「これ、お兄ちゃんの車?」 駐車場で鷹緒の車を見て、沙織がそう言った。少し驚いたのは、外車のスポーツカーだったからだ。 「ああ。早く乗れよ」 「オジャマシマス……」 沙織は緊張して車に乗り込むと、車内を見回す。 「ハハ……何をきょろきょろしてんだよ」 「だって、外車なんて初めてだし……お兄ちゃん、稼いでるんだね」 「バーカ。んなことはねえよ」 鷹緒はそう言いながら、車を走らせた。 「それより、どうだった? 年越しライブは」 車の中で鷹緒が尋ねた。鷹緒のおかげで、沙織は好きな歌手・BBの、念願の年越しライブへ行くことが出来たのだ。 「うん、すごくよかった! 彼氏も喜んでくれて……ありがとうございました」 未だ緊張したままの沙織が言った。男性と二人きりで車に乗るのは、初めてである。 「へえ、彼氏いんの? イッチョ前に……」 「もう! そんな子供じゃないもん。もう十六だよ?」 沙織がムキになって言う。 「まだガキじゃん。早い、早い」 そう言う沙織に、鷹緒が軽く言う。その横顔は優しげで、どこか懐かしい。 「じゃあ、鷹緒お兄ちゃんは、オジサンじゃん」 「アホか。俺はまだ二十九だ」 「立派なオジサンじゃない」 「コノヤロー」 二人は笑いながら、会話を弾ませる。次第に沙織の緊張も解れていき、二人は打ち解けていった。 「ねえ、明日は何時に行けばいいの?」 しばらくしたところで、沙織が尋ねた。 「そうだな……朝九時に、事務所に来れる?」 「えー、早い。迎えに来てくれる?」 鷹緒の言葉に、冗談で沙織が言う。 「アホか。まあ、三日バイトしてくれたら、後はいいから」 「え、三日でいいの? 冬休み、全部削られるのかと思った」 「削って欲しけりゃ、いくらでも仕事はあるけど。たかがチケットやったくらいで、三日拘束すりゃ十分だろ」 鷹緒が言った。鷹緒と打ち解けてきたところで、沙織は質問を続ける。 「……ねえ。ああいうチケットって、どうして手に入るの?」 「どうしてって……仕事関係だけど? 一応、事務所ルートでチケットはいくらか取れるし、あのグループは、前に俺が写真撮ったこともあって、回ってきただけの話だよ」 「へえ。そうなんだ……」 「でも、驚いた。しばらく連絡も取ってないおまえの母親から、たまに連絡が来たと思ったら、BBの年越しライブのチケットが欲しいなんてな」 軽く笑いながら、鷹緒は煙草に火をつける。 「だって、彼氏がすごい好きで……」 「……まあ、いいけど? こっちとしても年始の忙しい時期に、一人でも人手が増えるのはありがたいよ」 煙草の煙を吐きながら、鷹緒が言った。そんな鷹緒に、沙織が質問を続ける。 「……仕事って、何をすればいいの?」 「俺とかヒロの言うことを聞いてればいい。まあ、雑用ってところだな。あれ持ってこいだの、あれ買って来いだの、はっきり言って、俺は人使いが荒いからな」 「うん。荒らそう……」 素直な沙織の言葉に、鷹緒が苦笑する。 「まあ、覚悟しておけよ」 「うん……」 「それから現場では、俺のことは間違っても、お兄ちゃんなんて呼ぶなよ」 鷹緒が煙草を揉み消しながら、念を押して言った。 「じゃあ、なんて呼べば?」 「……諸星さんか、鷹緒さんだな」 「じゃあ、鷹緒さん……」 「はいはい。ほら、着くぞ」 車は、沙織の家の前に止まった。 「ありがとうございました。待ってて。お母さん、呼んで来る」 「え? 別にいいよ。もう長いこと、会ってないし……」 「でもお母さんだって、会いたがってるもん。待ってて」 沙織はそう言うと、家の中へと入っていった。 少しすると、沙織が母親を連れて、家から出てきた。沙織の母親と鷹緒は、従兄弟同士であるが、沙織同様、まったく会っていない。 「鷹ちゃん、久しぶりねえ」 懐かしそうに、沙織の母が、鷹緒に近付いてそう言う。 「どうも……お久しぶりです」 鷹緒は少し照れながら、会釈をする。 「この間は、ごめんね。BBのチケットくれだなんて、急に変なこと頼んじゃって……」 「いいよ。代わりに三日間、お嬢さんをお借りしますがね」 沙織の母の言葉に、笑って鷹緒が言った。 「変なことに使わなければ、どうぞ使ってやってちょうだい」 「それは大丈夫だけど、明日も朝から来てもらうから、よろしくお願いします」 「わかったわ。送ってもらってありがとうね」 「いえ、じゃあ……」 鷹緒は軽く会釈をすると、そのまま車で去っていった。 「大きくなったわね。鷹ちゃんも……」 車を見送りながら、沙織の母が呟く。 「嫌だ、お母さん。鷹緒お兄ちゃんも、ちょっと困ってたじゃない。二十九歳の男に、鷹ちゃんなんて言うから……」 少し呆れたように、沙織が言った。 「だって、鷹ちゃんは鷹ちゃんだもの。鷹ちゃんだって、ずっと私のこと、杏子お姉ちゃんって呼んでたのよ」 「それって、いつの話よ……」 「うーん。鷹ちゃんが、小学生くらいの時かしら」 「まったく……」 二人は笑いながら、家の中へと入っていった。
次の日。沙織は待ち合わせの時間に、昨日のタレント事務所へと向かった。 事務所は朝にも関わらず、狭い室内に人でごった返している。沙織はしばらく、きょろきょろとその光景を見つめていた。 するとそこに、鷹緒がやって来た。 「おはよう」 鷹緒の言葉に、沙織が振り向く。 「お、おはようございます」 仕事ということで、昨日から鷹緒に念を押されていたので、沙織が他人行儀で挨拶をする。 「おう。早いじゃん」 「約束は守ります」 「感心、感心」 鷹緒が、そう言って沙織の肩を叩く。 「あ、諸星さん。お待ちかね!」 すると、近くにいた数人の少女が、鷹緒に声をかけた。 「悪いね……全員揃ってる?」 「はい、います」 少女たちが答える。 「じゃあ、先に行きますか」 「はーい」 鷹緒の言葉に、そばにいた少女たちが、荷物を持って鷹緒についていく。 「沙織。おまえ、奥にいるスタッフの荷物持って、一緒について来て」 「はい」 沙織は素直に返事をすると、事務所の奥にいるスタッフの元へと向かっていった。 「諸星さん。あの子、誰ですか? やけに親しげじゃないですかー」 そばに居た少女たちが、沙織の背中を見つめて言う。鷹緒は苦笑しながら歩き出した。 「ああ……親戚の子だよ」 「諸星さんの親戚? 姪とか、従兄弟とか?」 「従兄弟の娘。まあ、よく知らないよ。さて行こうか」 「はーい」 一行は、そのまま近くのスタジオへと向かっていった。
撮影が開始されたスタジオでは、少女モデルが次々にポーズを取っている。沙織は、鷹緒と話す間もなく、仕事に追われていた。 沙織に与えられた仕事は、鷹緒のスタッフのアシスタントで、物を探したり、渡したり、磨いたり、買出しに行ったりする、いわば雑用であった。忙しかったが、スタジオの雰囲気が、新鮮で面白かった。
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