その夜。沙織はインタビューなどで引っ張りだこの仕事を終え、鷹緒のマンションへと戻っていった。そろそろ夏休みが終わるため、沙織も荷物の整理などをしなければならないが、もうしばらくはシンデレラコンテストの準グランプリ受賞者として、スケジュールがぎっしりである。 沙織は部屋に戻るとリビングへ向かった。同居人の茜は帰っているようだが、寝室ですでに眠っているらしい。沙織はさすがに疲れて、ソファへと倒れ込んだ。ふと隣の鷹緒の部屋が気になったが、開ける勇気はもうない。 「……鷹緒さんの馬鹿」 そっと沙織がそう言った。その時、鷹緒の部屋から何かが崩れるような、大きな音がした。 その音に、沙織はハッと起き上がる。そしてゆっくり立ち上がると、鷹緒の部屋へ続くドアをそっと開け、覗き込んだ。 鷹緒の部屋は、ダンボールで埋め尽くされるように溢れ返り、床には鷹緒が座り込んでいる。 「鷹緒さん……!」 沙織が思わず声をかけた。 「ああ……帰ってたのか」 苦笑して、鷹緒が言う。 「……どうしたの? 大丈夫?」 「うん。ちょっと、手が滑って……」 鷹緒のそばには、棚の上にあったと見られるダンボールが転がり、中の物が散乱している。鷹緒は、ゆっくりと立ち上がる。沙織は居たたまれなくなって、鷹緒に背を向けた。 「沙織……」 その時、鷹緒が呼び止めた。沙織は、その場から動けなくなってしまった。 「……ごめんな。シンコン終わって間もないのに。おまえが受賞したら、少なからずサポートはしてやるつもりだったんだけど……」 「だったら……どうして!」 そう言ったところで、沙織は鷹緒の顔を見て押し黙った。鷹緒はいつになく真剣な眼差しで、沙織を見つめている。 「本当にごめん……でも俺、おまえが準グランプリになって、本当に嬉しいよ」 「……ずるいよ、鷹緒さん!」 鷹緒の言葉に、カッとなって沙織が叫んだ。 「どうしてそんなこと言うの? 私の気持ちに気付いてるくせに……私、鷹緒さんのことが好きだよ! シンコンやろうと決めたのだって、今までずっと頑張ってきたのだって、みんな鷹緒さんがいたからなのに!」 沙織は勢いで告白をしていた。そんなことよりも、鷹緒に想いが通じないのが悔しくてたまらず、沙織の目から涙が溢れ出る。 そんな沙織を見つめた後、鷹緒は沙織を静かに抱きしめた。沙織は驚きながらも、その暖かな鷹緒の腕の中で、安らぎと絶望を感じていた。 「ごめんな……」 もう一度、鷹緒が謝った。謝ることしか出来なかったのかもしれない。沙織は更に悲しくなる。 「もう、いいよ……」 しばらくして、沙織はやっとそれだけを口にした。 「沙織……」 「もういいから、謝らないで……」 鷹緒の腕から離れ、沙織は背を向ける。 「……さよなら。元気でね……」 沙織はそう言うと、部屋へと戻っていった。 寝室へ駆け込むと、一人泣いた。鷹緒の本心は見えなかったが、ハッキリと告白しても、想いは伝わらなかったようだ。そう思うと、涙が止まらない。 鷹緒は部屋に残ったまま、後片付けを続けた。そして大きな溜息をつく。鷹緒の心もまた、大きく揺れていた。
数日後。事務所近くの居酒屋で、鷹緒と茜の送別会が行われた。沙織のほかにも、事務員全員が集まったが、その席に肝心の鷹緒はいない。 「ねえ、鷹緒さんはまだですか?」 事務員の一人が、広樹に尋ねる。広樹は苦笑して、電話を見つめる。 「ああ、来るとは言ってたんだけど……仕事が長引いてるのかな」 「仕事っていったって、簡単な打ち合わせでしょう? もしかして、来ないとか?」 「有り得る! 鷹緒さん、こういう席ってあんまり来ないもんね。数人とだったら飲むくせに」 事務員同士が、盛り上がるように言う。 「まあまあ、みんな。じゃあ先に一度、乾杯しようよ。茜ちゃんは一足先に日本を発つんだから」 広樹が言った。