「……七十二番。小澤沙織です。よろしくお願いします!」 少し緊張気味に、しかし鷹緒と会えた喜びに頬を染め、沙織が言った。 「はい、よろしくお願いします」 それに応えて、鷹緒も笑った。 「じゃ、そこに立って」 鷹緒の指示に、沙織が所定の位置に立つ。急に鷹緒の目が真剣になった。鷹緒に写真を撮られるのは初めてではないが、緊張する。 限られた時間の中で、カメラマンも必死のようだった。被写体がよければ、撮れる写真のグレードも高い。なにより、自分が撮った写真でグランプリに選ばれれば、カメラマンの質も上がるというものだ。 鷹緒はそんなことは考えていないように思えたが、一心不乱に仕事をこなしているように見えた。だが、写真を撮る時の鷹緒は、いつ見ても楽しそうで輝いている。 「まだ緊張してる? もっと笑顔が欲しいな」 そんな鷹緒の言葉に、沙織が笑う。しかし、まだ表情が固い。 「……なあ。俺、太ったと思わない?」 おもむろに鷹緒がそう言った。沙織は素に戻って聞き返す。 「え?」 「出張で福岡に行ったんだけど、毎食ラーメンでさ。あまりの美味さに、夜食まで食っちゃった」 「毎食? ウッソ!」 鷹緒の言葉に乗って、沙織が言う。 「ホント。すごい美味いんだもん」 「あははは。だからって……」 「よし、いい顔撮れた」 カメラを離し、鷹緒は沙織に笑いかける。 「お疲れさま。その調子で頑張ってね」 そう言った鷹緒に、沙織は大きく微笑み、お辞儀をする。 「ありがとうございました!」 良い表情をして、沙織は次のブースへと向かっていった。あっという間の時間であった。鷹緒も微笑んで、仕事を続けた。
カメラテストが終わって、沙織は理恵のもとに戻っていった。 「どうだった?」 すかさず理恵が尋ねる。 「緊張したけど、面白かったです」 「そっか。鷹緒さんもいた?」 「はい、バッチリ仕事してましたよ。今日はこれで終わりだそうです」 沙織が、最後にもらった紙を見せて言った。理恵はそれを見て頷く。 「じゃあ、帰ろっか」 「はい」 二人は事務所へと戻っていった。 三次審査はカメラテストだが、後日一般投票がある。一週間後に出るいくつかの週刊誌に、沙織たちの写真が出る予定だ。またインターネットや街頭インタビュー、各所の企業にも張り出されることになっている。それらの一般投票、審査員投票によって、最終審査へ上がれることになっていた。カメラテストを終えた今、三次審査で沙織が出来ることはもうなかった。 その日、沙織はマンションで、遅くまで鷹緒の帰りを待っていたが、鷹緒は帰ってこなかった。
次の日。沙織が事務所へ行くと、広樹が声をかけた。 「沙織ちゃん。昨日はお疲れさま」 「お疲れさまです」 沙織が返事をする。 「どうしたの? 今日はオフじゃないの?」 「あ、はい。でも、なんか暇で……」 「あはは。たまのオフも、確かに辛いものがあるよね。茜ちゃんは?」 「まだ寝てました」 二人は苦笑する。もはや茜は沙織の同居人となっており、自由気ままにしている。 「そう。ああ、じゃあちょっと、鷹緒の様子見てきてくれないかな? 食料調達してさ」 そう言って、広樹が二千円を差し出す。 「いいですけど、スタジオですか?」 「うん。昨日から缶詰め。シンコンの写真、加工してるはずだよ」 「でも、写真は現像したら終わりなんじゃ……」 「それは、シンコン実行委員会の方ね。それとは別に、これと思う写真をカメラマンが提出するんだ。何人でもいいんだけどね」 「へえ……」 「だからカメラマンも審査員の一人ってわけ。審査を左右するもんでもあるしね。とにかく飯もろくに食ってないと思うから、何か買って行ってやって。沙織ちゃんも、好きな物買っていいよ」 「わかりました。ありがとうございます」 沙織は鷹緒に会えることで、嬉しそうに事務所を出ていった。
