次の日。沙織は早朝に目を覚ました。今日は午後から雑誌の撮影があるが、起きてしまって暇ということもあり、早くに事務所へ行くことにした。 「ああ、届いたよ」 沙織が事務所に入るなり、大声で広樹が電話をしていた。電話の受話器を肩と耳で挟みながら、大きなダンボールをこじ開けている。 「それよりさ……あ、沙織ちゃん」 突然、話の途中で広樹が沙織に声をかけた。沙織は軽く会釈する。 「おい、沙織ちゃん来たぞ……よくないよ。ちょっと待ってろよ」 広樹は受話器を差し出す仕草で、沙織を手招きする。 「え?」 「沙織ちゃん。鷹緒だよ、鷹緒」 「え!」 沙織は驚いた。今まで事務所宛てに鷹緒からの連絡はあったようだが、それはいつも沙織がいない時間だった。あまりの偶然に、沙織は広樹に駆け寄り、素早く受話器を受け取った。 「た、鷹緒さん?!」 震える声で、沙織が尋ねる。 『おう……元気か?』 少し遠めだが、変わらぬ声がそこにあった。一年ぶりの、鷹緒の肉声だ。 「鷹緒さん……うん、元気。鷹緒さんは?」 涙目になりながら、沙織が嬉しそうに言った。 『俺? まあまあかな……』 「そっか……メールしても、全然返事くれないんだもん」 口を尖らせて沙織が言った。鷹緒のメールアドレスは知っていたので、何度か送っているものの、向こうからは一度も返事が来たことはない。 『ああ、悪いな。あんまりそういうの得意じゃなくて……それよりCMの仕事取ったんだって? BBと共演なんて、やったじゃん』 話題を逸らすように、鷹緒が言った。 「う、うん。これも鷹緒さんのおかげでしょ? 鷹緒さん、BBの専属カメラマンだったんだし……」 『べつに、俺は根回ししてねえよ。もっと自分に自信を持てよな』 「うん……」 鷹緒の声が、心地よく響く。 『じゃあ、頑張れよ』 「あ、鷹緒さん」 終わりそうな会話に、沙織がとっさに鷹緒を呼ぶ。 『なに?』 「あ……ううん。鷹緒さんも頑張ってね」 思い留まって、沙織は静かにそう言った。相変わらず忙しいであろう鷹緒を、これ以上引き止めるわけにはいかない。 『おう。じゃあ、ヒロに代わって』 「うん……」 沙織は広樹に電話を代わる。短い電話であったが、沙織の心を一気に軽くした。そのまま広樹は、鷹緒としばらく話をしていた。 「沙織ちゃん、ちょっと」 電話を終えて、広樹が沙織を呼んだ。 「はい?」 「これ、鷹緒が関わってる雑誌だよ」 そう言って、広樹がダンボールから取り出した雑誌を差し出す。 「ええ!」 沙織は嬉しそうにそれを受け取り、中をめくる。欧米らしい雑誌の質で、たくさんの英字が並ぶ。フォト雑誌らしく、美しい写真が連なっている。雑誌の最後には、“Takao Moroboshi”の名前があった。 「それ、茜ちゃんのお父さんたちが立ち上げた雑誌でね、鷹緒が関わってるやつ。やっとちゃんと送ってきやがって……でも、向こうでもよくやってるみたいだね」 広樹が言った。沙織は渡された雑誌を抱きしめ、広樹を見つめる。 「あの、これ、いただけませんか? お金はちゃんと支払いますから」 「あはは。いいよ、いいよ。もちろん持ってって。最初からそのつもりだし」 「ありがとうございます! じゃあ私、もう行きます!」 沙織はお辞儀をしてそう言うと、雑誌を握り締めて事務所を飛び出した。 そのまま沙織は近くのカフェでじっくりと鷹緒の雑誌を読んだ。表紙の写真はクールな感じで、外国人が写っている。アングルや雰囲気が、明らかに鷹緒の写真だと思った。 午後の仕事の時間まで、沙織はずっとその雑誌を眺めていた。
