「お疲れっす」 「お疲れさま、早かったね。今、社長が出ていったところなのよ」 牧はそう言いながら、お茶を入れて差し出す。 「マジっすか。あ、お茶いただきます」 そこへ、少し遅れて俊二が入ってきた。 「お疲れさまです」 「お疲れさま。はい、お茶」 すかさず牧は、俊二にお茶を差し出す。 「ありがとう。牧ちゃん、悪いけど、マンションスタジオの鍵、貸してくれる?」 俊二が言った。 「いいけど、どうしたの?」 「いや、昨日の撮影の時に、フィルム忘れちゃって……」 そう言う俊二に、スタッフと牧も苦笑する。 「カメラマンなのに、フィルム忘れちゃったの?」 「はあ。あそこ、僕はあんまり使ったことないから、なんか緊張して忘れちゃうんだよね……」 「そうね。俊二君は、そこの地下スタジオ専属みたいな感じになってるから、他のところはあまり行かないものね。じゃあ、社長には私から伝えておくから」 そう言うと、牧は俊二に鍵を差し出す。俊二は苦笑してそれを受け取った。 「ありがとう。ついでに鷹緒さんの様子も見てくるよ……あの人、限界までやるから、ぶっ倒れてるかも」 「……あの、マンションスタジオって?」 その時、話についていけない沙織が尋ねた。鷹緒の名前が出たので、なんとなく反応している自分がいる。 「ああ、沙織ちゃんは知らないのね。うちの事務所、鷹緒さんの自宅マンションの隣に、スタジオ持ってるのよ。もともとは鷹緒さん所有の部屋でね……部屋の雰囲気とか出したい時は、そこで撮影するんだけど、昨日もインテリアの撮影で使っててね」 「へえ」 初めて聞く話に、沙織は興味を奪われた。日常では知り得ない世界がここにある。 「沙織ちゃんは、鷹緒さんの親戚だったよね。そういうことは話さないの?」 興味津々な様子の沙織に、俊二が尋ねた。 「親戚といっても、遠い親戚ですから。あんまり話したこともないし……」 「そうか。あの人、親戚の中でも無口なのかなあ」 「さあ……でも大丈夫なんですか? 鷹緒さん、倒れてるかもしれないって」 沙織の言葉に、俊二は苦笑する。 「わかんない。前に行った時は、熱出して玄関先でぶっ倒れてて……あの人、時々そういうことあるから少し心配だけど、忘れ物を取りに行くついでに見てくるから、きっと大丈夫だよ」 「……あの、私も行っちゃ駄目ですか?」 苦笑している俊二に、沙織が言った。 「え?」 「私、鷹緒さんと話したいことがあって……キャンディスの雑誌の件で」 「ああ、大々的に載ってたね。僕は構わないけど……」 「いいんじゃない? 鷹緒さんは沙織ちゃんを知らないわけじゃないし、親戚だもの」 考えている様子の俊二に、牧が割って話に入ってきた。 「うん……」 「連れてってあげなさいよ。鷹緒さんが心配なのよ」 少し渋る俊二に、牧が言う。 「ああ、そういうことか。鷹緒さん、モテるからなあ……」 俊二が牧の言わんとする意図を悟って言った。沙織もそれに気付いて、慌てて否定する。 「わ、私は別に、鷹緒さんなんて……」 「うふふ。いいのよ、沙織ちゃん。鷹緒さんを好きな人は、ゴマンといるんだから」 「確かにね。あの人、あれだけ無口で愛想もないのに、どうしてあんなにモテるのかなあ……」 笑いながら、牧と俊二がそう言う。そんな二人に、沙織はまだ否定を続けた。 「だから、私は鷹緒さんなんて……」 「わかったわ。じゃあ、とにかく行ってらっしゃいよ。それから、ついでに鷹緒さんの車に乗っていってあげて」 慌てた様子の沙織を尻目に、牧が俊二に、鷹緒の車の鍵を差し出して言った。 俊二は車の鍵を受け取りながら、口を開く。 「鷹緒さん、車で帰ったんじゃないの?」 「そうなのよ。フラフラしてて危ないからって、社長が止めたんですって。電車で帰ったみたいだけど、次に出勤する時、車がないと動きづらいと思うから」 「へえ、鷹緒さんが電車。わかったよ」 「あと、事務所はもう閉めるから、直帰してくれる? ここには忘れ物しないでよ」 帰り支度をしながら、牧が言う。時刻はもうすぐ定時になろうとしている。 「わかりました。じゃあ行って来ます。お疲れさまでした……さあ沙織ちゃん、行こうか」 俊二は沙織を連れ、事務所を後にした。
