鷹緒のマンションに着いた沙織は、少しドキドキしながら部屋の呼び鈴を鳴らした。 「はい」 中から面倒臭そうに、鷹緒が出てくる。沙織は預かった封筒を差し出し、久しぶりの鷹緒の顔を眺めた。 「あの、ヒロさんから預かって……」 「うん、聞いた。ったく、明日取りに行ってもよかったのに……」 「でもヒロさんが、明日わざわざ来なくて済むようにって」 「んー、サンキュー」 鷹緒は封筒を受け取るが、それ以上何も言おうとしない。そんな鷹緒に、沙織は眉を顰めた。 「お茶でもどうぞとか、ないの?」 「なんで? 届けに来ただけだろ?」 すかさず鷹緒が言い返す。 「……もういいです」 沙織はムッとしてそう言った。なぜあれほどまでに鷹緒が好きだったのか、わからなくなるような仕打ちに見えた。 「……上がれよ」 そんな沙織に、軽く溜息をつきながら鷹緒が言う。 「いいです」 「いいから、上がれ。話がある」 鷹緒は強引に沙織の腕を掴むと、中へと引き入れた。 「イタ……」 「入れよ」 そう言って中へと入っていく鷹緒に、沙織は仕方なく後に続いた。数年ぶりの鷹緒の部屋は、以前とほとんど変わっていないようだ。 「……おまえ、いくら頼まれごとの仕事でも、男の部屋にホイホイ来んなよ」 リビングに着くなり、強い口調で鷹緒がそう言った。思わぬ言葉に、沙織は驚いた。 「え……」 「ヒロにも俺から言っておくけど、俺だって親戚とはいえ、男なんだ。それに、おまえはただでさえBBのユウとつき合ったり、世間に目立つことしてんだから、こういうことさえスキャンダルで命取りになったりするんだよ。気を付けろよな」 そこで沙織は、初めて鷹緒の言葉を理解した。 「うん。ごめんなさい……」 沙織は素直に謝ると、言葉を続ける。 「でも、そんなに強く言うこと……」 そんな言葉を背中で聞きながら、鷹緒は冷蔵庫から缶コーヒーを取り出し、沙織に差し出した。沙織はそれを受け取って、思わず微笑んだ。 「……なに?」 笑っている沙織に、首を傾げて鷹緒が尋ねる。 「ううん。全然変わらないなって思って」 「なにが?」 「缶コーヒーが、冷蔵庫にぎっしり入ってるところとか」 沙織の言葉に、鷹緒も苦笑した。 「……ついついね」 鷹緒はそう言うとソファに座り、缶コーヒーを口につけた。沙織もそれに続いて別のソファに座り、コーヒーを飲む。すると視線の先に、本棚に入っているレンズのない眼鏡が見えた。 「あっ!」 思わず叫んだ沙織を、鷹緒は怪訝な顔をして見つめる。 「なんだよ……」 「忘れてた! この間、おばあちゃんの家に行ったよ」 その言葉に、鷹緒は一瞬きょとんとした。 「ふうん……それで?」 「それでって……いろいろ聞いちゃった。鷹緒さんが、あそこに住んでたこととか」 「ん……元気だった? 伯父さんも伯母さんも……」 少しバツが悪そうにしながら、鷹緒が尋ねる。 「うん。でも、連絡くらいしてあげたら? 全然連絡くれないって、ちょっとグチってたよ、おばあちゃん……母親代わりなんでしょ?」 「……どこまで聞いたんだよ……」 顔をしかめてそう言いながら、鷹緒はソファに寝そべった。沙織は渋い表情の鷹緒に首を傾げながらも、祖母に教えてもらたことを思い出す。 「どこまでって……高校時代に、おばあちゃんの家に引き取られて住んでたとか、カメラを始めたきっかけは、おじいちゃんだとか、その程度かな」 「ふうん……なに、家族と行ったの?」 「うん。私もすごく久しぶりだったんだ。今までお父さんも仕事で忙しかったし、お兄ちゃんや私も受験とかなんだで行けなくて……今年はお父さんも私も同時期にお盆休みもらえたし、お兄ちゃんも帰ってくるってことになったから。一泊だけど、すごく楽しかったよ」 「そうか……」 鷹緒はそのまま、目を閉じた。 「鷹緒さん。寝ちゃうの?」 「いや、なんかだるい……」 「……寝るなら、寝室行った方がいいよ。私ももう行くよ……」 そう言って、沙織は立ち上がった。 「ああ……」 沙織の言葉に起き上がるものの、鷹緒はソファに座ったまま目を閉じて、呼吸を整えるように深呼吸している。その様子を見て、沙織は鷹緒に近付いた。 「具合悪いんですか? だるいって……」 「ああ、平気。いつものことだから……」 「いつものことって……熱は?」 沙織が鷹緒の額に手を近付ける。一瞬触れた額には、じわりと汗が滲み、とても熱かった。 「いいって!」 そんな沙織の手を、鷹緒が払い除けた。沙織は口を開く。 「よくないよ! すごい熱じゃない。ごめんなさい、気付かなくて……一緒に病院行こうよ。確か、近くに救急病院……」 「いいよ。