鷹緒は一目散に、内山のマンションへと向かった。内山に電話をかけるが、一向に繋がらない。 内山の部屋に着くと、鷹緒は愕然とした。部屋には新入居者用の公共案内が下げられている。恐る恐る部屋のドアを開けると、中はがらんとしていて何一つない。 「……理恵……?」 鷹緒はそのまま、心当たりを探し続けた。何があったかはわからないが、力ない理恵の声を聞いて、探さずにはいられなかった。
数十分後、ふと気が付いて、鷹緒は自分のマンションへと戻っていった。すると、マンションの前の花壇に腰かける、理恵の姿があった。 「……行くとこ、なくなっちゃった……」 静かに微笑んだ理恵は、心なしかやつれた感じで、鷹緒の胸を締めつける。 「馬鹿か、おまえは……なに電源切ってんだよ」 鷹緒は、思わず理恵を抱きしめた。理恵の目から、涙が溢れ出る。 「ごめん……」 「本当、馬鹿か、おまえは……」 そう言いながら、鷹緒は理恵を離そうとはしなかった。
鷹緒の部屋に上げられた理恵は、小さくなってソファに座っている。鷹緒は温かいコーヒーを入れてやると、理恵に差し出した。理恵はそれを受け取るものの、俯いて何もしゃべらない。そんな理恵に鷹緒が尋ねる。 「……何があったんだ?」 「……豪がいなくなったの……」 鷹緒の問いかけに、理恵が答える。受け取ったコーヒーに、口をつける気配はない。ただじっと、肩を落として座っている。 「……どうして?」 「……」 「理恵?」 押し黙っている理恵に、鷹緒が続ける。 「さっき、豪の家へ行った。もう何もなかった。電話も通じなかった……一緒に住んでたんだろう? 何があったんだ?」 「……私、子供が出来たの……」 理恵の言葉に、鷹緒は衝撃を受けた。間違いなく、自分の子供ではない。事実を知って、ショックを隠しきれなかったが、冷静を装うと、鷹緒は必死に耳を傾けた。 「……それで?」 「初めは、豪も喜んでくれてたみたいだった。だけど……遠出の仕事で数日間、私がいないうちに、部屋に何もなくなってて……」 「……嘘だろう?」 信じられないといった様子で、鷹緒は目の前で泣いている理恵を見つめた。理恵は静かに、持っていた紙を差し出す。 “少しの間お別れです。だけど、僕は君も子供も愛してるよ” たったそれだけの、内山からの手紙だった。鷹緒は手紙を丸めると、電話を手に取る。 「……どこに電話するの?」 理恵が尋ねる。 「事務所の社長だよ。社長なら、あいつのことくらい知ってるだろ」 「駄目よ。今、何時だと思ってるの?」 「関係ねえよ」 「もういいよ……結局、あいつはそういうやつなのよ。鷹緒だって知ってるじゃない……」 肩を落として理恵が言う。そんな理恵の肩を、鷹緒が両手で掴んだ。 「……じゃあ、子供は? 子供はどうするんだよ。父親はあいつだろ!」 「……関係ないよ。豪は逃げたんだもん。今時シングルマザーなんて、珍しくないよ……」 「馬鹿か! 生まれてくる子供の気持ち、考えろよ!」 珍しく鷹緒が怒鳴った。 「鷹緒……」 「とにかく、あいつは俺が見つけてやるから……おまえはここにいろ。そっちの部屋は、まだおまえの部屋なんだから……」 鷹緒の優しさが、理恵の心を包む。 それから深夜というのにも関わらず、鷹緒は手当たり次第に電話をかけた。しかし、モデル事務所の社長でさえも、内山が消えたことすら知らなかった。
