沙織は目を見開いた。祖母伝手に聞く話とは、まるで違う現実感が伝わる。鷹緒は話を続ける。 「今まで散々勉強して、それなりに仲の良かった家庭だったのに、同じ家の中で新しい家族が生まれていくのを目の当たりにして、俺は邪魔者なんかじゃないかって……」 「……」 「べつに再婚相手が嫌だとか、そういうんじゃなかった。優しい人だったし、自分の子と俺を差別しないように接しようとしてくれてたと思う……だけど俺はやっぱり駄目で、家に帰らない日が続いた。親父は世間体を気にしてたから、俺を家から出さないようにしたけど、それは逆効果だ。俺も無茶やってたし、親父もとうとうさじを投げてね……それから、伯母さんの家に引き取られたんだ。親父の家系には、知られたくなかったんだろうな……」 鷹緒は淡々と話していた。互いに目も合わせず、独り言のように鷹緒の過去が溢れ出す。そんな話に耳を傾けながら、沙織は何も言えなくなっていた。 「それ以来、ほとんど親父には会ってないし、連絡も取ってない。籍抜いてくれたってよかったけど、それも出来ないのは、やっぱり世間体だろうな……まあ、勘当同然だ。だから俺も家族と思ってないし、正直どういうものを家族っていうのかわからないんだよな……」 「……」 「だから伯母さんの家で、まだ小さいおまえらと会った時……幸せそうでムカついた」 その言葉に、沙織は驚いた。 「え?」 「おまえらの家族は、俺が理想に描いてたような家族だった……優しい母親と、家族のために働く父親。仲のいい兄妹。夏休みの度に祖父母の家に遊びに来て、毎日楽しそうだった。そんなおまえたちが羨ましかったよ……いや、それが普通なのかもしれないけど、当時の俺にはまったくわからない世界だったから……」 「鷹緒……さん」 沙織はそう言いかけた。だがその先、なんと声をかければいいのかわからない。 そんな沙織を尻目に、鷹緒はベッドに寝そべった。 「憧れてた。そんな家族を作ることに……俺の家族は誰もいない。いるとすれば伯母夫婦だと思ったけど、それも違う。そんな時、理恵と会って……理恵が言った。『じゃあ、新しい家族を作ろう』って。でも駄目だったからな……」 寝そべった鷹緒を見つめ、沙織はその話を聞き続ける。 「なんか漠然としてるんだ。家族の記憶も薄れてて……おまえたち家族を見本にしようとしても、わからない。変にひねくれてて、あいつが離れていく時も、自分の方が邪魔者なんだって思ってた。あいつを追いかけることもしなかった。そんな俺が家族なんて求めちゃいけないんだって、後で気付いた……だからもう家族とかそういうのには、憧れないようにしてる……」 鷹緒の言葉に、沙織の目からは涙が溢れ出ていた。止め処なく溢れる涙に、沙織は顔を隠す。 そんな沙織に気付いて、鷹緒はもう一度起き上がった。ベッドのそばに立っている沙織は、声を潜めて泣いている。 「……暗くてつまらない話だろ?」 苦笑しながら鷹緒が言う。そんな言葉に、沙織は何度も首を振った。 「ごめんなさい。ごめんなさい……」 沙織は申し訳なかった。鷹緒にとっては思い出したくもない、やはり触れてはいけない過去なのだと痛感する。そんな鷹緒が自分のために話してくれたこと、それを聞いて泣いてしまう自分の不甲斐なさが、沙織を自暴自棄にさせる。 「ごめんなさい……」 泣きながらそう言う沙織に、鷹緒の手が触れる。長い指が、沙織の涙を拭った。 「……でも、べつに俺、自分が不幸だとか思ってないぞ? まあそんな境遇のおかげで、卑屈で格好悪い人間になっちゃったけど、家族が恋しいとか思ったのは十代のあの時期くらいだ。だから今、一人でもなんとも思わないし、ましておまえが泣くことは少しもないよ」 「うん……うん……」 しかし沙織の涙は、とどまることを知らない。そんな沙織に、鷹緒は静かに微笑んで、そばに投げ出してあったカバンから財布を取り出すと、一枚の写真を見せる。 「これ……」 涙で滲んだ目で、沙織はその写真を見つめた。そこには祖父母の家で見た写真とよく似た、幼い沙織と兄の雅人が写っている。こちらを向いて笑っている。 「この写真、俺の原点なんだ……」 鷹緒が笑ってそう言った。 「え……?」 