鷹緒の住むマンションは、東京タワーが見える大きなマンションであった。 俊二は地下駐車場に鷹緒の車を停めると、沙織を連れて鷹緒の部屋へと向かっていく。 「なんか、すごい高級そうなマンションですね……」 マンションの造りを見ながら、沙織が呟く。俊二はそれを聞きながら、一つの部屋の前に立ち止まった。 「そうだね。ここがスタジオ。そっちの部屋が、鷹緒さんの部屋だよ」 俊二はそう言うと、スタジオである部屋の鍵を開ける。沙織は鷹緒の部屋という、隣の部屋を見つめる。 「先に行かないんですか?」 「うん、こっちからも行けるから」 俊二はそう言うと、スタジオの部屋へと入っていった。沙織もそれに続く。 スタジオと呼ばれる一室は、普通のマンションでありながら、本格的な撮影機材が並んでいた。 「わあ、すごい……」 圧倒されて、沙織が言う。 「あれ、ここに置いたはずだけどなあ……」 俊二はそう言うと、早速、忘れ物のフィルムを探している。沙織も辺りを見回す。 「私も手伝いましょうか?」 「いいよいいよ、別の部屋かも。それより、鷹緒さんの様子見てきてくれる? そこのドア開けると、鷹緒さんの部屋に繋がってるから」 俊二が指差したのは、リビングにつけられた一つのドアだった。 「え?」 「どっちも鷹緒さんの部屋だったから、ドアつけたらしいよ。そっちの部屋、廊下を出て一つ目の右のドアが寝室だよ。異常がなければそこで寝てると思う。僕は探し物があるから……」 「わかりました」 沙織は返事をすると、鷹緒の部屋へと入っていった。 緊張しながら進むと、沙織は言われた通りの部屋のドアを静かに開ける。すると中には、大きなベッドがあり、寝息が聞こえる。そっと覗き込むと、そこには紛れもなく鷹緒がいた。 (よかった。普通に寝てるみたい……) 沙織がそう思って見つめていると、突然、沙織の携帯電話のバイブが震えた。 「わ……」 慌てて沙織は電話を切って、鷹緒を見る。しかし鷹緒は起きる様子もなかったので、一安心した。 沙織は、鷹緒に背を向ける形で携帯電話を見つめると、一通のメールが届いていた。そこには、もう会話すらしていない、恋人の篤からの言葉が連ねられている。 『この間は感情的になってごめん……今日クラスの女子に、キャンディスって雑誌見せてもらったよ。あれってマジで沙織なの? 俺、しばらく考えてみたけど、やっぱり沙織と別れたくないよ。謝るから、今夜会わない? 今夜が駄目なら、学校ででもいいよ。俺、今年は受験生だし、やっぱりもう一度ちゃんと話したい』 篤からのそんなメールに、沙織は複雑な気持ちで携帯電話から目を逸らす。そして壁にかかったボードにつけられた写真を、無意識に見つめた。すべて風景画だが、そのボードの前には、唯一の人物写真が、フォトフレームに入れられて立てられている。 そこには、今より少し若い鷹緒と一緒に、見知らぬ女性と小さな女の子が写っていた。 「え、なに? これ……」 沙織は驚きと同時に、何も考えられなくなっていた。写真を手に取ってみるものの、信じ難いことが浮かぶだけだ。まるで若い家族のような写真である。 その時、部屋の電話が鳴り響いた。沙織が慌ててまごまごしていると、鷹緒が目を覚ました。 「ん……」 目を擦りながらの鷹緒と、沙織の目が合う。 「うわ、沙織! なんでおまえがここに……」 起きたての鷹緒は、沙織を見て驚いている。沙織も突然のことに目を泳がせながらも、口を開く。 「よ、様子を見にだよ……俊二さんも一緒に」 「はー、脅かすなよ……」 「それより、電話出たら?」 「んー……」 嫌そうに、鷹緒が電話の受話器を取る。 「はい。ああ、どうも……」 鷹緒が電話の相手と会話を始める。沙織は写真を持って見つめたまま、しばらくその場に立っていた。 すると、電話を終えた鷹緒が、沙織の持つ写真を奪うように取り、棚に戻して歩き出した。 「ねえ、この写真の子……」 部屋を出て行こうとする鷹緒に、沙織がやっとそう口にする。 「……俺の子供だけど?」 静かに鷹緒が言った。
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