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作品名:FLASH 作者:KANASHI

第35回   理恵の裏切り
「鷹緒!」
 早足で歩く鷹緒を、追いかけながら広樹が言う。だが鷹緒は、無言のまま歩いていく。
「鷹緒、待てよ。何があったっていうんだ?」
「……あいつら、つき合ってるんだとさ」
 険しい表情で、苦笑しながら鷹緒が言った。その言葉に驚き、広樹は一瞬、言葉を失った。
「まさか、そんなこと……」
「……飯、食いに行こうぜ」
 二人は、近くの料理屋へと入っていった。

「……確かなのか?」
 料理を口にしながら、広樹が尋ねる。聞きにくい状況でありながらも、放ってはおけない。
 鷹緒はうつろな表情をしながら、重い口を開いた。
「……考えてみると、思い当たる節がいくつもある。最近あいつ、仕事と言っては遅くなってたし……」
「でも……」
「……もういいんだ。しょせん俺たちは、水と油。こうなる運命だって、俺たちが結婚した時から、おまえら言ってたじゃん」
 苦笑しながら、鷹緒が言う。
「それは、冗談でだよ。本気で言うはずが……」
「……もういいんだ」
「いいって、おまえ……」
「いいんだ……それより、飲もうぜ」
 日本酒を注ぎながら、鷹緒が言った。広樹もそれ以上、何も言えなかった。

 夜中十二時をとっくに回って、鷹緒は自宅マンションへと帰っていった。しかし、部屋に人の気配はない。ふと見ると、リビングから繋がった隣の部屋の明かりが漏れているのが見える。
 同じマンションに二部屋持つ夫婦は、互いに家を持っている感覚で、プライベートも別々である。それは、互いの生活リズムがあまりにも違うということからだったが、今となっては空しさだけが残っていた。
 一方、理恵もリビングにいながら、鷹緒が帰ってきたことを悟っていた。しかし、今は合わせる顔がない。話はしたかったが、何を言ったらいいのかわからない。
 二人は互いの気配を感じながらも、今日は顔を合わせることはなかった。

 次の日。鷹緒は朝早くから仕事に出かけた。理恵と内山のことが気になって仕方がないが、今は忘れようと思う。先のことは、まったく考えられなかった。

 その日も遅くに帰ってきた鷹緒の部屋に、今日は理恵が待っていた。
「おかえりなさい……」
 少し怯えた様子で、理恵が出迎える。
「……ああ」
 返事をするものの、鷹緒は理恵を見ようとはしない。
「あの……話があるの」
「悪いけど、明日から出張なんだ」
 顔を背けたまま、鷹緒が答える。
「時間は取らせない……だけど、話しておきたいの」
「なにを? 言い訳なら聞きたくない」
「言い訳じゃないわ」
「じゃあなんだよ。俺を説得するつもりか。別れ話か? もうどうでもいいんだよ、おまえのことなんか」
 鷹緒の言葉に、理恵が深く傷ついた顔をする。しかし、理恵はすぐに口を開いた。
「言い訳なんかしない……鷹緒に何を言われたって、私が傷つく権利なんかない……」
 そう言いながらも悲しさに震える理恵は、必死に涙を堪えているように見えた。
 鷹緒は小さく溜息をつくと、冷蔵庫から缶コーヒーを取り出し、ソファに座った。理恵はその前に座る。
「……私が全部悪いの……だけど、わかって。私、鷹緒が嫌いなんじゃない」
 理恵が言った。鷹緒は俯く理恵を見つめ、静かに口を開く。
「……でも、豪が言ってたことは、本当なんだろう?」
「……うん」
「三ヶ月前からって言ったな……それから今日までずっと、俺に隠れて会ってたことは事実なんだろ?」
「……う……ん」
 自分のしたことに後悔し、理恵は涙を流していた。鷹緒はきつく拳を握ったまま、冷静を保とうとしている。
「……きっかけは?」
「……三ヶ月前のショーの時……豪と一緒にモデルやってて、打ち上げに行ったの。鷹緒も仕事で遅くなるからって、はしゃいでた……鷹緒、もうずっと忙しくて、最近寂しいって。豪にそれを打ち明けた……豪、親身になって聞いてくれて……」
「だから浮気したのか?」
 ズバリと言う鷹緒に、理恵は涙を拭う。
「……ごめんなさい……」
「……謝って欲しいんじゃない。べつに一度や二度の浮気なら、まだ許せるよ。でも違うんだろ?」
「……ずっと、豪のことが気になってた……」
 理恵の告白は、鷹緒の胸を締めつけた。
「……ごめんな」
 突然、鷹緒がそう言った。理恵は驚いて、鷹緒を見つめる。
「おまえの気持ちに気付かなかった……おまえ、もうずっと豪のことが好きだったんだろ? それなのに、俺が縛ってた。その上、仕事で構ってもやれなくて……それは事実だ。邪魔者は、俺の方かもな……」
 鷹緒の言葉に、理恵が首を振る。
「違うよ! どうして……どうしてそんなこと言うの? 怒ればいいじゃない。怒って、私を殴りつければいいじゃない! どうしてそうしないの。そうでもしてくれないと、私……」
 悲鳴のように、理恵が言った。そんな理恵に、鷹緒は静かに口を開く。
「……楽になれよ。俺だって、おまえの寂しさや傷ごと抱けるほど、人間出来てないし、ここで元のさやに戻ったって、しばらくは俺のスケジュールだって埋まってる。おまえの寂しさ紛らわせることなんて出来ないよ……」
「鷹緒……」
 訴えかけるような目で、理恵は鷹緒を見つめていた。鷹緒は眉をしかめて、俯いている。
「豪だって……あいつのことは、よくわかってるつもりだ。あいつの態度はいつだって気に食わないけど、あいつがおまえのことを好きだってことは、前から知ってた……知ってておまえのそばに居させた俺にも責任がある。なによりおまえ、もう豪の方に気持ちが傾いてるんだろう? そのくらいは、俺にだってわかるよ」
 二人の間に沈黙が走る。もう、理恵は何も言えなかった。
「……私、鷹緒と別れたくない……」
 しばらくして、理恵がやっとそれを口にした。鷹緒は理恵を見つめる。
「……俺だって、別れたくないよ。でも……このままじゃいけないと思う」
「……」
「理恵……俺たち、水と油だって言われてきたけど、俺はそうは思ってない。俺たちはこれで終わりじゃない……しばらく時間を置こう。俺も真剣に考えるから」
 鷹緒はそう言うと立ち上がり、寝室へと入っていった。理恵は、その場で泣き崩れた。

