「沙織」 しばらくして、鷹緒がベランダにいる沙織に声をかけた。 「悪いな。ずいぶん遅くなった……」 「ううん」 「飯、食いに行こう。ヒロがおごってくれるってさ」 「うん……」 沙織は、鷹緒と広樹とともに、近くのレストランへと向かっていった。 「ビッグ・キャラメル・イチゴ&チョコレート・フルーツパフェでございます」 ウェイトレスが、鷹緒に大きなパフェを差し出しながら言う。 「おまえ……その激甘党、なんとかしろよ」 呆れ顔で広樹が言った。鷹緒は食事もそこそこに、大きなパフェを頼んだようだ。 「いいだろ。好きなんだから……甘いもん食べるのが、俺のストレス解消法なの」 「まったく……」 そこで広樹は、元気のない沙織に気がついた。 「どうしたの? 沙織ちゃん」 「あ、いえ……」 沙織は小さく首を振って、苦笑する。広樹も静かに口を開く。 「さっきの、びっくりしちゃったよね……ごめんね」 「いえ、別に。広樹さんが悪いわけじゃないし……」 「まあ、ね……」 沙織と広樹は、黙々とパフェを食べている鷹緒を見た。二人の視線に気付き、鷹緒は顔を上げる。 「……なんだよ?」 「いや……」 広樹の反応に、沙織はこのことには触れてはいけないのだと思った。 「……沙織、まだ飯食ってんのかよ。俺、もうすぐデザートも食い終わるぞ」 小さく苦笑しながら、鷹緒が言う。その顔は、いつもの鷹緒である。
しばらくして食事を終えた鷹緒は、広樹と分かれ、沙織とともにマンションへと戻っていった。 「今日は待たせて悪かったな。明日は俺、早いから送れないけど、頑張れよ。二次審査、今週だろ?」 部屋のドアの前で、鷹緒が沙織にそう言う。 「うん……」 「じゃあな」 まだ元気のない沙織を尻目に、鷹緒は自分の部屋へと入っていった。 「はあ……」 沙織は溜息をつくと、自分の部屋へと入る。鷹緒と内山、そして理恵や広樹に何があったのかわからないが、知りたいと思いつつ聞くことすら出来ない空気に、沙織は苛立ちすら覚えていた。
鷹緒は、帰るとすぐにシャワーを浴び、ベッドに寝そべった。ついさっき内山を殴ったことが、頭から離れない。そしてそれを見ていた理恵や広樹の顔も、エンドレスに思い出される。 「……豪が帰ってきた……」 ぼそっとそう言ったその時、家の電話が鳴ったので、鷹緒は受話器に手を伸ばす。 「はい」 『……』 相手は何も言わない。鷹緒は首を傾げる。 「……もしもし?」 『……あ……』 女性の声が聞こえた。鷹緒はピンときた。 「理恵か?」 鷹緒が言った。すると、力のない声が聞こえてくる。 『……う……ん』 電話の相手は理恵であった。 「……どうした?」 少し苛立った様子で、しかし優しく、鷹緒が尋ねる。しかし鷹緒には、理恵がどうして電話をかけてきたのか、力のない声なのかがわかっていた。 「豪と何があった?」 何も言わない理恵に、鷹緒が具体的に尋ねた。そんな鷹緒に、理恵が静かに口を開く。 『……ごめん。なんでもない……』 「馬鹿か。何かあるなら言えよ……」 『ごめん、どうかしてた。鷹緒に言うことじゃなかった……ごめん』 理恵の言葉に、鷹緒は静かに息を吐く。 「……俺だって、部外者じゃないぞ」 『……うん。でも……』 「……もう、家か?」 『うん……』 「じゃあ、今からそっちに行く」 『……でも』 「おまえ、今、一人じゃない方がいいよ」 いつになく優しい鷹緒の言葉に、理恵が涙ぐむ。 『ごめん、鷹緒。ごめん……』 「もういいっての。支度したら、すぐ行くから……」 『うん……』 鷹緒は電話を切ると、すぐに支度を始めた。
