あなたが放つフラッシュに魔法をかけられたように、あなたのことが頭に焼きついて、離れない……。
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大晦日――。 「すげえな、沙織。BBの年越しライブのチケットが手に入るなんて。しかもタダ、しかもビップ? おまえ、何者だよ」 寒空の下、寄り添い歩くカップルたちの中で、一際大きい声で少年が言った。 「親戚がギョーカイの人でね。割と顔が利くらしいんだ」 少年と手を繋いでいた少女がそう答える。少女の名は、小澤沙織。十六歳の女子高生だ。隣にいる少年は一つ年上の、遠山篤。二人は同じ高校で知り合い、つき合っている。 大晦日のこの日、二人は沙織の親戚から手に入れたレアチケットで、人気歌手グループ・BBの、年越しライブに来ていた。 「業界の人って何だよ。プロデューサーとか?」 目を輝かせて、篤が尋ねた。そんな篤に、沙織は首を振る。 「わかんない」 「わかんないって、親戚だろう。それに、ホラ……これからも、そういうチケットとか手に入るかな?」 「親戚っていっても、遠い親戚なの。それに、篤がBBの熱烈ファンだから、無理やりお母さんに頼んだんだよ。おかげで、ちょっとバイトするハメになっちゃったけど……」 「バイト? なんだよ、それ」 「チケット取るかわりに、その人の事務所で手伝いすることになったんだ。なんか、すごく忙しい時期みたいでね」 苦笑しながら、溜息まじりに沙織が言う。 「手伝いって、何すんの?」 「わかんないけど、雑用とかだと思うよ。それより、早く行こうよ」 「うん」 二人は、コンサート会場へと急いだ。
数日後。沙織は、都内の小さなタレント事務所へと入っていった。 「あの……」 狭い事務所には、数人が慌しく動いている。 「はい?」 受付で、たった今まで電話をしていた女性が、沙織を見て返事をした。 「あの……小澤といいます。今日、ここに来るように言われて……」 「ええっと、ちょっと待ってね。ヒロさん!」 女性は突然、奥へと叫んだ。 「なあに? 牧ちゃん」 奥から、男性の声が聞こえる。 「小澤さんっていう方が来てますけど」 「ああ、鷹緒の親戚の子だろ? 聞いてるよ」 そう言いながら、奥から三十歳くらいの男性が出てきた。大きな目が優しそうに輝き、整えられた髭を生やし、長めの髪を後ろで束ねている。 「小澤……沙織ちゃんだね。聞いてます。鷹緒の親戚だって?」 男性は気さくな感じで、沙織に話しかける。 「はい。鷹緒お兄ちゃんと、母が従兄弟同士で……」 頷きながら沙織が言った。鷹緒とは、沙織に人気歌手グループであるBBのチケットを用意してくれた親戚だが、子供の頃に会っただけで、もう何年も会っていない。 「鷹緒お兄ちゃん……鷹緒さんにも、こんな可愛い親戚がいらっしゃったんですね」 受付の女性が言った。その言葉に、男性が苦笑して口を開く。 「ハハハ。牧ちゃん、意外と失礼だねえ……さて、じゃあちょっと待っててくれる? 今、ちょっと手が離せなくてね。こっちの仕事が終わったら、すぐに別の場所へ移動して、そこで手伝ってもらうから……って、紹介が遅れたね。僕はこの事務所社長の、木村広樹です。この子は、うちの看板受付嬢の、牧美里ちゃん。君には今日から数日間、うちの事務所を手伝ってもらうから、よろしくね」 社長と名乗った男性が、そう言った。 「はい、よろしくお願いします。あの……鷹緒お兄ちゃんは?」 お辞儀をして、沙織が尋ねる。 「ああ、あいつは今、スタジオにこもってるんだ。あとでそこへ行って、手伝ってもらうよ。この時期、忙しいから助かるよ」 「わかりました。よろしくお願いします」 沙織がそう言うと、社長の広樹は頷いて、奥へと戻っていった。 「じゃあ、沙織ちゃんはそこに座って、ヒロさん待っててくれるかな?」 