 次の日の早朝。一睡も出来なかった鷹緒は、静かに部屋を後にする。
 互いの部屋に、もはや理恵の気配はない。理恵は内山のところに出ていったのだと確信し、鷹緒は一人、仕事へと向かっていった。

 一週間後。東京に戻った鷹緒は、その足で広樹の事務所へ向かった。
「おかえり。どうだった? 広島は」
 広樹が尋ねる。
「うん、仕事は順調。料理はうまいし、最高だった」
「鷹緒。早々なんだけど、大事な話があるんだ」
 改まった様子の広樹に、鷹緒が首を傾げる。
「なに?」
「おまえ、正式にうちの事務所に入ってくれないか?」
「……」
「おまえ、まだモデル事務所所属だろ? カメラマンとして認められてきてるのに、ほとんどフリーで活動してるじゃないか。うちの事務所はまだ立ち上げて間もないけど、おまえには当初からずいぶん手伝ってもらってるし、仕事も回してるよな。おまえももうモデルの仕事はほとんど請けてないんだし、ここらで正式にカメラマンとして来てくれないか? おまえが来ればうちも助かるし、今まで以上に仕事を回せるように頑張るよ」
 広樹の言葉に、鷹緒が笑った。
「ずいぶん、見込まれたもんだな……」
「僕は本気だよ」
 真剣な眼差しの広樹に、鷹緒が俯く。
「うん……正直言うと、いろいろ考えてた。どっちみち、そろそろモデル事務所は辞めようと思ってたんだ」
「じゃあ……」
「ああ。まあとっくに、俺はこの事務所の人間だって感じがしてたよ」
「じゃあ、よろしく頼むよ!」
「ああ」
 二人は握手を交わす。
「そうだ、夕飯は食べたのか?」
「いや」
「じゃあ、食べに行こう」
 そう言って、二人は事務所を出ていった。

「どこにしようか。いつものところでいいか? 必ず誰かしらに会うんだけどな……美味いから仕方ない」
「ギョーカイ人の巣窟か」
 鷹緒が、苦笑して言う。
「どちらかというとモデルが多いな。この辺、モデル事務所が多いから」
 二人はそう言いながら、近くの料理屋へと入っていった。雰囲気の良いその店は、全席個室で隠れ家風を気取り、業界人御用達だと人気である。広樹もまた、行きつけの店にしていた。
「あ、諸星さん!」
 店に入るなり、鷹緒が声をかけられた。鷹緒が所属しているモデル事務所の後輩である。
「なんだ、おまえらも食事か」
 苦笑して、鷹緒が言った。
「はい、一緒に飲みましょうよ。あと何人か来てますよ」
「ゆっくり飲みたいから、今度な」
「残念です……」
 後輩は、そのまま去っていった。
「別の店にしようか。もしかしたら、理恵ちゃんも……」
 広樹が察して言う。鷹緒は表情を変えずに、中へと入っていく。
「いいよ、別に……」
 二人は、仕切られた個室へと通された。早速、酒を交わしながら、広樹が尋ねる。
「……それで、その後どうなったんだよ?」
「どうって?」
「だから、その……理恵ちゃんとさ」
「……さあ」
「さあって、おまえ……」
 静かに微笑んで、鷹緒は日本酒を飲む。
「俺の出張もあって、会ってないよ。出る時には、すでに出てった後みたいだったし……まあ、このまま離婚かもな……」
 鷹緒の言葉に、広樹が身を乗り出した。
「……本気で言ってるのか?」
「本気もなにも……しょうがないだろ? あいつが別のやつ好きになって浮気して、ただそれだけのことじゃん」
 煽るように酒を飲みながら、鷹緒は溜息をつく。
「おい、飲み方考えろよ……」
「なんか……わかんないんだよ」
 静かに、鷹緒がそう言った。
「え?」
「女の愛し方……とか、結婚とか。俺には、もともと結婚なんて無理だったのかもな……」
「鷹緒……」
「……俺、あんまり親に愛された記憶もないし、親も再婚だから、普通の家庭っていうのがよくわかってなくて……義理の兄弟とも馴染めなくてさ。そんな中で、自分自身が作る家庭っての、よく考えてなかった気がする」
 広樹は口を挟むことなく、鷹緒の話を黙って聞いている。鷹緒は話を続ける。
「あいつのことも放りっぱなしで……だから俺、あいつを責められる立場じゃない。俺も苦しみたくなかったし、あいつも苦しめたくない。いっそ嫌いになれたらよかった……そうしたらあいつ、もっと早くに俺のところから出ていけたのに……」
 鷹緒の言葉に、広樹は絶句した。ここまで鷹緒が本心を言うのは、広樹自身も聞いたことがなかった。なにより鷹緒の不器用さが、広樹を締めつけるように伝わる。
「本当だ。居たんですね、先輩」
 そこに、空気を一瞬にして打ち壊す人物が現れた。内山である。


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