健康に良さそうな弁当を選び、お茶と缶コーヒーを買うと、沙織はスタジオへと向かっていった。半地下のスタジオは、眩しい日の光もほとんど入らない。そんな中で、ぽつんと鷹緒がパソコンに向かっている。 「……鷹緒さん」 沙織が声をかけると、鷹緒が振り向いた。 「おう……どうした?」 「差し入れ。ヒロさんから」 「サンキュー……おまえが来たってことは、今何時だ?」 時計を探しながら鷹緒が尋ねる。この場の雰囲気は、まるで深夜だ。 「十時半」 「ああ、もうそんな時間か……」 伸びをしながら鷹緒が言った。そして立ち上がると、沙織から弁当を受け取る。沙織も座って、弁当を開けた。 「……昨日はお疲れさまでした。ありがとうございました」 改まって、沙織が言った。 「いえいえ。仕事ですから」 二人は笑った。そして沙織は、鷹緒の目の前にあるパソコンを指差す。 「見てもいい?」 「ああ……」 沙織がパソコンを覗くと、そこには沙織とは違う少女が映し出されていた。沙織は不安げな表情をして、画面を見つめる。 「……推薦するの、私じゃないの?」 「え?」 「……ヒロさんが言ってたの。三次審査はカメラテストで、一般と審査員投票だけじゃなくて、カメラマンによるベスト写真も審査を左右するって……」 「おまえのは、さっき終わったとこだよ」 弁当を頬張りながら、鷹緒がプリンターを箸で差して言った。そこには、沙織の姿が打ち出されている。 「これ、私?」 沙織は信じられないといった表情で、写真を見つめる。まるで自分ではないような、可愛い少女がそこにいた。 「運がよかったな。俺がカメラマンなんて」 不敵に微笑みながら、自慢気に鷹緒が言う。 「うん……でも、どうして他の子も?」 「ああ。なんかそこに写真があると、手を出したくなるんだよな……もちろんおまえのことは推薦するけど、他にも何人かいい写真撮れた子がいるから、それだけは一応加工しておくだけだよ」 「……そうなんだ」 鷹緒は早々に弁当を食べ終わると、缶コーヒーを開け、煙草に火をつけた。 「……鷹緒さん、眼鏡どうしたの?」 突然、沙織が尋ねた。先日から、鷹緒はいつもかけていた眼鏡をしていない。聞く暇もなかったが、そこには素顔のままの鷹緒がいる。 「……壊れた」 大きく煙草の煙を吐きながら、鷹緒が言った。 「買わないの?」 「んー、もともと伊達みたいなもんだったしな」 「へえ……なんか眼鏡をしてない鷹緒さんって、若い人みたい」 「ハハ。なんだそりゃ」 鷹緒は苦笑しながら伸びをした。そんな鷹緒に、沙織が口を開く。 「ねえ、鷹緒さん……」 「ん?」 「……茜さんとは、つき合ってたの?」 「え?」 突然の込み入った質問に、鷹緒は聞き返した。 「……なんで?」 「ううん。なんか仲良さそうだから……」 「ハハハ。あれがか?」 鷹緒は煙草を揉み消して、言葉を続ける。 「あいつは、俺の写真家の先生の娘。あいつが中学の頃から知ってるし、あいつは昔からああなの」 「……でも、鷹緒さんのこと好きだって言ってくれてるのに……何度フラれたかわからないって、茜さん言ってたよ」 そんな沙織の言葉に、鷹緒は静かに微笑む。 「……今はまだ面倒くさいんだ。仕事一筋だからな、俺は……さて、仕事するか」 「あ、ここにいてもいい? 今日はオフなの」 沙織が言う。鷹緒と一緒に居たかった。 「邪魔しないならな。でも、つまんないぞ?」 「平気」 「……じゃあ、ご勝手にどうぞ」 そう言って、鷹緒は仕事に戻った。沙織はそのまま、部屋の隅で本を読んだり、気ままに過ごしていた。
夕方近くになって、やっと鷹緒が立ち上がる。その頃には、あまりの穏やかな時間に、沙織は眠り込んでしまっていた。 「沙織、起きろよ。終わったぞ」 鷹緒の声に、沙織は目を覚ました。 「あれ……終わったの?」 「ああ、もう夕方だ。夕飯食べに行くか」 「うん。でも、終わった仕事、正式に現像しに行ったりしなくていいの?」 沙織が尋ねる。 「こっちは三次審査の集計の頃で全然平気だから。最悪、出さなくたっていいし。ただ、カメラマンがどれだけいい写真を撮れたかっていう、どうでもいい審査だからな。あってもなくてもいいんだよ」 「え、じゃあどうして、寝る間を惜しんでまでやってるの?」 「そりゃあ、事務所としてはおまえの写真は必要だし、俺は仕事をずるずる引っ張るのが嫌いなんだよ。ほら、行くぞ」 そう言って、鷹緒はスタジオを出ていく。沙織も慌ててついていった。 「あーあ。太陽逃したな……」 夕暮れの街を見ながら、鷹緒が呟く。 「本当。私も休みを逃したな」 「だから、ここにいてもつまらないって言ったろ」 「いいの!」 沙織は、鷹緒のそばに居られる幸せを感じていた。他愛もないこの時間が好きだった。
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