熱狂の渦の中、BBのコンサートが始まった。男性歌手グループのBBは、リーダーのユウを筆頭に、センジ、リュウ、アキラの四人組ユニットである。熱狂的なファンの中で、沙織も負けじと四人を応援した。
コンサート終了後。沙織は言われた通り、鷹緒の車へと乗り込んだ。まだ夢から醒めない様子の沙織は、会場で売っていたBBの写真集を見ながら微笑む。 「悪い。待たせたな」 しばらくして、鷹緒がドアを開けて言った。 「あ、ううん……」 「なんだ、まだ余韻に浸ってるのか?」 「だって……あ、もう仕事終わったの?」 「ああ。それより、これから打ち上げがあるらしいんだけど、おまえも来るか?」 「え!」 鷹緒の言葉に、沙織は目を丸くする。 「近くのスタジオスペースで、軽くやるだけみたいだけど」 「行く行く。もちろん行く!」 「オーケー。じゃあ……」 その時、鷹緒の携帯電話が鳴った。 「ああ、悪い……」 鷹緒は車に寄りかかって、電話に出た。 「はい。ああ……どうした?」 沙織はそんな鷹緒を見ながら、車から出た。楽屋口は孤立しているのでファンの子はいないが、スタッフたちが忙しく搬出をしている。 「……誰かいないのか?」 少し深刻と見られる鷹緒の電話に、沙織は写真集を眺めながら時間を潰す。 「わかった。じゃあ今から行くから……ここからなら、そんなに時間もかからないはずだから……ああ、わかった」 鷹緒は電話を切った。 「沙織、ごめん。俺、急用が入って……」 「えー」 不満気だが切実な目で、沙織が鷹緒を見つめる。鷹緒もいつになく困った様子だ。 「悪い……よければ一人で行けよ。話はしておくから」 「やだよ。鷹緒さんがいないなら……」 沙織が正直に言った。いくら好きな歌手と一緒に居られても、誰も知らないところへ一人で入るのには勇気がいる。 「……じゃあ、帰るか?」 「んー……」 残念そうに、沙織が俯く。 「あれ、まだ行ってなかったんですか?」 その時、BBのメンバーであるアキラが声をかけた。 「ああ。悪いんだけど俺、急用が入って……」 すまなそうに、鷹緒が言う。 「ええ、そんな……」 「悪いけど……」 「どうしたの?」 そこへ残りのBBメンバーが全員出てきた。 「諸星さん。今日はありがとうございました」 「いい写真、たくさん撮ってくれました?」 リュウとセンジが言う。 「うん。それはバッチリ。でも悪いんだけど、急用入っちゃって、打ち上げには出れそうにないんだ……」 鷹緒の言葉に、一同が残念がった。 「そうですか。ゆっくり話がしたかったんですけど……」 「本当にごめんな……」 鷹緒の言葉に、ユウが沙織を見つめる。 「まあ、仕方ないですよ……沙織ちゃんも一緒に帰るの? 同じ用事?」 ユウが尋ねる。 「あ、いえ……」 「そうなんだ。もしよければ、沙織ちゃんだけでも来ない? ファンの意見を間近で聞けるチャンスだし、もちろん帰りはタクシーなりで送り届けるよ」 「で、でも……」 ユウの言葉に、鷹緒が沙織を見つめた。 「行って来たら?」 「……鷹緒さんは?」 「俺は急用が出来たんだって……願ってもないチャンスじゃん。楽しんでこいよ」 軽く鷹緒がそう言う。 「おい、もう行くよ」 そこへ声をかけたのは、BBのマネージャーである。 「はい。どうする? 沙織ちゃん。やっぱり諸星さんが一緒じゃないと、心細いかな」 ユウがそう言っていると、マネージャーが駆け寄ってきた。 「どうかしたの?」 「ああ、彼、僕らのマネージャー。諸星さんが打ち上げに来られなくなっちゃったんだけど、沙織ちゃんは迷ってるんだ。未成年だし、マネージャーが責任持って面倒見るって約束してやってよ。そうじゃなきゃ沙織ちゃんも来づらいし、諸星さんも不安でしょ」 ユウの言葉に、マネージャーが事態を察して頷く。 「そういうことなら僕は大丈夫ですよ。家まで送り届ければいいんですよね? じゃあ、せっかくなんで一緒に行きましょうよ。バスに乗ってください」 マネージャーの言葉に、沙織は鷹緒を見つめる。 「よかったな、行ってこいよ。終わったら電話しろよ」 沙織の背中を軽く叩き、鷹緒が言う。 「……本当に行っていいの?」 「ああ。でも、ハメは外すなよ」 「外さないよ。じゃあ……行くからね?」 まだ不安げながらも沙織がそう言った。鷹緒がいなくとも、行きたい気持ちが強まっている。 「ああ。楽しんでこいよ」 鷹緒がそう返事をすると、沙織はBBのメンバーに囲まれ、移動用のマイクロバスへと乗り込んでいった。鷹緒はそれを見届けると、車に乗って去っていった。
