三月。まだ寒さが残る夜、東京のとあるコンサートホールでは、BBのコンサートが行われていた。寒さも感じさせぬ熱気ある会場では、一人でユウの姿を見守る沙織の姿があった。 関係者席を用意されていたものの、周りは関係者を利用してやってきた、熱狂的ファンの子が多いようだ。沙織は帽子を目深に被ると、マフラーに顔を埋めて、コンサートを見つめていた。 恋人の姿はスポットライトを浴びて輝き、この時だけは沙織の恋人ではないと感じさせられる。 「今日はみんな、ホントにありがとう! これからもよろしくねー!」 ユウが叫ぶと、ファンたちも叫ぶ。アンコールを終えると、BBたちは袖の奥へと消えていった。 会場が明るくなり、ざわざわと人の波も会場を出ていく。沙織はゆっくりと立ち上がると、人の波へとついていった。関係者席という区切られた席なので、帰り道も比較的スムーズだ。 「ヤベ。携帯落としたっぽい!」 前を歩いている少女が、突然振り向いてそう言った。人波に逆流するので、後ろにいた沙織は突き飛ばされるように倒れこんだ。 「あ、ごめんなさい!」 前にいた少女は素直に謝り、沙織を見つめる。沙織は首を振って立ち上がると、少女の驚く顔に気が付いた。 「あんた……小澤沙織!」 少女の言葉に反応して、前を歩いていた人たちが一斉に振り向く。 「えー、なに? 彼氏利用してビップ席かよ」 「意外とブサイクー」 一気に罵声が飛ぶ。沙織は目をきょろきょろさせて一礼すると、もと来た道を戻ろうとした。 「待ちなさいよ。なに逃げようとしてんの?」 気が付けば、沙織は一気にBBファンたちに囲まれていた。マスコミよりもなによりも、ファンたちが恐く見える。 「なに、その顔。何もしないって」 ファンたちはそう言いながらも、沙織の腕を掴んで床へと引き倒し、沙織の帽子やマフラーをはぎ取るようにする。 「これ、変装のつもり? バレバレだから」 「BBファンに一言ないの? ユウ取ったくせにさ」 「……取ってないです」 静かに、沙織が言った。 「あ?」 「べつに、あなたたちから取ったんじゃない。私たちは真剣に……」 「うざいんだけど!」 反論した沙織に向かって、ファンの一人が足を蹴り上げる。 「何してんだ!」 その時、そんな声とともに、警備員が駆けつけた。 「べつに何もしてませーん。転んだ人がいるだけでーす」 逃げる様子もなく、ファンたちはそのまま去っていった。 「おい、大丈夫か?」 そう言う男性の声に、沙織は顔を上げる。沙織の目には、信じられない人物が映った。 「た、たっ……鷹緒さん?!」 沙織の目の前には、沙織の顔を覗き込む鷹緒の姿があった。二年半ぶりの再会であるが、沙織は急な出来事に、状況を把握出来ない。 「ただいま」 そんな沙織に反して、笑みを浮かべ、鷹緒が反応を楽しむかのようにそう言った。 「お、おかえり……なさい……」 思わず沙織もそう返すが、未だ目の焦点すら合わない様子だ。 「なに、アホ面してんだよ。帰国早々、元気そうなところ見せてくれんじゃん」 不敵な笑顔とともに変わらぬ口調の鷹緒は、二年半前より少し痩せ、更に大人っぽく見える。 「ど、どうして? ニューヨークにいたんじゃ……」 「十数時間前までな。ほら、立てるか?」 鷹緒に支えられ、沙織が立ち上がる。しかし、コンクリートの床に倒れ込んだため、スカートから覗く膝からは、血が出ていた。 「痛っ……」
救護室に向かった二人。沙織はそこで軽い処置を受け、もう客が誰も居なくなった会場へと戻っていった。 「楽屋、行くんだろ?」 鷹緒はそう言って、沙織を促す。沙織には、まだここにいるのが鷹緒だということが信じられない。 「なんか、信じられない……」 「あっそ。じゃあ置いてくぞ」 スタスタと楽屋へ向かう鷹緒に、沙織は慌ててついていった。 「諸星さん!」 楽屋でのユウを初めとするBBの反応も、沙織と同じだった。 「本物ですか? いつ帰ったんですか。そんな噂、全然……」 「さっきだよ。まあ、急だしね……」 「うわ。