数日後。学校帰りの沙織は、久々に鷹緒の事務所へと向かった。 「あれ?」 しかし、事務所に家具はなく、空の状態である。 「ああ、沙織ちゃん?」 来客に気付いて、奥から広樹が顔を出した。沙織は驚いて、辺りを見回している。 「ヒロさん。これは……?」 「ああ、引っ越ししたんだ。鷹緒から聞いてない?」 「聞いてません。全然……」 「そう。うち、社員も増やして、本格的に事務所拡大を図ろうと思ってね。よかったら沙織ちゃんも、うちでバイトしてよ。土日だけでもいいからさ」 広樹の言葉に、沙織は笑う。 「それ、この間、鷹緒さんにも言われましたよ」 「そっか。駄目かな? 事務所が落ち着くまででもいいからさ……」 拝むようにしている広樹の姿がおかしくて、沙織は苦笑いした。 「いいですよ。私に出来ることなら……暇ですし」 「本当? よかった、ありがとう。まあ僕としては、君にはモデルをして欲しいんだけど……そうだ、君宛のファンレターが、いくつか届いてたと思うよ」 「ファンレター?」 「うん。国民的な雑誌に、あれだけ大々的に載ったからね。反響も大きかったんだ。ごめんね、バタバタしていて、連絡しそこねてたよ。新事務所の方に行っちゃってると思う……」 「えー! ファンレターなんて、どうしよう……」 「あはは。僕はもう少し、こっちで後処理しなきゃならないんだ。新しい事務所は近いから、そっちに行ってみてよ。鷹緒もいると思うから」 そう言って、広樹は事務所移転のお知らせの紙を、沙織に差し出した。 「あ、いえ。近くまで来たんで、ちょっと顔を出してみただけですから……」 「まあ、いいじゃん。牧ちゃんも、会いたがってたよ」 忙しそうな時期に行くのは気が引けたが、沙織は頷いた。 「あ……じゃあ、行ってみます」 「うん、また気軽に来てよ。バイトの件も正式に頼みたいし。それは鷹緒と話してくれてもいいし、僕ももうすぐ行くから、そこでもいいよ」 「わかりました」 沙織はそう言って、地図の示す場所へと向かっていった。
新しい事務所は、旧事務所から五分くらいのところにあり、七階建てオフィスビルの三階にあった。 沙織が事務所に入ってみると、そこはまだ騒然としていて、旧事務所の倍以上の広さに見える。 「どちらさまですか?」 そう言って、奥から女性が出てきた。沙織はその女性に見覚えがあった。いつか写真で見た、鷹緒の前妻である。 「あ……」 思わず沙織は、言葉を失った。 「どうしたの? 何の用かしら?」 「あの……間違えたみたいです。すみません」 沙織はそう言って、すかさず背を向ける。鷹緒の事務所に、前妻がいるはずがないと思った。 「あら、沙織ちゃんじゃない! 久しぶりね」 そこに牧が気付いて、沙織に声をかけてきた。 「牧さん……じゃあ、ここが新しい事務所?」 「なんだ。牧ちゃんの知り合いだったの?」 女性が言う。 「いえ、鷹緒さんの親戚の子なんですよ」 「え? 鷹緒さんの……?」 女性もまた、沙織を見つめる。そんな沙織は、目を泳がせるばかりだ。 「ええ、小澤沙織ちゃんです。この子には、何度も助けてもらってるんですよ。今年の忙しい正月にも仕事手伝ってもらったし、キャンディスでモデルが足りなくなった時も、この子が出てくれて……ヒロさんが、沙織ちゃんにモデルになってほしいって、ずっと言ってるんですよ」 牧がそう説明する。女性は笑顔で頷き、沙織を見つめた。 「そうなの。はじめまして、私は石川理恵といいます。今回、ヒロさんと一緒に、この事務所を共同経営することになったの。よろしくね」 「は、はい……」 沙織は理恵と名乗った女性から、目が反らせなくなっていた。理恵はすらりと背が高く、本当に美しい顔立ちをしている。なにより、ほんのり香る香水に、大人の女性という感じが漂う。 「理恵」 そう言って、奥から鷹緒が出てきた。 「ちょっと、気安く呼び捨てにしないでください」 理恵が言った。鷹緒は変わらぬ表情のまま、口を曲げて理恵に近付く。 「悪かったな、副社長……それより、さっき預けたフィルムどこやったんだよ」 「え? 机の上に……あ、ここにあった」 ポケットからフィルムを出して、理恵が言った。 「ったく……おう、沙織。今、ヒロから電話あったぞ。バイトしてくれんだって?」 「え、あ、うん……」 沙織は戸惑いながら、鷹緒を見つめる。様子の違う沙織に、鷹緒は首を傾げた。 「なんだよ。どうした?」 「べ、別に……」 「変なやつだな」 「まあまあ、ちょっと休憩にしましょうよ。お茶入れてきます」 牧はそう言って、給湯室へと向かっていった。残された三人は、近くの応接スペースへ向かう。 対面式に置かれたソファに、沙織は奥の席を勧められ、鷹緒と理恵は隣同士に座った。 「あの……お二人は、もしかして……」 気まずい空気の中、沙織が意を決して尋ねた。鷹緒と理恵は、お互いの顔を見合わせる。 「……元夫婦?」 鷹緒が言った。 「バラさないでよ」 「こいつ、知ってるよ」 「あ、そうなの?」 二人のやりとりを、沙織は呆然と見つめていた。
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