一同の目が、茜に向けられる。 「そうなんですか? 茜さん、いつ発つんですか?」 「明日です。もともと私、鷹緒さんに向こうでのことを、説明や打ち合わせに来ただけだから……」 「そうなんですか。鷹緒さんももうすぐ発つんですよね? 急過ぎますよ。寂しくなるなあ……」 「悪い。遅くなって……」 その時、やっと鷹緒が現れた。 「遅い、鷹緒さん!」 「待ちくたびれましたよ」 一同が口々に言う。 「いろいろ支度してたからさ……」 「なんにしても主役が来たぞ。乾杯しよう!」 広樹の言葉に、一同がグラスを持って盛り上がる。 「では茜ちゃんと、うちの稼ぎ頭が、ニューヨークで腕を磨けるチャンスに、乾杯!」 「あはは。かんぱーい!」 一同は酒を酌み交わし、そこは一瞬にして大盛り上がりの会場となった。鷹緒と沙織は、お互い離れたところに座り、目を合わすことも話すこともなかった。
次の日。沙織が目を覚ますと、茜が支度をしていた。 「茜さん……」 「沙織ちゃん。お世話になりました」 茜が言った。茜は今日、一足先に日本を発つことになっている。 「いえ……」 そう言う沙織は、最近ずっと沈んだままだった。鷹緒のことは好きだが、遠くに離れてしまう今、早く忘れたいと思う。もう拒否されるのが怖かった。しかし、そう簡単に忘れられるはずもなく、悩みだけが膨らんでいる。 そんな沙織を尻目に、茜が鷹緒の部屋を覗いた。 「やっぱり帰ってないか……」 「え?」 「鷹緒さん、挨拶回りしているらしくて、あんまり帰ってないみたいよ。荷物ももう送ったみたいだし、いい機会だからいろいろ処分したって言ってたから、もぬけの殻って感じね……」 その言葉に、沙織も鷹緒の部屋を覗いた。確かに家具はあるものの、殺風景な感じがする。 「沙織ちゃん。ずっと黙っててごめんね……鷹緒さんが、ニューヨークに行っちゃうこと」 改まって茜が言った。そんな茜に、沙織は首を振る。 「……もういいんです」 「いいって……」 「きっぱりフラれましたから……」 「……告白したの?」 沙織は頷く。 「ごめんって言われました……」 「……諦めちゃうの?」 また茜が尋ねる。沙織は少し考えた後、ゆっくりと頷いた。 「もう嫌なんです。辛いの……」 「……そう。でも、それも一つの選択だけど、本当に鷹緒さんのことが嫌いになったり、忘れるくらいになるまで、諦めるのはとっておくのもいいんじゃない? まあ、私はそんなことを考えて、もうずっと鷹緒さんに恋してるけどね」 「茜さん……」 茜は変わらず、明るく微笑んだ。 「私はいいわよ、ライバルが減った方が。私は後悔したくないの」 「……」 「じゃあ私、もう行かなくちゃ。お世話になりました。ありがとう、沙織ちゃん。また会おうね」 茜は沙織を挑発するようにそう言うと、大きなスーツケースを持って玄関へと向かっていった。 元気がないまま、沙織も玄関まで見送る。茜の挑発には、もはや乗れる気にはなれなかった。 「気を付けて……」 沙織の言葉に、茜は頷く。 「ありがとう……頑張ってね。これからが売り時じゃない」 「はい。でも、今まで鷹緒さんがいるから頑張ってきたのに、なんかもう、どうしていいのかわからなくて……」 そう言った沙織の肩を、茜が思い切り叩いて微笑む。 「いいじゃない。二年経ったら鷹緒さんは帰ってくるのよ。もっと綺麗になって、見返してやればいいじゃない。あの時私を振ったことを後悔させてやるって、思っていればいいじゃない」 「茜さん……」 茜は沙織の手を取り、握手をした。 「じゃあね。私も沙織ちゃんに負けないように、女を磨いておくわ」 茜はそう言うと、沙織の部屋を出ていった。残された沙織は、複雑な思いでいた。
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