「あー、もう。帰国早々、俺の手を煩わせるな、おまえは」 広樹を軽く背負いながら、鷹緒が言った。広樹はひどく酔っている。 「だって、久々だからさあ。ねえ? 沙織ちゃん」 「ハイハイ。うう、寒い……あ、タクシー!」 タクシーに向かって鷹緒が手を上げた。そして止まったタクシーに、広樹を乗せる。 「ヒロ。行き先言えるな?」 「うん、じゃあね」 広樹はそのまま、タクシーで去っていった。 「ったく……」 「あはは。相変わらずだね、ヒロさんも」 笑って沙織が言った。そんな沙織に、鷹緒も微笑む。 「ああ、おまえもタクシーで帰れよ。今、拾うから」 「鷹緒さんは? あのマンションに戻るの?」 「今日はビジネスホテルでも行くよ。うちは二年半そのままだから、帰って早々掃除とか面倒だし」 鷹緒はそう言うと、タクシーを拾おうと道路を見つめる。そんな鷹緒に、沙織が口を開いた。 「私はいいよ。この近くだから、歩いて帰れるし」 「ああ、一人暮らししてんだっけ? でももう遅いし」 「大丈夫だって」 「……じゃあ、送るよ。俺も一旦、荷物取りに事務所に戻らなきゃいけないし……」 「……うん」 二人は、沙織の家まで歩き出した。変わらぬ鷹緒の優しさが、沙織の心に沁みる。 「……茜さんは、元気?」 しばらくして沙織が尋ねた。 茜はともに鷹緒を好きだった、恋のライバルである。鷹緒とともにニューヨークで過ごしていたはずだが、音沙汰もない。 「さあ、元気じゃない?」 「え? だって、一緒に仕事してたんじゃ……」 「それは最初の数ヶ月だけ。それからあいつ、知り合いの仕事でパリに渡って、今はドイツ辺りにいるらしいよ。近々結婚するらしいし」 鷹緒の言葉に、沙織は飛び上がるほど驚いた。 「ええ! 誰と?」 「向こうで知り合ったやつだろ?」 「だ、だって、茜さん……」 「ハハ。信じらんねえよな。あれだけ俺に体当たりしてきたくせに、あっち行って数ヶ月もしないうちに恋人出来て、運命の人だって言ってたよ」 苦笑しながら鷹緒が言った。ライバルがいなくなり、沙織は嬉しいような悲しいような思いになる。 「へえ。そうなんだ……」 「結婚するらしいから、あいつの親父さんからとりあえず解放されたわけ。今は親父さんも、ドイツに様子を見に行ってる。まあ茜のことだから、そのうちひょっこり顔出して、挨拶しにくるよ」 「……寂しくない? 慕ってくれた人が、結婚しちゃうなんてさ……」 思い切って沙織が尋ねた。そんな沙織に、鷹緒は笑う。 「ハハ……喜ばしい限りですよ」 「ふうん、そういうもの……じゃあ、私がユウとつき合ってることも……」 「ん?」 「う、ううん。なんでもない。あ、うちはそこです……」 続く言葉を飲み込んで、沙織は数軒先のマンションを指差して言った。小さいが表通りに面し、セキュリティもしっかりしているようだ。 「あ、お茶でも……」 「いい。恋人以外の男を、絶対中には入れるなよ」 言いかけた沙織に、鷹緒が拒否して言った。 「う、うん……」 「じゃあな。早く中入れよ」 「うん……鷹緒さん、本当にこれからは、ずっとこっちにいるんだよね?」 確認するようにもう一度、沙織が尋ねた。鷹緒は頷き、微笑む。 「ああ、とりあえずはな」 「うん……じゃあ、またね」 「ああ。おやすみ」 沙織が中へ入るのを確認すると、鷹緒は事務所へと戻っていった。
部屋に入ると、沙織は嬉しさに思わず顔をほころばせた。鷹緒が帰ってきた。そう思うと、心が弾んで仕方がない。その時、カバンの中で携帯電話が震えた。 「あ、忘れてた!」 沙織はカバンを漁ると、携帯電話を取り出す。鷹緒との再会に、携帯電話の存在すら忘れていた。画面を見ると、いくつかメールが来ているのがわかる。 「ユウから二回もメールあったんだ……」 “こっちは終わりました。諸星さんに今日来てくれたお礼、伝えておいてください” “盛り上がってるのかな? もう遅いので今日は寝ます。おやすみ” 沙織はすぐに返信する。 “気付かなくてごめんね。今帰りました。ヒロさんと鷹緒さんと三人で話してました。久々にいろいろ話して盛り上がったよ。遅くなってごめんね。おやすみなさい” そう返信すると、沙織はベッドに寝そべり、携帯電話のデータを呼び起こす。さっき撮ったばかりの、鷹緒と広樹の写真があった。 「本当に、帰ってきたんだ……」 沙織はそのまま、眠ってしまった。
次の日の早朝。鷹緒に会いに、沙織は事務所へと向かっていった。まだ事務所が開いて間もない時間だが、事務員が群がっている。案の定、その中心には鷹緒がいた。 「鷹緒さん、おかえりなさい! 帰って早々、事務所で寝泊りなんて、なにしてんですか」 「よかった、変わってない。でも、ちょっと痩せたんじゃないですか? 向こうの料理、合わなかったですか?」 事務員がそれぞれに、鷹緒に言う。 「おまえら、うるさい。二日酔いで寝起きだってのに……」 「あははは。相変わらずだなあ」 その時、沙織の後ろに人影があった。副社長の理恵である。それを見つけた鷹緒が、優しく微笑んだ。 「ただいま」 鷹緒が声をかける。 「おかえりなさい」 理恵はそう言いながら、鷹緒に近付いていく。鷹緒は一同を見つめ、立ち上がった。 「みんなも相変わらず元気そうで安心した……じゃあ俺、一度家帰るから」 そんな鷹緒に、理恵が声をかける。 「あ、部屋だけど、スタジオの掃除の日に、ついでにちょこちょこ掃除しておいたから。細かいところまでは出来てないけど、それなりに綺麗のはず」 「ああ、マジで? サンキュー、助かる。これから大掃除しなきゃいけないと思ってた。じゃあ風呂でも入って、挨拶回り、済ませてくるよ」 「帰国早々、挨拶回りですか。仕事人間だなあ」 事務員たちが鷹緒に向かって、口々にそう言った。 「当然、常識。じゃあ、今度ゆっくりな」 鷹緒はそう言うと荷物を抱え、入口のところに居る沙織に近付く。 「入らないの?」 「あ……ううん」 「じゃあ、またな」 沙織の肩を軽く叩くと、鷹緒は事務所を出ていった。
その日から、鷹緒は二年半前と変わらず、仕事に明け暮れる日々を送っていた。沙織にとって違うことは、自分の周りの環境だけ。そこに鷹緒が違和感なく入ってきたように、二年半の月日を越えて、新たな日々が始まっていった。
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