それから数ヵ月後、沙織は無事高校を卒業し、都内の短期大学へ通うこととなった。それと同時に、本格的に芸能活動をするため、事務所近くに一人暮らしを始める。 「よし。これでなんとか暮らせるかな」 最後のダンボールを片付け、新居となる部屋を見渡して、沙織が言った。すると、携帯電話が鳴る。 「はい。あ、ユウ?」 電話の相手は、未だ順調に続いている、恋人のユウである。二人はもう、呼び捨てで呼び合える仲となっていた。今では、たまに二人きりで食事に行ったりもしている。 『沙織? 引越しは終わった?』 「うん、今」 『ごめん。手伝えなくて』 「いいよ、そんなの。それに、ユウが引越し手伝う姿なんて、想像つかない」 笑って沙織が言う。それにつられるように、ユウも笑った。 『あはは。そうかな? それより今日、久々に早く終わりそうなんだ。一緒に食事でもしない?』 「うん、するする!」 『じゃあ迎えに行くよ。七時半に』 「オーケー。あとでね」 沙織は電話を切った。つき合ってみると、ユウは普通の男性で、人気歌手とはまったく違った顔を見せる。そんなユウが、たまらなく愛しかった。
「今日はコンサートの打ち合わせがあったんだけどさ、企画目白押しできっと楽しくなると思うよ。コンサートには、沙織も来てくれるよな?」 ユウの部屋で、ユウが沙織にそう言った。 二人のデートは、ユウの部屋で過ごすことが多かった。外だと目立つ上、リスクも大きい。ユウの住むマンションは、オートロックで駐車場も地下のため、そうそう人に会うことはなかった。駐車場に出入りの際は、沙織が体を隠しておけばバレることはないのだ。そんな他人にはあまりない苦労を抱えながらも、二人の交際は順調だ。 ユウの話を聞きながら、沙織は笑って頷く。 「もちろん行くよ。今回のコンサートも、楽しくなりそうだね」 「うん、頑張るよ。ああ、そういえば諸星さん、もうニューヨークに行って二年じゃない? そろそろ帰ってくるんじゃなかったっけ?」 突然、ユウがそう尋ねた。 久しぶりに聞く鷹緒の名前に、沙織の目が一瞬揺れた。だが、前よりその情熱は確実に薄れてしまっている。 「ああ、うん。わかんない。私には全然連絡くれないから。でも、この間ヒロさんが、少し長引きそうって言ってた……」 「そう、長引くんだ……」 ユウが残念そうに言ったので、沙織は微笑んだ。 「ユウは本当に鷹緒さんのこと、尊敬してるんだね」 「うん、まあね。僕は前から趣味で写真をやってたんだけど、あの人の写真はずっとすごいって思ってたんだ。こっちは被写体だけど、思った以上にカッコよく撮ってくれるしさ。気持ちがいいんだ、撮ってもらうと」 「うん……わかる」 沙織もその経験者であった。鷹緒は、沙織がカメラの前で緊張していても自然と解してくれ、仕上がった写真は別人のように写っている。そんな鷹緒の腕に惚れこんでいる人が、ユウ以外にも多くいるということは、沙織にも理解出来る。 「諸星さんに、言ってないんでしょ? 僕らがつき合ってること……」 「うん……会話もろくにしてないからね」 「じゃあ、知ったら驚くだろうな」 「そうだね……」 二人は笑った。 「……寂しくない?」 その時突然、ユウがそう尋ねた。その意味がわからず、沙織が聞き返す。 「え?」 「だからさ、諸星さんがいなくなって、寂しくない?」 「どうして? 私たち、ただの親戚だもん……」 「でも、好きだったんでしょう?」 ユウの言葉に、沙織は驚いた。 「……どうして?」 「知ってるよ。見てればわかるもん。前に沙織をコンサートに誘った時、沙織ってば、僕らよりも諸星さんとばかり話してたし、態度がね」 「あ、あれは緊張してたんだよ。BBのコンサートだし、楽屋まで入れてくれたから……」 赤くなって沙織が言う。 「僕はその頃から、沙織のことが気になってたんだけどな……」 ユウの悪戯な瞳に、沙織が真っ赤になって天井を見上げる。そして一つ咳払いをすると、ユウを見つめた。 「でも、もう昔のことだよ?」 沙織の言葉に、ユウは嬉しそうに微笑んだ。 「よかった……ずるいかもしれないけど、諸星さんが日本を離れたって聞いて、チャンスかなって思ってたんだ。あれから会う機会も全然なかったからアタック出来なかったけど、こうして沙織とつき合えてよかった」 正直なユウの言葉に、沙織は恥ずかしそうに微笑みながらも、首を傾げた。 「どうして? ユウはモテモテなのに。鷹緒さんと張り合うことないじゃない」 「いやあ、確かに僕はモテモテだよ。だけどあの人、大人じゃない? 仕事面の姿勢や技術だけじゃなくて、男としていろいろ尊敬出来る人だと思う。そんな人のことを好きな子を、どうやったら振り向いてもらえるのか、結構真面目に考えてた」 「変なの。天下のBBのリーダーなのに」 弱気なユウの言葉に、沙織が吹き出して言った。ユウも微笑む。 「変かな? 僕はただのユウだよ」 「うん。今はわかる」 二人はそっとキスをした。
それから数ヵ月後――。 鷹緒が日本を発ってから、二年半が過ぎようとしていた。二年契約で行ったものの、鷹緒が帰る気配はないが、日本でも鷹緒の写真が多く起用され続け、ニューヨークに居ながらにして、仕事に不自由しない状況になっていた。