「諸星さん、急用って、仕事かなあ?」 バスの中で、アキラが言う。 「さあ。案外、彼女のわがままとかじゃないの? あの人、モテるでしょ」 センジが、沙織に言った。沙織は緊張しながら口を開く。 「さ、さあ。彼女とかは聞いたことないですけど……」 「へえ。硬派っぽいもんね、あの人」 「でも、残念だなあ。ゆっくり話したかったのに」 ユウが独り言のように呟いた。 「俺も。あの人の腕、やっぱ並みじゃないよ。さっき軽く撮ったっていうリハの写真見せてもらったけど、超カッコイイんだ! もちろんプロ意識も高いし、初めて撮ってもらった時、すごく気持ちがよくてさあ」 「わかるわかる」 BBのメンバーは全員、鷹緒のカメラマンとしての腕に惚れていた。コンサートが終わったばかりだが疲れた様子もなく、BBのメンバーは気さくに話を盛り上げる。 「沙織ちゃん、そんなに緊張しなくて大丈夫だって。君も正式にモデルになったんでしょ? じゃあ、同じような業界じゃない。俺らのファンってことは嬉しいけどさ」 笑いながら、リュウが沙織にそう言った。沙織は少し慣れてきた様子で、笑顔で応える。 「はい。ありがとうございます」 一行は、打ち上げ会場へと向かっていった。
車を飛ばして鷹緒が向かったのは、都内のとあるマンションだった。鷹緒はそこの一室のインターホンを鳴らす。 「はい」 出てきたのは、小さな女の子であった。 「パパ!」 「よう。久しぶりだな」 鷹緒はいつになく優しい笑顔でその子を見つめ、頭をくしゃくしゃと撫でた。 「どうぞ」 そう言って、女の子は鷹緒を部屋に上げた。 女の子の名前は、石川恵美。現在六歳の、鷹緒と理恵の娘であった。 「それで、理恵は?」 「お部屋にいるの」 鷹緒は寝室のドアを開けた。ベッドには理恵が眠っている。 「ママね、帰ってからすごく辛そうにしてて、お熱があるの。お薬飲むから大丈夫って言ってたんだけど、お薬なくて、寝てれば治るって言って……」 懸命に恵美が説明をする。恵美は、理恵のいつもと違う様子に戸惑い、鷹緒に電話をして呼び出したのであった。 「……恵美。起こして薬飲ませるから、コップに水汲んできて」 「うん」 鷹緒の言葉に、恵美はキッチンへと向かっていく。鷹緒は寝ている理恵に、そっと声をかけた。 「理恵……」 その声に、理恵はゆっくりと目を覚ました。 「……鷹緒?」 「ああ……」 「なに? どうしたの……」 驚いて起き上がりながら、理恵が尋ねる。 「恵美から電話が来た。おまえが倒れたから、どうしようってね」 「ああ……ごめんね、鷹緒……」 辛そうに俯き、理恵が言う。 「おまえ最近、無理し過ぎなんだよ」 「わかってる。本当、ごめん……」 「いいから。解熱剤買ってきたから、飲めよ」 そこに、恵美が水を持ってやってきた。 「パパ、お水」 「サンキュー」 鷹緒が水を受け取る。 「ママ、起きたの? 大丈夫?」 心配そうに、恵美が理恵を見つめる。 「うん、大丈夫。ごめんね、恵美。心配かけて……このところ、ろくに話も出来てないのに。ごめんね」 「平気。でも、早く治してね」 「うん。ごめんね……」 理恵は何度も謝ると、鷹緒に促されて薬を飲んだ。 「鷹緒。ごめんね……」 「もういいから、寝ろよ。今日はここにいるから……恵美のことは心配するな」 「うん……」 そのまま理恵は、すうっと眠りについた。 そこで鷹緒と恵美は、ゆっくりと理恵の寝室を出ていった。 「パパ、ありがとう」 恵美が笑ってそう言った。そんな恵美の笑顔につられるように、鷹緒も優しく微笑む。 「いいよ。それより、おまえは御飯食べたのか?」 「うん。七時までは、ベビーシッターさんがいるの」 「そうか。じゃあ風呂は?」 「まだ。パパ、一緒に入ってくれる?」 「ああ、いいよ」 恵美は嬉しそうにそう言って、風呂場へと駆けていった。母子二人の生活で、恵美は着実に大人びている。 それから鷹緒は恵美とともに風呂へ入り、久々の父子の一時に、鷹緒は過去の結婚生活を思い出していた。
数時間後。理恵のマンションで、恵美を寝かしつけた鷹緒が、リビングのソファに座っていた。結婚生活の様々なことが思い出される。 その時、携帯電話が鳴った。 「はい」 『沙織です! 今、大丈夫ですか?』 電話に出た鷹緒に、興奮気味な沙織の声が聞こえる。 「ああ。その様子じゃ、楽しめたみたいだな」 『うん、もう夢みたい! ありがとう、鷹緒さん』 沙織の様子に、鷹緒は思わず微笑んだ。 「いや。で、そっちは終わったの?」 『うん。今、家に帰ったところ。二次会まで行けなかったのが残念。それより、急用ってなんだったの? BBのみなさんも、すごく残念がってたよ』 沙織の言葉に、鷹緒は少し考えて言った。 「うん……まあ仕事関係だよ。じゃあ、早く寝ろよ」 『うん、おやすみ。今日はありがとう』 沙織の言葉に、鷹緒は優しく微笑み、電話を切った。 「大分、楽しめたみたいだな……」 鷹緒はそう言うと、ソファに寝そべった。
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