「諸星さん」 撮影スタジオに着いた二人は、早速声をかけられた。雑誌の編集者である。 「おはようございます。遅くなりました」 鷹緒が言う。 「いいえ。こちらこそ、ご都合が悪い中、無理にお呼び立てしてすみません。それに、おたくの腕の良いお弟子さんが頑張ってくれてますよ」 撮影はすでに始まっていて、鷹緒の弟分である俊二がすでに撮影にかかっていた。今日はもとから鷹緒は遅れる予定だったので、前半は俊二ということも了承済みである。 「それはよかったです。キリのいいところで交代させてもらいます」 「ええ、お願いします。こちらのお嬢さんは?」 編集者が、沙織を見て尋ねた。すかさず鷹緒が口を開く。 「うちの新人の小澤沙織です。今度シンコンに出ることになりまして、撮影現場に慣れさせたくて……邪魔はさせませんので、隅にでも置いてやってください」 「そうでしたか、シンコンの……なるほど可愛いお嬢さんですね。うちのティーン向けファッション誌にも、ぜひ出てもらいたいなあ」 「機会があれば、是非お願いします」 鷹緒が、肘でつついて沙織を促す。 「小澤沙織です。よろしくお願いします」 すかさずお辞儀をして、沙織がそう言った。編集者は優しく微笑んで頷く。 「こちらこそ、よろしくお願いします。私はラムラブ編集者の河野です。諸星さんとは、もう結構長いつき合いになりますね。しかし、諸星さんが新人さんに親身になっているとは知りませんでしたよ」 「僕は誰にでも親身になってますよ」 笑って鷹緒がそう言った。 「あははは。それは失礼しました。小澤さん、ゆっくりしていってくださいね」 そう言うと、編集者という河野は別のところへ去っていった。 「鷹緒さん」 その時、俊二が声をかけた。 「おう、一段落着いた?」 鷹緒が尋ねる。 「はい。十五分休憩です」 「ご苦労さん。これ、カメラ」 「すみません……」 「いいよ。でも、もう自分のカメラ、忘れんなよ。後半は二人で一気にいくからな」 「はい」 「諸星さん!」 そこへ、そう言って女の子が駆け寄って来た。鷹緒と理恵の娘・恵美である。 「諸星さん!」 「ああ。可愛いじゃん」 衣装のままの恵美を見て、鷹緒がさらりとそう言った。 「ありがとう。あのね……」 恵美はそう言って、両手を鷹緒の耳にあてる。 「あのね、この間はママを助けに来てくれてありがとう」 小声で恵美が言った。そんな恵美に、鷹緒は微笑む。 「いいよ。困った時はお互いさまだからな。もうすぐ始まるから、休んでおけよ」 「うん!」 嬉しそうに、恵美は去っていった。 「相変わらずですね」 小さく苦笑して、俊二が鷹緒を見た。 「何が?」 「いえ……」 押し黙った俊二を尻目に、鷹緒は恵美を見て微笑む。 親子関係であろうとも、職場ではそれを表に出してはならない。それが昔からの互いのルールで、恵美も職場では、鷹緒を父として見てはいなかった。それは私情を挟んではいけない場所もあるが、鷹緒が結婚していたことも、娘がいることも、ほとんど知られていないからであった。 「諸星さん、お願いします」 「はい」 スタッフの言葉に、鷹緒が立ち上がる。撮影はそのまま続行された。 「沙織ちゃん」 しばらくして、壁際で撮影の様子を見つめる沙織に声をかけたのは、理恵であった。 「理恵さん」 「どうしたの? こんなところに……」 少し驚いた様子で、理恵が尋ねる。 「いえ……鷹緒さんが、撮影現場に慣れておいた方がいいからって……」 「そっか。ごめんね、私が連れて来てあげられなくて……」 「いいえ。理恵さんは、今までどうしてたんですか?」 「他のつき添いのお母さんたちと話してたの」 二人は、慣れた様子でポーズをとる恵美を見つめる。 「すごいですね。あんなに小さいのに、いろんなポーズ取って……」 沙織が静かに言った。 「慣れよ。赤ちゃんの頃からモデルやらせてたから。楽しいみたいだしね」 「でも、すごいですね。鷹緒さんにも、ちゃんとカメラマンとして接してて……」 「……昔に決めた、決まりごとだから。それより、どう? 撮影現場は」 「うーん。やっぱり、慣れるには時間がかかりそうです。やっぱりまだちょっと、恥ずかしいかな……」 素直に沙織がそう言った。理恵は優しく微笑む。 「そう? でも、きっとすぐにわかるわよ。気持ち良いんだから」 「あはは。理恵さんは、前にモデルやってたんですよね。どうしてですか?」 「私はモデルとしては背が小さい方だけど、一般的には高くてね……それがコンプレックスだったんだけど、それを克服するには、バレーボールの選手かモデルかって思ってね。たまたま友達に勧められたのもあって、オーディション受けてこの世界に入ったの。最初は私も恥ずかしかったけど、だんだん人に見られるのが楽しくなったのよ。雑誌に出たら、反響もあったし」 「へえ。そうなんですか」 「まあ、慣れることよ」 理恵がそう言うと同時に、撮影が終わった。 「ママ」 そこに、恵美が駆け寄ってくる。 