次の日。沙織は、また事務所へと足を運んだ。事務所入口の近くにある応接スペースでは、鷹緒が書類を広げている。 「あ、沙織ちゃん」 受付に座っている牧が出迎える。その声に、鷹緒は顔を上げた。 「おう」 「鷹緒さん……事務所に居るなんて、珍しいね」 沙織はそう言って、鷹緒のそばへと歩いていく。 「まあな」 鷹緒はそっけなくそう言い、仕事を続ける。 「沙織ちゃん。紅茶でも入れるから、座ってて」 受付から立ち上がり、牧がそう言った。沙織は慌てて牧に駆け寄る。 「いいですよ、牧さん。自分でやります」 「いいのよ。沙織ちゃんは、撮影現場を助けてくれた恩人だもの。事務所としても、仕事がストップしないで本当に助かったわ」 牧がそう言って給湯室へと入っていったので、沙織は鷹緒の前に座った。 少しすると、牧が紅茶を沙織に差し出した。 「ありがとうございます」 「いいえ。もう、鷹緒さん。ここで仕事するのやめてくださいってば。来客用のスペースなのに」 口を尖らせながら、牧が鷹緒に注意する。 「んー……」 そんな鷹緒は生返事で、話を聞いていない様子だ。。 「もう、鷹緒さんったら」 「……もうすぐ終わるから」 鷹緒はそう言うと、真剣な眼差しで仕事を続けている。 「牧さん。今日は何か手伝うことありますか?」 鷹緒の態度に苦笑している牧に、沙織が言った。 「うーん、今日は大丈夫みたい。みんな風邪でダウンしてるから、仕事も手がつけられないのよね。ゆっくりしていって」 牧はそう言うと受付に戻り、自分の仕事にかかり始める。沙織はソファに座ったまま、そばにあった雑誌を取り、時間を潰した。
しばらくして、鷹緒がテーブルの上の書類たちを片付け始めた。 「終わり?」 見ていた雑誌から目を離して、沙織が尋ねる。 「一通りな」 「ねえ、お寿司は?」 「今日か?」 沙織の言葉に、鷹緒が言った。 「駄目?」 「いいけど……じゃあ、もう少し待てるか?」 「うん、いいよ」 「じゃあ、ちょっと待ってて。牧。俺、JM雑誌でチェックしてから、印刷会社へ入稿してくる」 「わかりました」 鷹緒は牧にそう言うと、事務所を出ていった。 「鷹緒さん、いろんな仕事あるんですね……」 残された沙織がぼそっと言った。牧は仕事を続けながら、苦笑している。 「まあねえ。鷹緒さんは、カメラマン業だけじゃないから……あんまり助手も使わない方だしね」 その時、沙織の携帯電話が鳴った。画面には、彼氏である篤の名が浮かんでいる。沙織はすぐに電話に出た。 「もしもし」 『沙織? 俺』 「うん。どうしたの? バイトじゃなかったの?」 篤は毎日アルバイトをしていて、沙織とは学校以外で会うことはほとんどなかった。学年も違うため、最近はあまり会う機会もない。その分、沙織はこのところ、頻繁に事務所に顔を出していたのだった。 『バイトだったんだけど、今日は早上がり出来ることになってさ。これから会わない?』 その言葉に、沙織は少し戸惑った。 「あ、ごめん。今日はちょっと、用があって……」 沙織は鷹緒と食事をするため、篤の誘いを断ることにした。鷹緒と食事というのは滅多にない上に、すでに約束もしてしまっているからだ。 そんな沙織に、篤は強引なまでに誘いをかける。 『用って? 最近あんま会えなかったからさ、ちょっとでも会いたいんだけど……』 「私もだよ。でも、約束あるし……ごめん」 『そうか……じゃあ、帰ったらメールくれよ』 「うん、わかった。そんなに遅くならないと思うから……じゃあ、後でね」 沙織は電話を切って、鷹緒の帰りを待った。
数時間後、鷹緒が事務所に帰ってきた。もう牧も帰っており、事務所には奥にスタッフが数人居るだけで、沙織はソファに座って雑誌を読み続けていた。 「悪い。遅くなって……」 沙織に向かって、鷹緒が言う。沙織は少し膨れっ面で、自分を見下ろしている鷹緒を見つめた。 「本当、遅いよ」 「悪い。でも食事なんて、いつでもよかったのに……」 「でも、鷹緒さん忙しいから、いつになるかわからないじゃない」 「そりゃあそうだけど……悪かったな。腹減ったろ? 食いに行くか」 「うん」 鷹緒の言葉に、沙織が立ち上がる。二人はそのまま事務所を出ていった。
「車じゃないの?」 駐車場とは別の方向に歩く鷹緒に、沙織が尋ねる。 「寿司なら、近くに美味い店があるんだ」 鷹緒はそう言うと、事務所近くの寿司屋へと入っていった。カウンターに座る鷹緒の横に、沙織は小さくなって座った。 「なんか……場違いじゃない? 私、制服だし」 「別に平気だよ」 鷹緒は気にせずそう言って、壁にかけられたメニューを眺めている。沙織も店内を見渡すと、壁には有名人の色紙が、所狭しと飾られている。 「すごい。サインでいっぱい」 「おまえはミーハーだったな……時間によってだけど、ここに来れば誰かしらいるよ、芸能人」 「いらっしゃい、諸星さん。女子高生連れ込むなんて、らしくないじゃない」 その時、カウンターの向こうから、板前がそう言った。鷹緒も常連らしく、親しげに笑う。 「違うよ。こいつ、俺の親戚」 「またまたー」 「ハハハ、本当だって。とりあえず、今日のおすすめを適当に握ってください」 「かしこまりました」 鷹緒の言葉に、板前がネタを握ってゆく。そして差し出された寿司は、美味しそうに輝いていた。 「うわあ、すごい。大きいネタ」 目の前に出された寿司に、思わず沙織が言った。鷹緒は笑いながら、すでに食べ始めている。 「じゃんじゃん食えよ」 「いいの?」 「ああ」 「いただきます!」 二人は寿司を堪能し、やがて車で沙織の家へと向かっていった。
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