪気味で常備していた、自分の風邪薬と水を差し出す。沙織はそれに応じて、薬を飲む。 「……だけど、何かあったんだろ?」 薬を飲んで横になる沙織に、鷹緒が尋ねた。 「ふふ。鷹緒さん、お父さんみたい……」 静かに笑って沙織が言った。鷹緒も優しく微笑む。 「そうだな……ここじゃ、おまえの保護者みたいだからな」 「……」 その時、沙織は突然起き上がり、鷹緒に抱きついた。 「……沙織?」 鷹緒は沙織を振り払うことも抱きしめることもなく、静かに尋ねた。沙織は抱きついたまま鷹緒を見つめ、そっと口を開く。 「苦しいよ、鷹緒さん……」 「え、おまえ、風邪……」 「どうやってももう、鷹緒さんと恋人になることは出来ないの……?」 その沙織の言葉に、鷹緒は一瞬、大きな瞬きをした。そして沙織を引き離す。沙織は熱に火照った体をし、腫らした目で鷹緒を見つめている。 「……からかうなよ。おまえには、トップスターがいるだろ?」 静かに笑って、鷹緒は立ち上がる。沙織はそのまま倒れるように眠りについた。
次の日。沙織が目を覚ますと、そこに鷹緒の姿はない。寝室を出ると、食卓となるテーブルに置き手紙があった。 “沙織へ。起きたらここに行くように。鍋の中におかゆあります” 手紙には鷹緒の字で、病院の名前と地図が書かれている。 沙織はガス台に置かれた鍋を覗いた。料理下手な鷹緒が作ったおかゆだけあり、決して美味そうには見えないが、沙織は嬉しかった。 「好き……です、鷹緒さん。好きです……好きなんだもん。しょうがないじゃん!」 おかゆを食べながら沙織が言った。鷹緒のおかゆは、少ししょっぱかった。
その夜。沙織は地下スタジオへと向かっていった。スタジオには、鷹緒の姿があった。 「沙織……」 鷹緒が驚いて言った。 「どうしたんだよ。病み上がりだろ?」 「うん。鷹緒さんに、会いたくて……事務所に行ったら、ここだって」 そう言った沙織は、どこか晴々としている。鷹緒は微笑み、口を開く。 「あとで、おまえのところに行こうと思ってた」 「そっか。でも、待てなかったんだ……」 「……なんで?」 「今、ユウと別れてきた」
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