「なによう!」 「勝手に入るなよ」 「まあまあ」 「……沙織は?」 鷹緒が尋ねる。 「もう寝ちゃったみたい。私もいつの間にか寝てて……鷹緒さんは、相変わらず夜型人間ですねえ」 「誰かさんのせいで、目が冴えちゃっただけだよ」 「ふうん? 私が来たことが、そんなに嬉しいんだ」 「なに、馬鹿言って……」 そう言う鷹緒に、茜が熱い視線を送る。 「……なんだよ?」 「久しぶりだね。眼鏡のない鷹緒さんを見るのも……」 「……俺だって、外すのは久しぶりだよ」 小さく溜息をつきながら、鷹緒が言った。 「いいじゃない。どうせ伊達でしょう? 女よけか。鷹緒さんは、眼鏡がない方がカッコイイの」 「アホか。だからって、大事な眼鏡壊されてたまるかっつーの」 鷹緒は軽く、茜の頭を叩いた。 「イタッ。まあ、私のせいで壊しちゃったのはごめんなさい……」 「……もういいよ。どうせ伊達だろ?」 軽く笑うと、鷹緒は台所へと歩いていった。そして冷蔵庫を覗いて尋ねる。 「コーヒー? ビール?」 「もちろん、ビール」 茜の言葉に、鷹緒がビールを手渡す。そんな鷹緒に、茜が不気味に笑った。 「うふふふ」 「なんだよ。気持ち悪い……」 「やっぱり優しいんだ。私、そういうところが大好き」 あっけらかんとそう言う茜に、鷹緒が苦笑する。 「相変わらずだな、おまえは」 「……鷹緒さん。私、まだ鷹緒さんのこと好きよ。鷹緒さんはどう? 気持ちは変わらない? 私のこと、女として見れない?」 ズバズバとそう言う茜は、鷹緒を見つめたまま目を反らさない。 「……そうだな。あの頃から……もしまた誰かと結婚するんだとしたら、おまえだろうと思ってたよ……」 鷹緒が静かにそう言った。茜も初めて聞く言葉に驚き、耳を傾ける。 「……本当に?」 「ああ。だけど……」 「だけど?」 「悪いけど……俺、おまえがいくら頑張ってくれても、もう結婚とか恋愛とか、そういうの考えられないと思う」 いつになく真剣な顔で、鷹緒が言った。鷹緒もまた、茜から目を反らすことはなかった。 冗談交じりではなく、面と向かってフラれたのは初めてだった。絶望的な気持ちが茜を襲う。 「なんで……なんでよ! 私の愛が足りないならもっと頑張るよ。うざいんだったら、ニューヨーク帰る。それでも駄目なの? どうして!」 鷹緒の胸元を掴んで、茜が言った。 「どうしてって……しょうがないだろ」 「しょうがなくないもん!」 「茜……」 そう言う鷹緒は、本気で困っているようだ。 「嫌だ……嫌だ!」 茜は鷹緒にそう言いいながら、鷹緒の肩を平手で叩き続ける。鷹緒は直立不動のまま、やがて静かに口を開いた。 「……いつか……俺、おまえに逃げたことあったよな? 理恵と別れて、おまえと一緒になれたらどんなに楽かって思った……」 「そうだよ。鷹緒さん、私の胸で安心して眠ったじゃない……」 二人の過去が、浮き彫りになる。たった一度だけだが、二人は一つになった時があった。それは、鷹緒が理恵と別れてしばらくした日の、互いに求め合った一度だけの朝だった。 「うん……でも、やっぱりおまえとつき合うことは出来なくて、しばらくして、おまえは日本を発っただろ? あれからずいぶん年が過ぎたけど、本質的に俺は何も変わってない……鈍くて不器用で、人の気持ちなんて考えられない、ちっぽけな男だ……」 「……鷹緒さん?」 鷹緒の言葉に戸惑いながら、茜は鷹緒を見つめる。 「あれからいろいろ考えてきたつもりだけど、俺は多分、もう人は愛せない……というより今までも、本気で人を愛してきたかどうか疑問なんだ……もし俺がまた結婚したいとか思うようなやつが現れるとしたら、そいつが俺の最後の一人になるんじゃないかな……」 自問自答を繰り返すように、鷹緒が続けた。そこまで鷹緒の本音を聞くのは、茜自身も初めてだった。 しばらくして、茜は尋ねる。 「その最後の一人は、確実に私じゃないの……?」 「……うん。多分……」 ゆっくりと、静かに鷹緒が答えた。