数日後。あらゆる手を尽くしても見つからない内山に、鷹緒はどうすればいいのかわからなくなっていた。 「おかえりなさい……」 仕事帰りの鷹緒を、理恵が優しく出迎える。まるで夫婦に戻ったかのようような光景だ。しかし、理恵の元気はなく、鷹緒に遠慮がちである。 「ご飯、作ったんだ。まだでしょ?」 「ああ……いいのに、別に……」 「でも、私に出来ることなんて、このくらいだから……」 理恵の言葉に、鷹緒が眉をしかめた。 「卑下すんなよ。おまえらしくない……俺たち、戸籍上はまだ夫婦なんだ。変に気を使われると、俺も疲れる……」 鷹緒が言った。ここしばらく、理恵は今までの理恵らしくなく、鷹緒は苛立ちと戸惑いを隠しきれない。 「……ごめん」 謝る理恵に小さく溜息をついて、鷹緒は無言でソファに座った。そんな鷹緒に、理恵が料理を差し出す。 「……理恵。これからどうする?」 突然、鷹緒が尋ねた。今の理恵にとっては、まだ聞かれたくない台詞だった。鷹緒に甘えるわけにはいかなかったが、行くところもない。一人で一からやっていくほか、選択肢はない。 「うん。なんとか一人でやっていくつもり……」 静かに理恵が言う。 「一人って、子供は?」 「ちゃんと産んで育てる……大丈夫。もう鷹緒には、迷惑かけないから……」 「迷惑って……」 「これ、書いておいた。今まで連絡もしないで……それなのに、勝手に転がりこんでごめんね」 理恵がそう言って、離婚届を差し出した。鷹緒は質問を続ける。 「……それで、おまえはどうするの?」 「わからないけど……とりあえず、これからお腹も出てくるし、モデルの仕事は出来ないから……どこか仕事探すわ。部屋も、早く見つけて出ていくから……」 「……それで、やっていけんの?」 鷹緒の言葉に涙ぐんで、理恵が首を振る。 「そんなのわかんないよ! でも……やらなきゃいけないんだもん!」 溢れる涙を必死に拭っている理恵を、鷹緒は静かに見つめていた。やがて、そっと口を開く。 「……やり直そうか」 「……え?」 突然の言葉に、理恵がゆっくりと顔を上げる。鷹緒は言葉を続けた。 「あいつのことは置いておいて、このままやり直そう……子供の父親は、俺がなるよ」 信じられない言葉だった。鷹緒に落ち度は何もない。自分が鷹緒を裏切ったまでの話だ。鷹緒のところから飛び出し、違う男の子供を身ごもって帰ってきた自分を、鷹緒は何も言わずに受け入れ、子供の父親にまでなるという。 理恵は、鷹緒にそこまで言わせた自分が悲しくなった。 「駄目だよ……もう、鷹緒に迷惑……」 「だからさあ……夫婦間に迷惑はつきものだろ? 俺がいいって言ってんだから、それでいいじゃん」 軽く微笑んだままそう言う鷹緒に、理恵は首を振り、堪え切れない涙を流す。 「どうしてそこまでしてくれるの? 私、鷹緒を……」 そう言う理恵を、すかさず鷹緒が抱きしめる。 「もう、それ以上言うなよ。俺だって、どうしていいかわかんないんだから……だけど、おまえの子供なら、俺だって愛せるよ……」 「……」 「理恵?」 「ごめんね……ごめんね……」 理恵が鷹緒に抱きついて言う。鷹緒も理恵を抱きしめたまま、しばらくそうしていた。 これからどうしたらいいのか、二人にもわからなかった。ただ、内山がいなくなったことで、二人の心はまた繋がろうとしていた。意地もプライドも、今の二人の間には通用しない。不器用な二人は、互いの傷をなめ合いながら、元のさやに戻ったのである。
それから数ヵ月後、娘の恵美が生まれた。広樹にさえも、恵美は鷹緒の子供だと言っていた。鷹緒は、持てる愛情を惜しげもなく恵美に注ぎ、本当の父親のように接することに心に決める。そんな鷹緒に、理恵は罪悪感に駆られながらも、夫婦としての自信を取り戻そうとしていた。
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