「鷹緒さん。あの……石川さんって……」 車の中で、沙織は思い切って理恵のことを尋ねた。 「ああ……なに?」 少し嫌そうに、鷹緒が聞き返す。 「あの……本当に、これから一緒の職場で働くんだよね。その……やりにくくないの? 結婚してたんでしょ?」 「……まあ、やりにくくないっていったら嘘になるけど……本当、結婚自体知ってるやつほとんどいないんだ。それに、ヒロとも仲が良いわけだし、同じ事務所っていっても部署も違うし、出払うことも多いだろうしね……まあお互い、割り切ってるからどうってことないよ」 「へえ。そういうもの……」 「そういうものだな。じゃあ、ここでいい?」 鷹緒が、駅の近くに車を止めた。 「うん。今日はありがとう……突然ごめんね」 「いいよ。じゃあ、またな。ヒロに電話させるから、話聞いといて」 「わかった。じゃあ、またね」 沙織は車から降りると、去っていく鷹緒の車を見送った。 「……よし。やるぞ」 決意を固めてそう言うと、沙織はそのまま家へと帰っていった。
「シンコンのカメラマン? 俺が?」 事務所に向かった鷹緒が、かったるそうに言った。 「そう嫌そうな顔するなよ。シンコンっていったら、年に一度のビックイベントの一つだ。審査の一つにカメラテスト……まあ、カメラ映りがどうなのかを見るわけだけど、そのカメラマンの一人に、おまえへオファーが来てるわけ。ひいきがないように、他にも数名のカメラマンが来るわけだけどね」 鷹緒の前に座る、広樹が言った。目の前のテーブルには、有名なコンテストの資料が広げられている。 「わあ。今年もシンコンの季節ですか? 全日本・ミス・シンデレラコンテストっていったら、うちとしても外せないイベントになってきましたよね」 お茶を入れてきた牧が言う。 「そうなんだよ。でかいイベントだし、去年も鷹緒にオファーが来てたのに、仕事が被ってて断ったろ? 今年もこうして話が来たわけだから、願ってもない話だ。三次審査で、ちゃちゃっと撮るだけだよ」 「……わかったよ。事務所拡大のためですな」 腹を決めて、鷹緒が言った。 「よかった。助かるよ、稼ぎ頭!」 「おまえなあ……」 「オーケー?」 そこにタイミングよく、理恵が入ってきた。鷹緒は口を曲げる。 「なんだよ、オーケーって。おまえらグルか?」 「もちろんよ。同じ事務所の人間だもの。じゃあ、こっちもモデル選出に乗り出すわ」 やる気満々な様子で、理恵が言った。 「いやに力を入れてるな」 「もちろんだよ。今までうちは小規模でやってきたわけだけど、正式にモデル部署も出来たからね。事務所も大きくして新しくなったわけだし、事務所の名を世に知らしめるためにも、今回のシンコンは力を入れて、グランプリを狙うから」 同じく意欲を見せて、広樹が言う。 「ふうん……」 「ああ、それで、沙織ちゃんの方はどうなったか、おまえ聞いてるか?」 「え……まさか、沙織をシンコンに選出させるつもりなのか!」 鷹緒が察して言った。そんな鷹緒に、広樹は頷く。 「いやあ、もちろん、まだ候補だよ。でも、もし沙織ちゃんがオーケーしてくれるなら、十分いけると思うんだ。あの子は本当に可愛い子だし、雰囲気も持ってる。たったあれだけの雑誌出演で、多くのファンレターが来たんだぞ? キャンディスからのオファーだって何度も来てる。あの子は他のモデルに引けをとらないよ。まだ慣れてないところが、シンコン審査員の心をグッと掴んでくれると思うしね」 「……でも、あいつはモデルとしての心得とかまったくないし、第一、荷が重過ぎる……ただの小さいコンテストや、読者モデルレベルじゃない。たかが少しくらい反響があったからって、それはどうなんだ?」 熱く語る広樹に反して、鷹緒は冷静に心配して言う。親戚でもあるため、沙織の可能性を手放しで推せず、乗り気にはなれない。 「まだシンコンまで三ヵ月ある。これから教えていけばいいと思うよ」 「……でも」 「鷹緒が心配するのはわかるよ。赤の他人じゃないわけだし。もちろん本人の意思がなきゃ無理だし、他にも候補はいるからね」 いつになく慎重な態度の鷹緒を察して、広樹がそう言った。鷹緒も納得して頷く。 「……キャンディスの件は、オーケーだそうだ。近々契約に来させるから、連絡してやってくれ」 「本当か。キャンディス側も喜ぶよ。じゃあ早速、後で連絡入れるよ。おまえもシンコンの仕事受けてくれるなら、今度打ち合わせしてもらうから、そのつもりでな」 「わかった……」 鷹緒はそう言うと、立ち上がった。
