二人はそのまま車で街へと出ていった。沙織は横目に鷹緒を見つめ、口を開く。 「……どこ行くの? スタジオじゃないの?」 「うん。マンションのスタジオで撮ろう」 運転をしながら、鷹緒がそう言った。 鷹緒の言っているマンションのスタジオとは、鷹緒の自宅と連なった部屋のことである。その一室は会社が所有している部屋で、機材も揃い、スタジオとして撮影でよく使われているようだ。 しかし沙織がよく知るスタジオは、会社近くにある地下のスタジオで、マンションのスタジオでの撮影というのは、あまりピンとこない。 「どうして?」 「地下スタジオは、引越しの荷物とか放り込んであって、今はあんまり機材も揃ってないんだ。マンションのスタジオなら、衣装もメイク道具もあるからな……」 鷹緒のその言葉で、沙織は初めて鷹緒の意図を理解した。地下スタジオより、衣装もメイクも充実しているスタジオの方に行こうと言うのだ。鷹緒のさりげない優しさが、沙織の気持ちを高ぶらせる。 「……どう? トレーニングは」 今度は鷹緒が尋ねる。助手席の沙織は、鷹緒の横顔を見つめた。 「う、うん。なんとかやってる……この間はスポーツジムで一日トレーニングしたし、あとは事務所でポーズのとり方とか歩き方とか、いろいろ……」 「へえ。ちゃんとやってんだ」 「まあね……でも学校帰りならいいけど、毎日事務所に行くのは辛いかな。ちょっと家から遠いから……夏休みになったら毎日だし、ちょっと行きにくくなるかも」 沙織が少し、苦笑して言った。 「ああ。そうかもな……」 鷹緒はそう言うと、マンションの駐車場へと入っていった。
鷹緒の自宅マンションに着くと、鷹緒は自宅の部屋の隣にある、スタジオとなる部屋のドアを開けた。そこも沙織が前に来た時よりは、事務所の引越し荷物で溢れている。 「どんな服がいい?」 衣裳部屋で、鷹緒が沙織に尋ねる。 「うん……可愛いやつがいいな。ダサイのも嫌だし」 「最近、流行のはこの辺かな。まあ、おまえの宣材写真なんだから、好きにしろよ。俺はリビングにいるから」 そう言って、鷹緒は沙織に背を向けた。 「そんな。センス疑われちゃったら嫌だよ」 すかさず沙織が引き止める。鷹緒は怪訝な顔で沙織を見つめた。 「おまえ、そんなにセンス悪いの?」 「自信があるほうじゃないけど……」 「ったく……」 鷹緒は衣装の中から数着を選ぶと、壁のフックにかけた。どれも最近の流行ファッションで、個性的でもある。 選ばれた服を見て、思わず沙織が呟く。 「可愛い……」 「ほら、ここまで絞ってやったんだから、あとは好きなの着ろよ」 「じゃあ……これ」 沙織はそう言うと、白を基調としたワンピースを選んだ。そんな沙織に、鷹緒が笑う。 「選ぶと思った」 「え、なんで?」 「だっておまえ、よく白い服着てるし」 「あ、膨張色だから、やめておいたほうがいいかな?」 「真っ白じゃないんだから平気だよ。おまえなら似合うだろうし……じゃあ、顔洗って着替えてこいよ」 鷹緒はそう言って衣裳部屋を出ていった。さりげない鷹緒の台詞が、ますます沙織の気持ちを高ぶらせる。沙織の鷹緒への思いは、どんどん真剣になっているようだった。
しばらくして、衣装に着替えた沙織は、鷹緒の待つリビングへと向かっていった。 すると、リビングはすでにちょっとした機材が揃えられ、きちんとしたスタジオのようになっている。鷹緒は待ちくたびれたように、ベランダで外の写真を撮っていた。 「ごめんなさい。遅くなって……」 沙織が声をかける。 「ああ……本当だよ。着替えに何分かかってんだ。そんなんじゃ、モデルにはなれないぞ」 「はーい。ごめんなさい」 沙織は素直に謝った。初めて着る服と、抜かりない着こなしをするために、着替えに時間がかかっていたのは、自分でもわかっている。 「メイク出来る?」 「習ってる最中……」 「……じゃあ、そこ座って」 指示通りに、沙織は椅子に座る。鷹緒はその前に座ると、メイク道具を構えた。 「え、鷹緒さんがメイクするの?」 「なんだ、不満か?」 「う、ううん……」 至近距離の鷹緒に、沙織は胸の高鳴りを抑えるのに必死だった。鷹緒は構わず、器用にメイクを進めていく。 「……た、鷹緒さん、メイクも出来るんだね」 「んー、まあ仕事柄、こうして人にメイクすることもあるし、昔は自分もやってたわけだからな……」 「うん。モデル時代の鷹緒さん、前に写真で見せてもらった。すごくカッコよかったよ」 「なに、今は?」 「今……も……」 沙織の言葉に、鷹緒は静かに微笑んだ。 「お世辞はいらないけどな」 鷹緒は苦笑して立ち上がると、カメラを持った。 「じゃあ、そこに立って」 「もう撮るの?」 「当たり前だろ。じっとして」 鷹緒はカメラのファインダーを覗く。鷹緒の目が急に真剣になったので、沙織は緊張で動けなくなる。 「沙織。もっとリラックスしろよ」 あまりに硬くなった沙織に、鷹緒が言った。 