数日後、早朝――。 沙織の部屋のインターホンが激しく鳴った。同時に携帯電話も鳴る。まだ寝ていた沙織は、眠気眼で電話に出る。 「……はい?」 『沙織ちゃん? 今、玄関にいるの。開けて!』 すごい勢いでそう言ったのは、理恵である。 「理恵さん……?」 わけもわからず、沙織は急いで玄関のドアを開けた。すると、すぐに理恵が入ってくる。 「ど、どうしたんですか?」 不安げにそう尋ねる沙織を、理恵は息を整えて見つめる。 「沙織ちゃん、よく聞いて……あなたこの間、BBのユウさんと食事に行ったって言ってたわよね?」 理恵が尋ねた。特に報告義務はないが、ユウからコンサートに誘われたことや、その後に食事に行ったことを、沙織は理恵に告げていた。 「え? はい……」 「食事に行って、本当にそれだけ?」 「はい……何かあったんですか?」 沙織は怪訝な顔をする。理恵は溜息をついた。 「よく聞いてね。今日、スクープフラッシュマガジンっていう雑誌が発売されるわ。ゴシップネタの雑誌だけど、それに、あなたとユウさんが出る」 「えっ!」 目を丸くさせ、沙織は驚いた。理恵は言葉を続ける。 「どういう記事かは、よくはわからないけど……多分、あなたとユウさんの熱愛が報じられると思うわ」 「熱愛って、そんな! 私、食事に行っただけで……」 「真実がどうかじゃないの。読者はゴシップを望んでるから……うちの事務所はつき合いを規制することはないけど、あなたはまだ新人だし、心配なの。こっちも手は打つけど、相手は人気歌手グループのリーダーだからね……スキャンダルとして、しばらくは出回ると思うわ」 沙織は言葉を失った。顔面蒼白で、どうしたらいいのかわからない。 「こっちも出来るだけのことはするけど、少し覚悟しておいてね。ましてやあなたは、まだ学生なんだし……」 「……ごめんなさい」 「いいのよ……今日は幸いお休みだし、ゆっくりしてちょうだい。あとで何か買ってくるから。念のため、今日は家から出ないこと」 「はい……」 「じゃあ、起こしてごめんね。また来るから」 少し疲れた表情で、理恵は去っていった。 沙織はその後、あまりの反響の大きさに、辛い思いをすることになる。雑誌には、“BBリーダー・ユウ、熱愛発覚”の文字が躍り、相手として沙織の実名まで出ていた。
その日から、沙織の携帯電話が引っ切りなしに鳴った。同級生や知人からの電話やメールは、真相を確かめるものが多く、中には中傷的なものもある。 人気歌手の恋話ということで、芸能ニュースにも取り上げられ、沙織は一躍、違う意味での有名人となってしまう。スキャンダルを嫌う仕事からは、断りの電話を入れられた。 沙織はどうしていいのかわからなくなった。
数日後。リビングに放置された携帯電話が、また震えた。沙織は一瞬躊躇したが、尚も鳴り続ける携帯電話を手に取る。画面には、ユウの名前があった。 「はい」 相手がユウとわかり、沙織はすぐに電話に出た。 『あの……沙織ちゃん?』 間違いなく、ユウの声が聞こえる。 「はい」 『ユウです。今、大丈夫?』 「はい……」 『ごめんね、こんなことになって。もっと早くに電話したかったんだけど、それどころじゃなくて……本当にごめん……』 ユウの言葉が心に沁みる。沙織は静かに口を開いた。 「そんな。ユウさんだけのせいじゃないです」 『でも、元気ないね。本当にごめん……』 「大丈夫です。本当に……」 そう言うものの、沙織は正直参っていた。鷹緒がいないため、心から支えてくれる人が近くにはいない気がする。 沈黙の後、ユウが口を開いた。 『沙織ちゃん。こんな時にあれだけど……僕とつき合わない?』
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