「ようこそ。わざわざご足労いただきまして、すみません」 ある日。事務所に訪れた沙織とその母親を、広樹が出迎えた。 「いいえ。綺麗な事務所ですね」 辺りを見回しながら、母親が言った。 「越してきたばかりなので、まだバタバタしてるんですけどね……すみません。今日は鷹緒、出払っていていないんですが……」 「いいえ」 「では早速ですが、ご契約のお手続きをさせていただきましょうか」 広樹は契約内容を説明し、契約書を差し出した。これから沙織は、広樹の事務所に所属するモデルとなり、そこから依頼された雑誌社の撮影に出向くことになる。 「はい。これで契約は終わりです。ありがとうございました」 しばらくして、契約書への記入を終えて、広樹が言った。沙織の母親も、座ったまま頭を下げる。 「よろしくお願い致します……」 「こちらこそ。大事な娘さんですし、鷹緒の親戚ですからね。嫌な仕事はさせませんし、ご安心ください。それと、もう一つお話があるのですが……」 広樹はそう言って、シンデレラコンテストの募集チラシを差し出した。 「シンコン……」 ぼそっと沙織がそう言った。沙織でも知っている、有名なコンテストだ。 「そう、全日本・ミス・シンデレラコンテスト。略してシンコン。実は沙織ちゃんさえよければ、シンコンに出てもらいたいんです」 「ええ、私が? 無理です!」 すかさず沙織が言う。予想通りの反応といったように、広樹が笑う。 「あはは。そう言うと思った。でも聞いてよ。僕は今回、グランプリまでいけるモデルを探しているんだ。伊達に君を選んだわけじゃないし、その点では自信を持ってるよ。シンコンは全国から美少女を募るわけだけど、もし沙織ちゃんが受けてくれるなら、少しトレーニングを兼ねた体づくりの訓練を積んでもらうつもりだよ。ハードにはなると思うけど、基礎的な部分もしっかりやっていくし、事務所の全面的バックアップでフォローするつもりなんだけど……どうかな?」 「……無理だと思います……」 俯いて沙織が言った。 「そうかなあ。まあ、そんなに重く受け止める必要はないんだよ。君は本当、これから磨いていくべき人なんだから、自信なんてなくて当然だし」 「あ、鷹緒さん。おかえりなさい」 その時、事務所の入口からそんな声が聞こえ、一同は振り向いた。 「ただいま」 鷹緒はそう言って、広樹のもとへと向かう。 「おかえり」 「ああ、もう済んだ?」 広樹の言葉を受け、鷹緒が沙織たちを見て言った。 「ああ。今、シンコンの話をしてたところ」 「その様子じゃ、フラれそうだな」 「おまえなあ……おまえこそ、早かったな。シンコンの打ち合わせだろ?」 「ああ、すぐ終わったよ」 息を切らしながら、鷹緒は広樹の隣に座る。 「あの……シンコンの打ち合わせって、鷹緒さんも何かやるんですか?」 鷹緒と広樹を交互に見ながら、沙織が尋ねた。 「うん、三次審査のカメラマン。カメラテストだよ。まあ、沙織がシンコンの依頼を受けて、万が一、三次まで残るんだったら、俺がグランプリまで後押ししてやってもいいけどね……三次まで残るかが問題だな」 鷹緒の言葉に沙織は揺れた。意地悪な言葉も耳に入らない。 「へえ。鷹緒さんが、カメラマン……」 急に沙織は、シンコンをやってみたくなった。もし三次まで行けば鷹緒がいる。妙な安心感が、沙織を包む。 「……やってみてもいい?」 母親を見て、沙織が言った。母親も少し心配そうに戸惑っている。 「でも、本当に大丈夫なのかしら……」 「まあ、全国規模のコンテストはたくさんあるからね。最初からシンコンじゃなくたっていいけど、たまたまこの時期だから……よければ出てみたら? 全部事務所持ちだから、タダでスポーツジムやエステに行けるよ」 戸惑っている二人に、鷹緒が軽くそう言った。 「た、鷹緒さんも、フォローしてくれるなら……やってみようかな……」 静かに沙織が言った。その言葉に、広樹は笑顔で鷹緒を見る。 「本当? もちろんだよな、鷹緒」 「まあ、俺に出来ることならな……」 「オーケー、決まりだ! ありがとう、沙織ちゃん。よろしく頼むよ」 広樹はそう言って、沙織と母親に握手をした。 「よかったな。じゃあ俺、テレビ局行ってくる」 鷹緒はそれを見届けると、すぐに立ち上がってそう言った。 「ああ、まだ打ち合わせがあったか」 「うん。じゃ、これからよろしく。行ってきます」 鷹緒はそう言って、慌しく事務所を後にした。 「忙しそうね、鷹ちゃん……」 沙織の母親がそう呟く。 「ハハハ。でも契約が気になって、すっ飛んで帰ってきたんでしょうね……鷹緒は大成して、事務所としても、本当にあいつのおかげでやってきたんです。さあ、契約のお礼は今度鷹緒にしてもらうとして、今日はこの辺で終わりましょうか」 広樹の言葉に、沙織と母親は同時に頷く。 「はい」 「今後のことは、これからスケジュールを立てます。まだ学生さんだし無理は言いませんが、出来るだけ週末は事務所に来てもらうことになります。雑誌の撮影も、大抵週末ですから。あとはまた学校帰りの暇な時にでも来てもらえれば、新設モデル部署の人間が、モデルとしてのノウハウをお教えしますので」 「わかりました。では、とりあえず週末に伺わせます」 母親が答える。 「お願いします。今日は本当にありがとうございました」 広樹はそう言って、沙織と母親を見送った。 沙織はまだどうしていいのかわからなかったが、ワクワク感が包み、決意を固めた。少しでも、鷹緒のそばにいたいと思った。
|
|