「そ、そんなこと言ったって……」 「練習の成果が出てねえなあ……理恵は何を教えてんだよ」 鷹緒が理恵の名前を出したので、沙織は少し悲しくなった。鷹緒は構わず、そばにあった椅子を沙織の横に置く。 「じゃあ、それに座って」 言われるままに沙織が座る。鷹緒がシャッターを切り始めるものの、沙織の表情はまだ強張っている。 「……沙織。そんなんじゃ、いい写真なんて撮れるわけないだろ。書類で落とされるぞ」 「だって……」 困った様子の沙織に、鷹緒が軽く溜息をついた。そして静かに微笑み、口を開く。 「……じゃあ、想像してみて。この一枚の写真で、審査員からプロダクションまで、多くの人が見るんだ。よければ仕事もたくさん来るわけ。コンテストに限らずな」 話しをしながら、鷹緒はシャッターを切っていく。 「ちなみに、俺に撮ってもらいたい芸能人はたくさんいるんだ。おまえは恵まれてんだから、さっさと慣れてその気になった方が得だぞ? 俺は見た人が一瞬にしておまえに惚れる写真を撮ってやりたいんだよ」 「……余計、緊張しちゃうよ……」 沙織の言葉に、鷹緒は苦笑する。 「……じゃあ、その写真がおまえの好きな人も見るって想像してみたら? 彼氏とは別れたみたいだけど、その後どうなんだよ」 「え……」 「今は好きなやついないの?」 鷹緒のその言葉に、沙織は赤くなった。 (目の前にいるよ……!) 心の中で、沙織が叫ぶ。そんな気持ちを知らない鷹緒は、変わらずからかうように笑う。 「なんだ、いるのか。若いってのは、恋多きことだなあ……じゃあ、そいつのことでも考えろよ。そいつがこの写真見て、おまえのことが好きって思えるような写真を撮ってやるから」 その言葉に、沙織は鷹緒のことでいっぱいになった。そして目の前にいる鷹緒を見つめると、恥ずかしさで真っ赤になる。それに気付いた鷹緒は、カメラを下ろした。 「……そんなに好きなんだ? 真っ赤になるほど」 からかうように、鷹緒が言う。 「嫌だ。そんなことないもん……」 「お、やっといい顔」 鷹緒がシャッターを切る。 「やだ、恥ずかしい!」 「アホか。じっとしてろっつーの」 気持ちが解れた様子の沙織に、鷹緒はここぞとばかりにシャッターを切った。
しばらくして。鷹緒はカメラをテーブルに置いた。 「よし、これで終わり」 「ああ、恥ずかしくて、よく覚えてない……」 沙織の言葉に、鷹緒が笑う。 「アハハハ。まあ、その方がいいんじゃない? 今日はどうする? 送るか」 「本当? うん、送ってほしい!」 「ハイハイ……」 「なに? 今日は優しいね」 「俺はいつでも優しいよ。それに今日は比較的、暇なんでね……」 その時、鷹緒の携帯電話が鳴った。 「じゃあ、着替えてこいよ」 鷹緒はそう言うと、電話に出る。沙織は頷いて、衣裳部屋へと戻っていった。
少しして、着替えて沙織が戻ると、鷹緒はまだ電話をしていた。 「わかりました。じゃあ、また今度……ええ、失礼します」 やっと終わった電話に、鷹緒は少し難しい顔をしている。沙織は静かに鷹緒へと近付いた。 「……長かったね。電話」 「ああ。昔、世話になった人の仕事を手伝うことになりそうでね。いろいろ話してた……もう一件電話あるから、ちょっと待ってて。こっちはすぐ終わるから」 「うん」 そう言うと、鷹緒は電話をかけ始める。 「ああ、俺。諸星ですけど……うん、どうだ具合は。病院は?」 鷹緒のその口調で、沙織はすぐに、電話の相手が理恵だと悟った。 「飯は食ったか? ああ……じゃあ、今から沙織送っていかなきゃならないから、その後に寄るから。じゃあな」 電話を切った鷹緒を、沙織はじっと見つめる。 「……なに?」 その熱い視線に、鷹緒は怪訝な顔をして、沙織を見つめ返した。 「……理恵さん?」 「ああ。ちょっと心配だから……あとで様子見に行ってくる」 「……別れた人なのに……」 沙織の言葉に、鷹緒は目を逸らしてジャケットを羽織る。 「仕事仲間だからな……あいつも俺と一緒で、限界までやる性質だし。ほら、行くぞ」 「いい」 沙織はそう言うと、玄関へ向かった。 「え? おい、沙織?」 「いい……早く理恵さんのところに行ってあげなよ」 「……おまえは?」 「……私はいい。病気じゃないし、電車もあるし。じゃあね!」 沙織はそう言うと、部屋を飛び出していった。鷹緒は沙織の行動に、首を傾げる。 「なんだ? あいつ……」
沙織はそのまま、電車へと飛び乗った。 (馬鹿バカ! 鷹緒さんってば、全然わかってない! 私の気持ちも、なんにも……) 心の中でそう叫んだ時、沙織はハッとして顔を上げた。流れる景色を背に、窓に浮かんだ自分の姿が映る。 (……知るわけない。何も伝えてないのに……) 沙織は遠くを見つめ、鷹緒のことを考えた。 (微妙な関係だな……まったく知らないわけじゃない。家族じゃないし、友達でもない。でも……やっぱり私、鷹緒さんが好きみたい……) 沙織はそのまま、自宅へと帰っていった。
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