沙織はリビングで、テレビを見ながらお茶を飲んでいた。しかし、ふとしたきっかけで、やはり内山が鷹緒たちとどういう関係なのかが気になる。 沙織は意を決して、鷹緒に直接聞くことにして立ち上がった。そしてそのまま、リビングから繋がった鷹緒の部屋がどうなっているのか、ドアに耳を当ててみる。慌てて人が歩いているような、足音が聞こえた。 沙織は思わずドアを開ける。 「鷹緒さん!」 その声に反応して、鷹緒が振り向く。鷹緒はリビングのテーブルに置いた財布などを、上着のポケットに詰め込んでいた。 「なんだ……勝手に入るなって言ったろ」 「ごめんなさい。ちょっと、聞きたいことあって……」 鷹緒の言葉に、沙織が恐る恐る言う。 「なに?」 「あ……出かけるの?」 直球で聞くのが怖くて、まずは目先の疑問を尋ねた。 「ああ、ちょっと……」 沙織の質問に、鷹緒は言葉を濁す。 「ごめん。じゃあ、やっぱり今度でいい……」 「そう……じゃあな。早く寝ろよ」 鷹緒はそう言うと、部屋を出ていった。 (あんな鷹緒さん、見たことないから気になるのに、なんか聞ける雰囲気じゃないんだよね……帰ってから、今度こそ聞こう……) 残された沙織は気になっていることを聞けず、肩を落として自分の部屋へと戻っていった。
とあるマンションの一室。鷹緒がインターホンを鳴らすと、理恵が出てくる。 「ごめんね……」 一言目に、理恵がそう言った。それを受け、鷹緒は静かに首を振る。 「いいよ……恵美は?」 「うん。お風呂出てから、すぐに寝ちゃったわ」 「そう……」 「上がって……」 「ああ……」 二人は部屋へと入っていった。リビングのテーブルの上には、ビールの空缶が数本ある。 鷹緒はソファに座ると、理恵を見つめた。 「おまえ、飲み過ぎ……」 「うん。なんか、勢いで……」 「やめろよ。酒に走るのは」 「うん……」 鷹緒は、理恵が飲んでいたと見られるビールに口をつける。理恵は静かに口を開いた。 「どうして帰ってきたんだろう。豪……」 「……」 鷹緒は押し黙った。 「……何があった?」 長い沈黙の後、鷹緒がやっとそれだけを口にした。理恵はうつろな目をして俯く。 「追いかけて……言ったわ。どうして帰ってきたのって……」
理恵の回想――。 「豪、待って!」 事務所の外でエレベーターを待つ内山を、理恵が引き止めた。内山は変わらぬ笑顔で、理恵を見つめる。 「久しぶり」 「なんで……なんで? どうして急に帰ってくるのよ!」 理恵が言った。その時、エレベーターが開いたので、内山は乗り込んだ。 「連絡するよ。今度、ご飯でも食べに行こう」 変わらぬ口調でそう言った内山に、理恵もエレベーターに乗り込む。 「嫌よ、勝手に決めないで。どういうつもり? 鷹緒が怒るのも無理ないわ」 「あはは……相変わらず、鷹緒先輩のパンチは効くなあ」 「馬鹿!」 嫌悪感を露にして理恵が言う。そんな理恵に、内山が微笑んだ。 「どう? 元気そうだけど……先輩とはうまくやってるの? ヒロさんもいるなんて、楽しそうだね」 「あんたに関係ないわ。だいたい、どうして知ってるのよ。私がヒロさんと組んだこと……」 「知ってるさ。僕にだって、日本にも友人はいるよ。それより、どこまでついてくるつもり?」 とっくにエレベーターを降りた二人は、夜の街を歩いていた。 理恵は答えずに、叫ぶようにして言葉を続ける。 「なんなのよ……急にいなくなって、急に現れて、挑発して殴られて……何がしたいのよ!」 「……君のもとに戻ってきただけだよ」 内山が言った。理恵の目が、一層大きく見開かれる。 「……馬鹿言わないで……」 理恵が言った。しかし、動揺しているのは明らかだ。そんな理恵に、内山も続ける。 「馬鹿はどっち? 僕はずっと君が好きだった。そんな僕が、君が鷹緒先輩と同じ事務所にいるって聞いて、放っておけると思った? もう、夫婦じゃないのに」 「……自惚れないで。あんたが戻ってくる余地はないわ」 その言葉に、内山は一瞬、悲しそうな顔を見せる。 「そうかな……」 内山はそう言うと、理恵の唇にキスをした。 一瞬、理恵の動きが止まる。しかし次の瞬間、内山の頬を叩いた。 「もう……二度と私の目の前に現れないで!」 理恵は涙を流しながらそう言うと、夜の街へと消えていった。
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