茜は続ける。 「……1%の可能性も、私にはないの?」 「……うん」 躊躇いながらも、鷹緒がきっぱりとそう言ったことで、茜は満面の笑みを零した。 「わかった。でも私の気持ちが完全に晴れるまで、私の恋は消えないから」 「……わかった」 「はっきり言ってくれてありがとう……じゃあ寝るね。おやすみなさい」 そう言うと、茜は隣の部屋のリビングへと戻っていった。 鷹緒にこれだけきっぱりとフラれたのは初めてだったが、逆に晴れた気持ちもあった。茜はその夜、失恋に泣き腫らした。もういくら頑張っても、鷹緒が振り向くことはないのかもしれない。絶望感が、茜を包んだ。
鷹緒も、部屋で思い悩んでいた。決して茜が嫌いではない。さっきの会話はすべて本心だった。だが鷹緒の中で茜は、一度も恋愛の対象としては見れていない。それでも尚、慕ってくる茜に、本音を言うことできっぱりと答える必要があると、前々から思っていた。 数年間で、自分も少なからず新しい環境が出来ている。そんな中で茜が前へ進むためにも、もう鷹緒は優柔不断でいてはいけないのであった。
数日後。茜はそのまま、沙織の部屋に居ついてしまった。鷹緒に初めてきっぱりとフラれたが、特に鷹緒への接し方に変わった様子もない。 沙織も、茜が居ることが嫌ではなかった。なにより鷹緒の部屋に居つくよりはいいと思う。二人は次第に打ち解け、沙織はコンテストについてのアドバイスも、進んで茜に尋ねていた。
「鷹緒さん。出張って本当?」 事務所で、茜が鷹緒に言った。 「ああ、九州にな……それよりおまえ、もうここの人間じゃないんだし、毎日事務所に入り浸るのやめろよ」 「私は沙織ちゃんのマネージメントをしてるんです」 「それなら理恵がやってる。泊めてやってるだけでも感謝しろ」 「ひどーい」 「じゃ、行ってきます」 そう言うと、そばに居た沙織と茜を尻目に、鷹緒は慌しく出ていった。 「鷹緒さんも、相変わらず忙しいんだ……シンコン三次審査の直前に帰ってくるんだってね」 「はい。でも、三次審査で会えるから……」 茜の言葉に、沙織が言う。 「そっか。カメラマン、鷹緒さんだもんね。きっと綺麗に撮ってくれるね」 「えへへ……」 二人は笑いながら、鷹緒の話をした。
数日後。シンデレラコンテスト三次審査、当日。 あれから鷹緒に一度も会うことなく、沙織は今日を迎えていた。緊張しながら順番を待つ。だが、鷹緒に会える喜びを噛み締めていた。気付けば沙織は、鷹緒の存在が日増しに大きくなっていることを思い知らされている。 「七十二番の方、どうぞ」 そう言われ、沙織が立ち上がる。理恵は心配そうに見つめているが、ここから先は理恵も入ることが出来ない。 「行ってきます」 沙織はそう言うと、部屋の中へと入っていった。 大きなホールのような部屋は、大きく仕切られている。三人のカメラマンによるカメラテストだが、一人一人行われるようだ。仕切り毎に、カメラマンがいるらしい。 一人目は、大手プロダクション所属のカメラマンだった。カメラテストの様子も審査対象になるようで、審査員が遠くから見ている。 「じゃあ、目線そのままこっちにください」 中年のカメラマンが言った。最初は固い表情だった沙織も、練習を思い出して徐々に慣れていく。数枚の写真を撮ったところで、次のブースに行くよう指示された。 隣のブースには、鷹緒がいた。久しぶりに見る鷹緒に、沙織は嬉しくなった。 鷹緒はまだ前の少女を撮っている最中で、少女に笑いかけている。その様子が遠い存在のように思えて、沙織の胸を締めつけた。 「はい。次、お願いします」 そう言いながら、鷹緒が沙織に気付いた。優しく笑いながら、鷹緒が口を開く。 「諸星です、よろしく。お名前と番号をどうぞ」 「……七十二番。小澤沙織です。よろしくお願いします!」
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