「え……う、嘘でしょう?」 「嘘じゃねえよ。なんだ……母親から聞いてるんだと思ってた」 鷹緒はそう言って頭を掻くと、部屋から出ていこうとする。思わぬ事実を突きつけられ、沙織は驚いたまま、ぼそっと呟いた。 「何も……聞いてなかった……」 「……あっそ」 鷹緒はそう言うと、部屋を出ていった。沙織もそれに続いてリビングへ向かうと、俊二がスタジオからやってきた。 「あ、鷹緒さん! すみません、勝手に……」 申し訳なさそうに、俊二が言う。 「どうしたんだ? こんなお邪魔虫まで連れて……」 未だ眠そうな鷹緒が、小さく溜息をついて言った。俊二はバツが悪そうに口を開く。 「それがその、忘れ物しちゃって……あと、鷹緒さんの様子を見に。沙織ちゃんも心配していたんで、一緒に連れて来ました。事後報告になりますが、社長にも了承済みになっていると思います」 「ふうん……」 電話に起こされ、鷹緒は不機嫌そうにソファに座る。 「あ、あの、鷹緒さん……」 「俊二。おまえ、フィルム忘れるなよ」 その時、恐る恐る言いかけた俊二に、鷹緒が遮ってそう言った。 「え!」 俊二がびっくりして声を上げる。 鷹緒は目の前のテーブルに置かれたパソコンから、カメラのメモリカードを取り出し、近くに置いてあったフィルムと一緒に、俊二に差し出した。 「ああ、鷹緒さんのところにあったんですか! もう、どうしようかと思いました。すみません!」 深々と頭を下げて、俊二が言う。鷹緒は苦笑しながらも、優しく微笑む。 「もう、二度と忘れるなよな」 「はい。本当にすみませんでした! ああ、でもよかった。どこを探してもないから……」 「俺のカメラそっちに取りにいったら、そいつが置かれてるの見たんだ。データ見たら、昨日のだろ? 届けようと思ったんだけど、そのまま寝ちゃってさ……」 鷹緒はそう言いながら、もう一つカードを差し出した。 「え……」 「バックアップついでに、ちょっとレタッチしといた。まあ、おまえの仕事なんだから、暇つぶしにやっただけだし、使わなくていいからな」 そんな鷹緒の言葉に、俊二はまたも驚く。 「え、編集してくださったんですか? 本当にすみません、睡眠削っちゃって……でも、助かります。明後日までの締切なのに、何も手をつけてないんじゃ間に合わないですから……すみません!」 「いいって。体質的に、目の前に素材があったら、いじりたくなるんだよな……」 鷹緒が、苦笑して言う。 「ハハ、病気ですね……ありがとうございます。徹夜で仕上げます」 「明後日までの仕事だろう?」 「でも別の仕事が溜まってるんで、早目にやっておかないと……あと、車は僕が乗ってきたんで、駐車場にあります。これ、鍵です」 俊二はそう言って、テーブルに鍵を置く。 「ああ、サンキュー」 「じゃあ、帰ります。沙織ちゃんは……」 フィルムとカードをしまいながら、俊二が沙織に言った。 「あ、私……」 「いいよ、俺が送るから……」 小さく息を吐きながら、鷹緒が言う。 「そうですか。じゃあ、僕はお先に失礼します」 俊二はそう言うと、鷹緒の部屋から出ていった。 残された沙織は、ソファに座ってうなだれる鷹緒を見つめる。 「……コーヒー入れてくれる?」 沈黙を破って、鷹緒が言った。 「う、うん……」 沙織は言われるままに、キッチンへと向かう。広いキッチンだが、あまり使われていない様子だ。 「豆は棚の中。そこにコーヒーメーカーがある」 部屋の勝手がわからない沙織に、背を向けたまま鷹緒が言う。沙織はコーヒーを入れ、鷹緒のもとへと持って行った。 「はい……」 「サンキュー」 鷹緒はコーヒーを受け取ると、まぶたを押さえた。大分、眠気は取れたようだが、だるそうにしている。 「あの、ごめんなさい。ついてきたりして……」 不機嫌な様子のままの鷹緒に、沙織が素直に謝る。鷹緒はコーヒーに口をつけると、軽く顔を掻いた。 「別にいいけど……それで、何の用?」 「あ、あの、キャンディス見てびっくりしちゃって……」 「ああ、よく撮れてたろ?」 静かに笑って、鷹緒が言う。 「うん……でも、あんなに大々的に載るとは思ってなくて、びっくりした」 「まあ、メインページだから仕方ないだろ。何か問題でもあった?」 「ううん。ただ、学校ではちょっとした噂になっちゃって……」 「ハハ。よかったじゃん」 「よかったのかな?」 立ったままの沙織は、思い切って鷹緒の横に座った。鷹緒は何も言わず、ぼうっとしている。 「雑誌はおまえの家に、何部か届けてあるはずだから。あと、ヒロがおまえをモデルにってうるさいんだよ」 「うん、さっきも言われた。でも私、来年は受験生にもなるし……」 「なに? 興味ないんだ、モデルとか」 鷹緒が、意外そうに尋ねる。 「興味がないわけじゃないよ。正直、楽しかったけど……でもすごく緊張したし、仕事としては考えられなくて」 「ふうん? まあ、俺はどうでもいいけどな……」 「なにそれ、ひどい」 「だって、選ぶのはおまえだろ?」 