明日行くから……」 「……絶対行かないでしょ」 「よくわかるな」 笑って鷹緒が言う。沙織はめげずに、鷹緒の腕を掴んだ。 「いいから、行こう」 「ただの風邪だよ」 「ただの風邪でも駄目」 「うるさいな……おまえに関係ないだろうが。さっさと帰れよ」 うんざりした様子で鷹緒が言った。その言葉に、沙織はカッとなる。 「関係ないわけないじゃない! 私は鷹緒さんの親戚だよ。それに私まだ、鷹緒さんのこと好きだもん!」 とっさに出た言葉に、鷹緒も驚いたが、沙織自身も驚いていた。ユウとつき合い始めてから、鷹緒のことを意識したことはほとんどない。それは鷹緒が帰国してからも変わることのなかったことで、沙織には、鷹緒のことは過去の話になっていたはずだった。 「あっ……違う。好きっていっても、恋とかそういうんじゃなくて……」 言い訳のように沙織が続けた。沙織の心臓はバクバクと音を立てるように、激しく動いている。そんな沙織に、鷹緒が笑った。 「馬鹿だな。本気にするかっての」 そう言う鷹緒に、沙織は少し傷ついた。だが焦りを隠すように、沙織は言葉を並べる。 「と、とにかく、追い出そうとしたって駄目よ。病人は病人らしくしてなさい。じゃあ、病院へは明日連れて行くとして、今日はもう寝なきゃ駄目だよ。はい、早く寝室行って」 沙織は鷹緒の服を軽く掴んで、寝室へと連れていった。そして鷹緒をベッドに寝かせると、濡れたタオルを額に乗せてやり、市販の薬を飲ませてやる。 「今日はこのくらいしか出来ないけど、明日は病院行ってね。私もついていってあげる」 横になった鷹緒に、沙織がそう言った。 「いいよ……子供じゃないし、一人で行ける」 「一人だったら行かないでしょ。そのくらい、わかるもん」 「ハハ……そっか。沙織、お母さんみたいだな」 軽く笑いながら、鷹緒がそう言った。沙織の脳裏に、知る限りの鷹緒の過去が浮かぶ。実の母は亡くなり、厳しい父と再婚相手。再婚相手に子供が生まれた時、鷹緒はどんな気持ちだったのだろう。両親が当たり前のようにいて、喧嘩しつつも仲の良い兄を持つ沙織は、想像するだけで寂しくなった。沙織の心は、重く沈む。 「……沙織?」 そんな沙織に、鷹緒が声をかけた。我に返って、沙織は鷹緒を見つめる。 「え? あ、ごめんなさい……なんか、ぼうっとしちゃった」 「大丈夫か? 風邪、移るなよ」 「うん、平気。そういうんじゃないし……」 そう言いながらも心が晴れるはずもなく、沙織は黙りこんだ。鷹緒は沙織を見つめると、静かに微笑んで口を開く。 「……本当にどうした?」 目を泳がせながら、沙織は思い切って尋ねることにした。 「こんな時に……変なこと聞いてごめん。でも、すごく気になって……」 「なに?」 「……鷹緒さん、家族には会ってるの?」 沙織が尋ねた。本当は違うことが聞きたかった。子供の頃の心境を聞いてみたかった。鷹緒がどんな少年時代を過ごしたのか、鷹緒の口から聞いてみたい。 だが、鷹緒の過去を聞くことは禁句だと思った。それなのに聞いたのは好奇心に過ぎなかったが、沙織は鷹緒を好きだった頃のように、鷹緒のすべてが知りたいと思った。 「……なんで、そんなこと?」 怪訝な顔をして、鷹緒が尋ねる。素直に返事をもらえなかったことで、沙織は諦めがついた。 「ごめん。やっぱり、なんでもない……」 「……伯母さんに、何か言われたのか?」 ゆっくりと口を開き、鷹緒が尋ねる。 「え?」 「何か知ったから、聞きたいんじゃないの?」 鷹緒は起き上ると、曲げた膝に頬杖をついて沙織を見つめた。その目は綺麗だが、どこか寂しそうで、目を逸らせないほど鋭く沙織を貫いている。 「知ったっていうか……私ね、家族の大切さとかってあんまり考えたことなくて……鷹緒さんから家族の話とか聞いたことないし、おばあちゃんと一緒に暮らしてたこと聞いて、もし私が鷹緒さんと同じ境遇だったらって考えちゃうんだけど、想像つかないっていうか……」 正直に沙織はそう話した。鷹緒に見つめられ、何を言ったらいいのかわからず言葉にはなっていなかったが、それを聞いて鷹緒は静かに微笑んだ。 「……俺の親父が、政治家だってのは知ってる?」 「うん、聞いた……」 鷹緒の言葉に、沙織は頷く。 「親父は昔から厳しくて、成績が少し下がったくらいでも、めちゃくちゃ叱られた……それでも、母親がいた頃は全然よかった。厳しいのは当たり前だったし……でも母親が死んで、親父が再婚して、子供が生まれて……その時、思ったんだ。『ああ、俺は何のためにここにいるんだろう』って……」
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