「俺が高一の時かな……伯父さんに古いカメラもらって、いろいろ撮ってた。だけど被写体といえば風景とかしかなくて、人を撮る気にもならなかったんだ。だけど夏におまえたちが遊びにきて、コロコロ変わる表情が楽しくてさ……おまえが最高に笑った時、泣いた時、それを収めたくて楽しくなってた。それからカメラに興味が沸いてね……だから、これが俺の原点。沙織がきっかけなわけ」 鷹緒の言葉に、沙織は驚いた。 「この写真、持ち歩いてるの?」 「うーん、お守りみたいなものかな。カメラマン辞めようと思ったことは何度もあるけど、なんかこれ見ると、楽しいことしか思い浮かばないんだよな」 笑ってそう言う鷹緒に、沙織も微笑んだ。知らなかった事実に嬉しくなる。 「私が、原点?」 「そうだよ……すぐにカメラマンになろうとは思わなかったけど、興味が沸いてた時に、近くのスタジオでカメラマンアシスタントのバイト募集してて、そこでバイト始めたんだ。そこで茜の親父さんに会って、ヒロとも出会って。カメラの技術教わって、モデルの仕事までやらされて……まあいろいろあったけど、原点はやっぱりそこだな」 「ありがとう。嬉しい……」 自分を元気づけようと、そこまで話してくれた鷹緒に、沙織は微笑んだ。そう言う沙織の顔を、鷹緒が覗きこむ。 「……おまえは? 大丈夫なのか? 仕事とか……ユウとはうまくやってんの?」 突然、鷹緒がそう尋ねたので、沙織は頷いた。 「うん、平気。交際宣言してからは、マスコミもそんなに騒がなくなってきたし……時々嫌がらせとかはあるけど、ユウがちゃんと守ってくれるし、誰かそばにいるから平気だよ。仕事も順調」 「そっか。それなら一安心だ……頑張れよ」 笑ってそう言う鷹緒の手を、沙織が掴む。 「……鷹緒さんは? もう、頑張らないの? 家族に憧れなくたって、恋人くらい……」 沙織が言った。その言葉に、鷹緒は静かに微笑んだ。 「うん、頑張らない。頑張れない……もう、そういうことは考えられないんだ……」 その言葉は、沙織の心を貫くような衝撃があった。鷹緒が今まで傷ついてきた、深い傷跡が見えた気がする。もう恋に頑張れないほど、鷹緒は臆病になっている。それを知った今、沙織の瞳からはまた涙が溢れ出した。 「なんだよ。変なやつだな……」 その涙を見て、鷹緒が苦笑して言う。 「ごめんなさい……」 か細い声で沙織が言った。大声で泣きたい気分だった。しかしそれを抑えて、沙織は涙を流し続ける。 そんな沙織を、鷹緒は引き寄せた。ベッドにもたれこむ沙織を、そのまま抱きしめる。 「……泣き虫のままだな……」 「鷹緒さん……鷹緒さん!」 堰を切ったように、沙織は鷹緒に抱きついて泣きじゃくった。 「馬鹿だな……人の過去なんて覗こうとするからだよ。おまえは基本的には幸せなんだろ? そういうことに、免疫ないんだからさ……」 「ごめんなさい……」 「俺はもう、吹っ切ってるのにな……」 そう言う鷹緒の顔は、沙織には見えなかったが、きっと辛そうにしているに違いない。
しばらくして、鷹緒は沙織を引き離した。沙織は大分落ち着いた様子で、腫らした目を拭いながら、鷹緒を見つめる。 「……大丈夫か? 泣かせて悪かったな」 鷹緒の言葉に、沙織は首を振る。 「ごめんなさい……」 「いいよ……それより、いい加減、もう帰った方がいい」 「うん……ごめんね。熱があるのに……」 「何を今更……大丈夫だって」 笑って鷹緒が言う。沙織はベッドから降りると、頭を下げた。 「いろいろ、ごめんなさい」 「もういいよ……気を付けて帰れよ」 「うん、ゆっくり休んでね。病院にも……」 「わかった。明日行くから、心配すんな」 「うん。じゃあ……」 「おやすみ」 「おやすみなさい……」 鷹緒を寝室に残して、沙織は鷹緒の部屋を出ていった。 まだドキドキしている。これは一時の感情ではない。鷹緒のことを思えば思うほど息苦しい。沙織は懐かしいまでのこの気持ちに、自分の本心に気付かざるを得なかった。 「どうしよう。今はユウがいるのに……鷹緒さん……鷹緒さん!」 また止まらない涙を流しながら、沙織は家へと帰っていった。
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