いつもと変わらず、そっけない態度の鷹緒に、沙織は俯いた。 「そうだけどさ……」 「さあ、帰るか」 「あ、うん……」 沙織は頷くものの、なんだか心が晴れない。 鷹緒はコーヒーを飲み干すと、立ち上がって支度を始めている。そんな鷹緒に、沙織が口を開く。 「あ、いいよ。電車で帰る……今日は寝た方がいいよ。だるそうだし」 「いいよ、別に」 「よくないよ。ちょっと辛そうだもん」 「……いいのか?」 「うん、まだ全然早いし。それより、さっきの話だけど……」 「さっきの話?」 聞きにくそうに尋ねる沙織に、意味がわからず、鷹緒が聞き返す。 「だから、さっきの写真……鷹緒さん、本当に……子供がいるの?」 沙織が言った。鷹緒はもう一度ソファに座った。 「ああ……その話か」 面倒くさそうに、鷹緒は顔をしかめる。 「私、知らなかった……」 「……だからなんだよ。知ってたら、どうだったって?」 溜息をつきながら、鷹緒が言った。その態度は今までと違い、強い拒否のようなものが、体全体で伝わってくる。 「どうって、別に……」 「俺に子供がいようといなかろうと、俺がどういう人間だろうと、おまえには関係ないだろう? 親戚っていっても、大して交流もない親戚なんだから。もう帰れよ」 いつになく冷たく突き放す言い方をする鷹緒に、沙織は驚いて俯いた。 「わかった。ごめん……」 沙織はそれだけを言うと、急いで部屋を出ていった。 残された鷹緒は、そのままソファに横になり、大きな溜息をついた。
家へ帰った沙織は、ショックで落ち込んでいた。 鷹緒が結婚していたということ、そして子供がいたという事実に、ショックを隠しきれない。そして沙織は、自分が鷹緒のことが気になっていたという気持ちに、気付かされていた。 「私……鷹緒さんのことが好き……?」 自問自答を繰り返しながら、沙織はリビングの椅子に座る。目の前のテーブルには、沙織がモデルをやった雑誌「キャンディス」が、数冊置かれていた。 「私じゃないみたい……」 自分の写真を見て、そう呟く。説明し難い孤独感が、沙織を襲っていた。 「ただいまー」 そこに、元気の良い母親の声が響いた。 「お母さん!」 いつにない孤独感を感じていた沙織は、思わずそう叫ぶ。 「なんだ、沙織。帰ってたの? 今日は早いわね。あ、あんたの雑誌送られてきて、見たわよ。すごいじゃない! 最初、沙織かどうかわからなかったわよ。でも、綺麗に撮れてるじゃないの」 母親独特のマシンガントークが炸裂する。 「うん、私も思った」 「夕飯は食べたの?」 「まだ……」 「じゃあ、今から作るから」 そう言うと、母親はすぐにキッチンに立つ。 「あ、ねえ、お母さん。鷹緒さんが結婚してたって、知ってたの?」 思い出して、沙織が尋ねる。 「ああ、もちろん知ってたわよ。沙織は知らなかったっけ? そっか、その頃はもう、あんまり交流なかったし、あんたも小さかったからね……」 「うん。それ聞いて、びっくりしちゃって。鷹緒さん、そんな風に見えなかったからさ……」 「まあねえ……でも、あんまり長くは続かなかったみたいよ」 「え、そうなの? 離婚してるの?」 沙織は興味津々で、母親を見つめる。 「確かそうよ。まあ、結婚自体あまり知らせてなかったみたいだけど、私たちは叔父さんの葬式で会って知ったのよね……そうよ、写真も残ってるわよ」 「嘘、見たい!」 「なあに。なにかあるの?」 興奮気味の沙織を、母親が不思議そうに見つめている。 「ううん……だってあの人、謎だらけなんだもん」 「まあ、そうかもね……アルバムが入ってる棚にあると思うわよ。十年くらい前のだったと思うわ」 「十年、そんなに前?」 「そうよ。確か鷹ちゃん、十代の頃でしょ」 「へ、へえ。なんか歴史が……」 「そうよ。だからあんたもフラフラしてないで、真面目にしなさいよ」 「ハイハイ……あ、あった!」 十年前のアルバムを開いて、沙織が写真を見つける。とある葬祭場で撮られた写真だが、親戚一同が揃っている。 幼い沙織たちに混じり、若き鷹緒とそれに寄り添う女性がいた。鷹緒は飛び抜けて背が高く、まるで芸能人のように輝いて見える。 「うわ。鷹緒さん、すっごくカッコイイ!」 「そうよ。鷹ちゃん、モデルだったんだもの。相手の女性もモデルだったみたい。鷹ちゃん、ママから見てもカッコイイと思うわよ。沙織だって小さい頃は、鷹ちゃんと結婚したいって言ってたじゃない」 「え、そうだっけ。覚えてない」 母親の言葉に、沙織は赤くなって言う。 「まあ、鷹ちゃんは昔からモテてたからね」 それを聞きながら、沙織は鷹緒の写真を凝視する。確かに相手の女性もかなりの美人で、スタイルがいい。沙織は言葉を失った。 「本当、だったんだ……」 認めたくはなかったが、その胸の高鳴りに、沙織は自分が鷹緒に恋をしているのだと確信した。
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