「へえ。じゃあ、諸星さん、全然帰って来る気配がないんだ?」 いつものようにユウの部屋で、沙織はユウと話をしていた。もう真夜中の時間である。 沙織は口を尖らせ、頷いた。 「うん。事務所の人が言ってた……もう知らない。私には、全然連絡してくれないし」 「ハハハ。あの人、そういうのマメじゃなさそうだよね……あ、沙織」 突然、ユウが窓の外を見て言った。 「え?」 「雪!」 「わあ、本当だ! どうりで寒いはずだね……」 二人は揃って窓の外を見つめた。外は二月も終わりで、今の時間は特に冷え込んでいる。 「寒いね……」 そう言う沙織の肩を、ユウはそっと抱き寄せた。 「うん……戻ろう」 そう言って、二人はリビングの中心へと戻っていく。めったに会えない二人だが、二人きりのこの時間だけが、すべてを繋ぎとめるような、絶対の時間であった。
数日後。マスコミの嵐が、再び沙織を襲った。またもスクープ雑誌が、ユウと沙織の熱愛を報じたのである。すでに一度沈下されたスキャンダルは、再び一気に燃え上がった。
「すごいハッキリ出ちゃったわね……」 事務所では、理恵が頭を抱えてそう言った。写し出された写真には、沙織とユウが、ユウの部屋で寄り添っている写真が写っている。それは数日前に二人で雪を見上げた、その時の写真であった。 「どこからこんな……」 沙織も溜息をついて言う。 「張り込んでいたのね。まあ、今まで何度か報じられはしてたけど、その度にすぐに沈下出来ていたのが不思議よね。BB側の事務所のおかげだろうけど。でも今回は……」 その時、事務所の電話が鳴った。 「もう! 今日は鳴りっ放しだわ」 「ごめんなさい……」 虚ろな目をしながら沙織が謝る。前回とは二人の関係も立場も違うが、どうしていいのかわからなくなる。 その時、事務員の牧が理恵に手招きした。 「理恵さん。BB事務所の社長さんからお電話です」 「はい」 理恵はすぐに電話に出る。 『お電話代わりました。副社長の石川です。はい、あいにく社長は席を外しておりまして……』 話を続けている理恵を尻目に、沙織は自分の出ているスクープ記事を見つめた。そこには、はっきりと自分の姿が写し出され、ありもしない噂が書き立てられている。 「沙織ちゃん。電話、代わって」 その時、理恵がそう言ったので、沙織は受話器を受け取った。 「もしもし……」 『沙織?』 受話器の向こうから聞こえたのは、ユウの声であった。その声を聞いた途端、沙織は安心すると同時に、泣きたくもなる。だがそれを堪えて、沙織は口を開いた。 「ユウ?」 『うん。沙織、大丈夫? 今、うちの社長と、君の事務所の副社長さんで話をしてもらった。今回のことは、前とは状況が違うだろう? 君も高校生じゃないし、新人モデルでもないんだ。それに、僕と正式につき合ってる。僕、ずっと考えてた。みんなに君との交際を公表しようって……君さえよければ、記者会見するよ。一緒じゃなくていい。僕がやる』 ユウの決意に満ちた言葉だった。 「ユウ……」 『正直言うと、公表したからどうってことじゃないと思うんだ。仕事にだって影響するかもしれない。だけど、このまま隠し通すよりは、僕は公表したい。隠れてコソコソ会うんじゃなくて、君とちゃんと向き合いたいんだ。公表すれば、悪いこともあるかもしれないけど、少なくともマスコミは、しばらくすれば引くと思うし、もう隠す必要もなくなる。君さえよければ、すぐにでも記者会見を開こうと思ってる』 ユウの言葉に、沙織は泣けてきた。 「うん、私も……もう、隠れて会うのは嫌……」 沙織はやっとそう口にした。 隠れて会うのは当たり前だと思い込んでいた。ユウはみんなのユウであると思っていた。しかし、ユウの方が公表したいと言ってきたのは、沙織を愛してくれている証拠だと思う。 『じゃあ、今夜にでも記者会見を開くと思う。しばらくは沙織のところにもマスコミが行くと思うけど、沙織はあんまりマスコミ慣れしてないんだし、無理はしないで。またしばらくは会えなくなるかもしれないけど……すぐに会えるよ』 「うん……」 『じゃあ、また……』 「ユウ。ありがとう……」 『ううん。じゃあね』 二人は静かに電話を切った。 それから沙織は、自分の不甲斐なさを恥じた。自分はユウのように強くもない。実際、自分が記者会見などを出来る度量ではないことは、よくわかっている。また迷惑をかけ通しだった事務所の人たちは、一言も沙織を責めることなく、沙織を全力で支えてくれている。そんな中で沙織も、もっと成長しなければならないと、焦りを感じていた。
その夜。夕方のニュースで、ユウの記者会見が映し出された。 ハッキリと沙織との交際を宣言したユウの姿を、沙織は食い入るように見ていた。ユウの愛情が、痛いほど伝わってくる。 その日から沙織とユウは、マスコミに執拗に追われていった。しかし今回は、公表したことできっぱりとお互いのことを言えるようになっている。それだけでも、互いにとっては救われた。 仕事もファンも少しは減っていったが、マスコミが騒ぎ立てなくなる頃には、徐々にそれも持ち直していった。
|
|