数週間後。沙織が事務所に出向くと、理恵が駆け寄った。 「沙織ちゃん!」 「理恵さん……?」 理恵の勢いに、沙織が怪訝な顔をする。あれからレッスンは続けているものの、鷹緒には二、三度顔を見た程度で、会う機会がない。 「沙織ちゃん、まずは第一関門突破よ。シンコンの書類審査に通ったの!」 理恵が嬉しそうにそう言った。そんな理恵に、沙織も笑顔で驚く。 「え、本当ですか!」 「うん。まあ大丈夫だとは思ったけれど、書類審査でかなり落とされるから……でも、これで一安心ね」 「よかった……あとはどんな審査があるんですか?」 「二次審査はスタジオで、面接と特技披露ってところね」 「特技?」 「大丈夫よ、難しいことはないから。一発芸でも歌でも踊りでも、なんでもオーケー。一応ボイストレーニングも受けてるんだし、一緒に考えようね」 不安げな様子の沙織を元気づけるかのように、優しい笑顔で理恵が言う。 「はい……」 「三次審査はカメラテスト。そこからシンコン指定の雑誌数社と企業への貼り出しで、一般投票が行われるわ。あとは最終テスト。会場で審査員を前にもう一度特技を披露したり、いくつか衣装を替えて決めるのよ」 「なんか、すごそう……」 圧倒されるように、沙織が言った。 「狭き門なのは確かだけれど、事務所のバックアップもあるわけだし、あなたはもう他社の読者モデルで少しは人気を得ているわけだし、三次まで通れば可能性がないわけじゃないわ。私もしっかりサポートするから、最後まで全力で頑張りましょうね」 そう言った理恵の笑顔が、凛々しく見える。沙織は複雑な心境ながらも、微笑んで頷いた。 「はい」 「ああ、それから、鷹緒さんに聞いたんだけど……」 理恵の言葉に、沙織は一瞬硬直し、理恵の次の言葉を待った。 「沙織ちゃん、自宅から事務所まで来るの、少し大変なんですって?」 「あ、はい……大した距離ではないですけど、少しだけ」 沙織は素直に答えた。先日、鷹緒に言ったことが、理恵に伝わっていることが少し悲しく思う。 「ううん、私も前から思ってたのよ。夏休みに入ったら、毎日のように来てもらわなくちゃならないでしょう? ただでさえハードスケジュールなのに、移動だけで疲れちゃうんじゃないかと心配してたの。それで昨日、社長とも話したんだけど、夏休みの間は沙織ちゃんが泊まれるように、近くに部屋を取ろうかって……」 理恵の言葉に、沙織は驚いた。 「それは嬉しいですけど、いいんですか? わざわざそんな……」 「もちろんよ。移動で疲れさせるなんて可哀想なこと出来ないわ。そのくらいは事務所でやるから心配しないで。近々部屋を探すから、お母様にも先に伝えておいてくれる? 正式に場所が決まったら、事務所からも伝えるから」 「わかりました。ありがとうございます」 会釈をしながら沙織が言った。すでに移動が辛く感じていたため、近くに泊まれるのは願ってもないことだ。 「じゃあ、今日はもういいから。私、今日は娘の撮影につき合わなくちゃならなくて、もう行かなきゃならないんだ。じゃあ、今度は週末ね」 「はい。お疲れさまです」 沙織に見送られ、理恵が出ていった。それと入れ替わりに、鷹緒が帰ってくる。 「おう、沙織。来てたのか」 鷹緒が声をかける。ちゃんと話すのは、先日の宣材写真撮影の時以来だ。 「う、うん……今、理恵さん出ていったよ」 「ああ、会ったよ……牧!」 そう言いながら、鷹緒は忙しく牧の机へと向かっていく。 「おかえりなさい、鷹緒さん」 牧が言う。 「ああ。それより、俊二の棚ってどこだっけ?」 「真ん中の段の、右から五番目ですよ。名札貼ってあります。どうかしたんですか?」 「あいつ、俺のカメラ持って先に出たくせに、自分のカメラ忘れたんだって。ったく、抜けてんだから……」 そう言いながら、鷹緒は壁に備えつけられた、扉付きの棚を開ける。 「きっと鷹緒さんのカメラを忘れちゃいけないって思って、必死だったんですよ。今日、ラムラブの撮影でしたよね?」 「ああ」 「え? 鷹緒さん、ラムラブのカメラマンもやってるの?」 話を聞いていた沙織が、突然、話に入ってきた。そんな沙織に、鷹緒が口を開く。 「いや、たまにお呼ばれするんだよ。あそこ、専属カメラマンはいないに等しいから」 「ふうん……」 月刊ラムラブとは子供服雑誌であり、鷹緒と理恵の娘・恵美が、専属モデルとして起用されている。今日は必然的に親子三人が揃うのだと、沙織は気付いていた。 「なに、おまえ暇なの?」 沙織に向かって、鷹緒が尋ねる。 「え、暇っていうか……」 「暇なら一緒に来るか?」 「え!」 別れた親子三人が顔を合わせるはずだという場に、さらりと誘われたので、沙織は驚いていた。 「なんだよ、その驚きようは」 「だ、だって……」 「まあ、子供雑誌ではあるけど、おまえも撮影現場に慣れておいた方がいいぞ?」 鷹緒の言葉に、沙織は頷く。 「うん……でも、いいの?」 「邪魔しなきゃな。じゃあ、牧。沙織連れて行ってくるから」 「はい。行ってらっしゃい」 牧に見送られ、鷹緒と沙織は事務所を出ていった。
「今日は車じゃないの?」 駅へ向かう鷹緒についていきながら、沙織が尋ねる。 「ああ。今日は時間がないから、身動きとりやすい電車。それに、先に俊二が俺の車に乗って行ってる」 そう言いながら、鷹緒は切符を二枚買うと、沙織にも渡して改札を通っていった。 「で、でも、本当に行っていいの? 理恵さんと、さっき分かれたばっかりなんだよ……?」 撮影現場には娘だけでなく理恵がいるということを、鷹緒が気付いてないのだと思って、思い切って沙織が言った。鷹緒が親子で揃う場面を、事情を知る沙織に会わせたくはないはずだと思った。 沙織の言葉に、鷹緒は苦笑する。 「ああ、だからか……わけのわからんやつだな。関係ないじゃん」 鷹緒はそう言いながら、やってきた電車に乗り込む。 「……鷹緒さんは、関係ないの?」 動き出した電車の中で、やっと言った沙織の言葉に、鷹緒は眉をしかめた。 「なに言ってんの?」 「え……?」 「俺もあっちも、それぞれプロとしてやってんだ。どんな事情があろうと、仕事は仕事だろ? 関係ないじゃん」 珍しく鷹緒が強い口調で言ったので、沙織はそれ以上、何も言えなくなってしまった。 「……ごめんなさい」 そんな沙織に、鷹緒は小さく溜息をついた。 「……まあ、やりにくいのは確かだけどな……」 そう言って苦笑する鷹緒に、沙織もやっと小さく微笑んだ。
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