「元夫婦だけど、今は全然関係ないのよ。牧ちゃんとか数人以外は、事務所の人も知らないし。バレたっていいんだけれど、お互いやりにくいし、黙っていてね」 理恵が苦笑して言った。沙織は二人を交互に見つめながら、口を開く。 「……お二人、同じ事務所で働くってことですか?」 「まあそうだけど、本当に私たちはもう赤の他人って感じだから……特に意味はないのよ」 黙ったままの鷹緒に反し、理恵が答える。そこに、牧がお茶を持ってやってきた。 「お待たせしました」 「ありがとう」 一同は、お茶を飲み始める。するとそこに、広樹がやってきた。 「おお、大分片付いたじゃない」 「ヒロさん、遅いですよ。男手はスタジオの方に、最後の搬出に行ってます」 牧が言った。広樹は新しい事務所を満足げに見回し、微笑む。 「そう。あとは小物ダンボールだけかな?」 「そうだと思います」 「うん、事務所らしくなってきたな。あ、牧ちゃん。沙織ちゃんのファンレターがどこにあるか知ってる?」 「まだ届いてないと思います。小物の中だから」 「そっか……」 「なんだ? 沙織のファンレターって……」 二人の会話に、鷹緒が尋ねる。 「ほら、沙織ちゃんにキャンディスでモデルしてもらった時の反響が思ったより大きくて、今でも問い合わせの電話がくるって、キャンディスの事務所が言ってたよ。ファンレターも、まとめて送られてきてね」 「へえ……」 「僕は、なんとか沙織ちゃんにモデル続けてほしいんだけどさ……」 広樹の言葉に、沙織が首を振って俯く。 「でも私、今でもすごく恥ずかしくて……」 「まあ、ファンレター読めば気持ちが変わるかもよ? もう少しで届くから、待っててよ」 「あ、いえ……私、もう失礼します」 沙織が立ち上がって言った。なんとなく、その場に居づらい雰囲気があった。それは意識している鷹緒と、鷹緒の前妻が一緒にいるということに違いない。 「え? でも」 「すみません。じゃあ……」 「……じゃあ、俺ももう行くよ」 鷹緒もそう言って、立ち上がる。 「おまえ、今日は会議か何かだっけ?」 「ああ、BBの事務所。じゃあ、お先。行くぞ、沙織」 鷹緒はそう言って、一瞬、沙織の肩を抱いた。 「え? う、うん……失礼します」 一瞬だが肩を抱かれ、沙織の胸は緊張して高鳴る。やっとのことで挨拶すると、鷹緒とともに事務所を出ていった。
「な、なによ、鷹緒さん」 外へ連れ出す鷹緒に、沙織が言った。 「別に?」 「え? 何か意味があって、連れ出したんじゃないの?」 「いや。おまえが帰るっていうから、空気が変わったろ? 俺も出ようと思ってたから、ついでにな」 「なんだ……本当に?」 「他に何があるんだよ。じゃあ俺、あっちだから」 「うん……」 「じゃあな」 鷹緒はいつものようにそっけなく、別の方向へと去っていった。 「なんだ。本当に、何もないんだ……」 沙織は少し残念そうに、家へと戻っていった。
家へ帰った沙織は、ベッドに寝そべりながら、目を瞑る。思い出されるのは、鷹緒と理恵の姿ばかりだ。今でもお似合いのカップルといった二人は、離婚したとはいえ、お互いが通じ合っているように感じた。 「しんどい……」 沙織はそう言って、大きな溜息をついた。 その時、沙織の携帯電話が鳴った。見ると、広樹かららしい。多分、仕事の件だろう。しかし今の沙織は、鷹緒と理恵が一緒にいる姿など、見たくはなかった。 しばらくすると、電話のベルが切れた。 「もうやだ……なんで気になるんだろ。鷹緒さんなんか……」 沙織は枕に顔を押し当てる。鷹緒を好きなことを認めたくはなかった。親戚という微妙な立場のため、親に相談することも出来ないと思った。 その時、沙織の部屋のドアがノックされた。 「沙織」 母親の声が聞こえる。 「もう寝てまーす……」 そのままの状態で、沙織が言う。今は何をする気にもなれない。 「なに言ってんの。鷹ちゃん、来てるわよ」 「ええ!」 それを聞いて、沙織は飛び上がるように起き上がった。 「下で待ってるから、下りてらっしゃい」 「は、はーい……」 沙織は慌てて、鏡の前に走った。 「どうしよう、どうしよう……」 身だしなみを整えて、沙織は鏡を見つめる。 「落ち着け……よし!」 沙織は一人そう言うと、リビングへと向かっていった。