帰国したてで僕らのコンサート来てくれたなんて、感激だな」 感激した様子でユウが言った。鷹緒は苦笑すると、からうかうように口を開く。 「それより、うちの可愛い親戚が、君のせいで怪我したんだ。つき合ってるんなら、ちゃんとファンも納得させて欲しいね」 「えっ、ファンの子が沙織に怪我を……って、諸星さん、僕らがつき合ってること、知って……?」 「そりゃあ、知ってるよ」 「ど、どうして? ヒロさんには……」 驚いた沙織が、二人の会話に入って言った。鷹緒は苦笑する。 「口止めしてたんだろ? でも日本でのニュースは嫌でも耳に入るし、おまえは俺の親戚だしな。ヒロも教えてくれたよ」 「ヒロさんってば、約束が違う……」 「当然だろうが。じゃあ、俺は事務所に行かなきゃならないんで。沙織はここにいるだろう?」 鷹緒が沙織に尋ねる。 「あ……」 「今日は諸星さんと一緒に帰りなよ。久々の再会でしょ? 後でメールするから」 ユウの言葉に、沙織は静かに頷いた。ユウも頷くと、鷹緒を見つめる。 「諸星さん、しばらくはこっちにいるんですよね?」 「そのつもりです」 「じゃあ、また僕らの写真撮ってくださいね。沙織を頼みます。今日はありがとうございました」 「こちらこそ、お邪魔しました。お疲れさま」 鷹緒はそう言うと、沙織とともに会場を後にした。
「びっくりしちゃった。全然帰ってくる気配なかったんだもん。一度メールくれたきりで、全然音沙汰ないし……」 タクシーの中で沙織が言う。鷹緒は空港から直に来たようで、大きなスーツケースをトランクに収めている。 「向こうで区切りついたから。ったく、二年契約だったのに、ずるずる引っ張りやがって……」 「じゃあ、もうこっちにいられるんだね?」 「ああ、そのつもり」 「よかった……」 沙織はそう言ったところで、ハッとした。思わず出た「よかった」という言葉だが、沙織自身にも説明しがたい安心感があった。
「本当、急だよな、おまえは」 事務所で合流した広樹が、飲み屋でビールを飲みながらそう言った。広樹の前には、鷹緒と沙織が並んで座っている。 「俺も突然解放されたんだよ。ベテラン写真家にね」 「それって、鷹緒さんの師匠っていう、茜さんのお父さんの?」 苦笑している鷹緒に、沙織が尋ねる。 「ああ。向こうでも散々振り回されたけど、いい経験になったよ」 「そうみたいだな。また腕上げたんじゃないのって、いくつかの編集者からも言われたよ」 広樹が言った。鷹緒は軽く微笑んで口を開く。 「日本じゃないからよく見えるだけだろ。でも、こっちも仕事を兼任出来てよかったよ。まさか向こうでこっちの仕事が出来ると思わなかった」 「売れっ子だからな、おまえは」 前と変わらぬ鷹緒と広樹の会話に、沙織は嬉しさを噛み締めながら二人を見つめていた。 「それはそうと、沙織も出世したな。ファンに詰られるほど、ユウとの仲が表沙汰になってるとは知らなかった」 からかうように、鷹緒が沙織に言った。 「か、からかわないでください。私だって、あんなに囲まれたのは初めてだよ。でもグッドタイミングだったね。どうしてわかったの? 私があそこにいるって……」 「俺、途中から入ったんだけど、おまえが居た関係者席の反対側で見てたんだ。ヒロからおまえがコンサートに行ってるって聞いてたし、すぐにおまえのことは見つけたんだけど、反対側だしコンサートの最中だから声かけられなくてさ。終わってから追いかけたら、あんなことになってるだろ? 急いで警備員呼んで、駆けつけたってわけ」 「ひどい。もっと早くに声かけてくれてたら、あんなことにはならなかったのに……」 「馬鹿言うなよ。おまえがさっさと出ていくのが悪いんだろ?」 「だって……」 「あははは。久々の再会は楽しいな。さあ、今日はじゃんじゃん飲もう。僕の奢りだからね」 楽しげなひとときに、広樹が言う。 「じゃあ、日本酒追加ね」 「ハイハイ。じゃんじゃんどうぞ」 三人は遅くまで盛り上がっていた。
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