「お疲れさま」 「ママもお疲れさま……このお姉ちゃんは?」 恵美が沙織を見て尋ねた。 「諸星さんの親戚の、小澤沙織ちゃんよ。今度のシンコンに出るの」 理恵がそう説明をする。それを聞いて、恵美の顔が輝く。 「諸星さんの親戚なの? シンコンに出るの? すごい!」 「それより、恵美。ご挨拶は?」 理恵に促され、恵美がハッとしてお辞儀をした。 「石川恵美です。よろしくお願いします」 「小澤沙織です。こちらこそ、よろしくお願いします」 突然、改まって挨拶をした恵美に、沙織も挨拶をした。そして二人は、顔を見合わせて笑う。 「沙織。帰るぞ」 そこへ、鷹緒が声をかけた。恵美は鷹緒を見つめると、表情を変えて口を開く。 「……諸星さん、沙織ちゃんと一緒に帰るの?」 「ああ。俊二も一緒だけどな」 「……」 突然、恵美が押し黙った。 「……今度、新しくなった事務所来いよな」 恵美の寂しさを察して、鷹緒がそう言った。途端に、恵美の顔は元通り明るくなる。 「本当? 行ってもいいの?」 「もちろん」 「うん、行く!」 嬉しそうに恵美が言ったので、一同も微笑んだ。 「じゃあ、私たちもそろそろ……お疲れさまでした」 理恵はそう言って、恵美を連れて去っていく。鷹緒たちも荷物を持って、俊二が乗ってきた鷹緒の車へと乗り込み、事務所へと戻っていった。
「お疲れ」 三人が事務所に戻ると、広樹が出迎えた。 「なんだ、ヒロ。一人か?」 鷹緒はそう聞きながら、返事も聞かずに奥へと入っていった。 「ああ、一人で残業だよ。沙織ちゃんも一緒だったんだ?」 「はい。撮影現場に慣れようと……」 沙織が答える。広樹は頷くと、話題を変えた。 「そっか。あと、夏休みの宿泊場所の件だけど……」 広樹がそんな話を持ち出す。沙織の家から事務所までは少し遠く、学校帰りに片手間で寄ることは苦にならなくても、毎日わざわざ出向くには少し遠いのである。 通えない距離ではないので、沙織はすまなそうに口を開く。 「はい……すみません」 「いやいや、いいんだよ。確かに少し遠いもんね。理恵ちゃんも気にしてたし。でも場所とか、どこか希望はあるのかな。ビジネスホテルとかでもいいの?」 「はい。近くで寝られればどこでも……」 そう時、カメラをいじりながら話を聞いていた俊二が首を傾げた。 「ホテルなんかより、うちのスタジオでいいんじゃないですか?」 「スタジオって……あの半地下のか? 殺風景で、女の子の暮らす場所じゃないだろう」 俊二の言葉に、広樹が言う。 「違いますよ。マンションの方。鷹緒さんの部屋と繋がってる……あそこ、今の時期はほとんど使ってないし、使うにしても控え室も別にあるんですし、他の道具や撮影に支障はないんじゃないですか? ねえ、鷹緒さん」 奥から出てきた鷹緒に、俊二が話を振った。 「なに? 何の話?」 話が掴めず、鷹緒が尋ねる。 「沙織ちゃんの宿泊場所ですよ。マンションのスタジオじゃ駄目ですか?」 「って、俺のマンション?」 鷹緒が煙草を咥えながら言った。 「そうだな、その線を忘れてた。あそこなら鷹緒もいるし、いざという時は頼りになるんじゃない? 親戚同士なら心強いだろう」 広樹も賛同する。その話の内容に沙織も頷いた。鷹緒のすぐそばにいられるということが、とても嬉しい。 「いいんだよ。だいたい家から事務所まで遠いったって、四十分程度だろ? そんなわがまま言ってるくらいなら、カプセルホテルかなんかでいいんじゃねえの?」 面倒臭そうに、鷹緒が言う。 「馬鹿か。そんなところに女の子一人置いておけるわけないだろ。別に部屋が繋がっていようが隣だろうが、大して会うこともないだろう。沙織ちゃんは、どう?」 広樹が沙織に尋ねる。 「わ、私は……それでいいです。それが……いいです」 素直に沙織がそう答えたことで、広樹は大きく頷いた。 「よし。じゃあ、これは事務所の決定だ。今やあそこは事務所の持ち物なんだからな」 「わかったよ。でもおまえ、俺の部屋に勝手に入るなよ」 鷹緒が沙織に言う。そんな鷹緒に、沙織は口を尖らせた。 「わかってるもん。覗いたりしませんよ……」 「じゃあ決まりだな。よかった。いろんな手間が省けたよ」 「主に金だろ?」 広樹の言葉に、鷹緒が言う。 「ハハハ。どこも厳しいご時世なのよ……」 「じゃあ、ちゃんと片付けろよ。控え室だって、最近はほとんど使ってないんだし」 「ああ。今度ちゃんとやるよ」 「じゃあ帰るか。ヒロ、食事は?」 鷹緒が広樹に尋ねる。広樹は苦笑して首を振った。 「僕は残業。仕事が溜まっちゃって……」 「いろんな仕事に、手出し過ぎなんだよ」 「ハハ。それを言うなよ」 「悪いけど、今日は先に帰るぞ」 「ああ、もちろん。手伝ってもらうような仕事じゃないし、こっちももう少しで終わるから大丈夫」 「じゃあ、お先に」 一同は広樹を残して、事務所を出ていった。
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