リビングでは、鷹緒と広樹がお茶を飲んでいた。 「鷹緒さん、ヒロさん! ど、どうしたんですか?」 沙織が尋ねる。 「ああ、ごめんね、突然。近くまで来てるって電話したかったんだけど、繋がらなくて……」 広樹が言う。 「はあ……」 「ケーキいただいたのよ。食べましょうよ」 沙織の母親がそう言って、ケーキを取り分ける。 「ああ、あとこれを……」 広樹が沙織に、紙袋を差し出した。沙織は首を傾げる。 「え?」 「ファンレターだよ。ごめんね、さっき間に合わなくって」 「ああ……」 「それで、お母さん。ちょっとお話があるのですが……」 改まって、広樹が母親に言った。 「ええ、なんでしょう」 母親も座って、広樹を見つめる。 「改めまして、私は鷹緒と同じ事務所の社長をしております、木村といいます。沙織ちゃんには、いつもお世話になっています。実は突然の話で大変失礼ですが、本格的に沙織ちゃんをモデルとして起用させていただきたいと思いまして、伺わせていただきました。沙織ちゃんには、前々から個人的にその旨を伝えていたのですが、先日出ていただいた雑誌社からの要望もございまして、今回は正式に親御さんにもお話をと思い、突然ながらお邪魔させていただいた次第です」 広樹が言った。先日、なりゆきで出た雑誌から、沙織への依頼が来ているようだ。さすがの母親も、それには驚いた。 「沙織が……モデルですか」 「はい。最近は読者からモデルになった子も多く、現実に沙織さんにも予想を上回るファンレターが届き、問い合わせの電話も多く届いております。ファンレターを読んでいただければ、そのファンの熱意も伝わると思います。まだ学生さんですから、無理強いは致しません。学業に支障をきたすことはさせませんし、モデルとしてのフォローは、こちらがきちんと致しますので、その点の心配はないと思われますが、いかがでしょうか」 広樹の話を聞きながら、沙織はちらりと鷹緒を見た。鷹緒は軽く目を伏せたまま、広樹の話に耳を傾けている。 「……沙織はどうなの?」 その時、考えていた母親が、沙織に尋ねた。 「え?」 「お父さんがどう言うかはわからないけれど、あんたの気持ちはどうなの?」 母親が、言い直して尋ねる。 「……そりゃあ、そういう世界に興味がないわけじゃないよ。でも……」 沙織はもう一度、鷹緒を見た。鷹緒もその視線に気付いて、沙織を見つめる。 「……鷹緒さんはどう思う?」 「なんで俺に聞くの?」 沙織の言葉に、鷹緒が言う。 「……だって鷹緒さん、私が馬鹿だって思ってるでしょ? この話受けたら、おまえには無理だなんて言って、陰で笑ったりするんじゃないの?」 膨れっ面で、沙織が言った。それを聞いて、鷹緒は苦笑する。 「まあ、馬鹿だとは思うけど、別にそんな風には思わないよ」 「そうよ、鷹ちゃん。本当に沙織は、その世界でやっていけるのかしら」 真剣な目でそう言いながら、母親も鷹緒を見つめる。 「……まあ、これだけ多くのファンレターが来るのは、確かに珍しいと思うよ。もちろん厳しい世界だから、本格的にそれで食っていこうというなら、正直、難しいと思う。だけど読者モデルとして、一般の子がモデルをやるのは増えてきてるんだ。それこそ趣味の一環。モデルを目指してる子も、目指してない子も、一時期のバイト感覚でやってる子も多い。だからその程度なら、十分やっていってもいいと思うけど? 確かに沙織は、顔も可愛いわけだし」 鷹緒の言葉に、沙織は嬉しくなった。お世辞かどうかはわからないが、鷹緒からのその言葉は、今の沙織にとって、最高の褒め言葉である。 「もちろん、今すぐ返事をくれというわけではありません。ご家族でよく話し合って、それからお返事くだされば結構です。そしてもしお受けいただけるならば、少なからず仕事の謝礼はお支払い致しますし、スケジュール管理からフォローまで、うちのスタッフが面倒見ます。気心が知れている鷹緒も同じ事務所のわけですし、気兼ねなくやっていただければと思っております」 一同を真っ直ぐに見据えて、広樹が言った。そんな広樹に、母親は頷いた。 「わかりました。主人とも話し合って、それからお返事します」 「お願いします。では、突然お邪魔して申し訳ありませんでした。我々は、これにて……」 広樹がそう言って立ち上がると、鷹緒が名刺を母親に渡した。 「事務所の住所変わったから、これからはこっちに連絡して」 「わかったわ。鷹ちゃん……本当にうちの子、モデルなんてやっていけるの?」 心配そうに、母親が言う。 「まあ、本人のやる気次第だと思うよ」 鷹緒がそう言うと、沙織が手を差し出した。 「なに?」 怪訝な顔をして、鷹緒が尋ねる。沙織は尚も手を差し出して、口を開いた。 「私にも、名刺ちょうだいよ」 「なんでだよ。おまえはもう、事務所の住所知ってんだろ?」 「知らないもん」 「ったく、ほら」 鷹緒が、沙織に名刺を渡す。 「わあ。ちゃんとした名刺だ」 「当たり前だろ。じゃ、そういうことで、お邪魔しました」 そう言うと、鷹緒は広樹とともに、沙織の家を後にした。
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