缶ジュースを差し出して、牧が応接スペースに座るよう勧める。 「はい。ありがとうございます……」 沙織はきょろきょろしながら、ソファへと座った。小さいながらもタレント事務所というオフィスは、たくさんのポスターや写真が壁に貼られている。 沙織が座る目の前のテーブルにも、所狭しと書類が積み上げられ、写真が無造作に置かれていた。 「あ、そこのテーブルの写真には触らないでね」 牧の言葉に、沙織は慌てて頷いた。 「あ、はい。すみません」 「勝手に触ると、鷹緒さん、怒るのよ。普段は奥のデスクでやってるんだけど、そこで仕事を始めた日には大変よ。今日も時間がないからってそこで写真広げられて、そのまま出かけちゃうんだもの。お客さん来たらどうしてくれるのよねえ」 「へえ……鷹緒お兄ちゃんって、写真撮ったり、モデルしたりしてるんですよね?」 テーブルに置かれた写真を遠目に見つめながら、沙織が牧に尋ねた。親戚の鷹緒は、カメラマンでモデルだと、母親から聞いている。 「モデルはやってないわよ。肩書きは、写真家ってとこかしら。うちは企画業もやってる事務所だから、鷹緒さんもそれに携わってるし、最近はテレビ局とかにも呼ばれるようになって、いろいろしてるみたい。万能な人ってすごいわよね」 「へえ……いろいろやってるんですね。お兄ちゃん」 「鷹緒さんを、お兄ちゃんなんて呼ぶ人初めてだから、なんだか新鮮だわ」 笑いながら、牧が言う。 「あ、すみません」 「いいのよ。小さい頃から知ってるんでしょう?」 「はい、まあ……」 沙織がそう言ったところで、広樹が奥から出てきた。 「牧ちゃん。これ、VFプロにファックスしといて」 「わかりました」 広樹の言葉に、牧がすぐに動く。 「じゃあ、沙織ちゃん。行きましょうかね」 「は、はい」 仕事開始の言葉に、少し緊張しながら、沙織は立ち上がる。 「牧ちゃん。沙織ちゃん連れて、スタジオ行ってくるよ。何かあったら携帯にかけて」 広樹はそう言うと、沙織を連れて、事務所を出ていった。
「すぐ着くからね」 歩きながら、広樹が言う。 気さくに見える広樹は、すぐに打ち解けられるような安心感がある。 「あの、木村さんの事務所って、タレント事務所なんですね」 沙織が尋ねる。事務所の詳細も、仕事の内容もほとんど聞かされていないため、いろいろ知りたかった。 「うん。あとは、いろいろな企画を考えたりしてるよ」 「へえ……」 「それより、鷹緒とは久しぶりなんだって?」 今度は広樹が尋ねた。 「はい。もう十年以上は、会ってないと……」 「そんなに! じゃあ、本当に久しぶりなんだね。鷹緒のことは覚えてるの?」 「小さい頃に遊んでもらった記憶とかはあるんですけど……正直、あんまり覚えてないんです。何をしている人かも、あんまり知らないし」 「ふうん、そうか……あ、ここがスタジオだよ。今日はあいつ、カメラマンとして動いてるから」 広樹の案内で、沙織は生まれて初めて、スタジオというところへと入っていった。
中では、眩しいくらいのフラッシュが炊かれ、数人のモデルがポーズをとっている。その前でシャッターを切っているのが、沙織の親戚である、鷹緒のようだ。 「はい、これで終了です。お疲れさまです」 「お疲れさまでした」 スタッフやモデルたちが、一斉にそう言った。 「鷹緒」 その中で、広樹が呼ぶ。その声に一人の男が振り向いた。沙織の親戚である、諸星鷹緒だ。背が高く、眼鏡をかけたその男性は、沙織と面識はあるものの十年以上も会っておらず、そう交流があったわけではない、沙織にとって遠い親戚だ。 「ヒロ。遅いぞ」 鷹緒が言った。広樹は苦笑する。 「終わっちゃったか。大丈夫だった?」 「なんとかな」 そう言う鷹緒は、沙織に目も向けず、カメラをいじっている。 「終わっちゃったなら仕方がないよな。ほら、連れて来たよ」 「誰?」 「誰じゃないよ。おまえの親戚だろ? 小澤沙織ちゃん」 「ああ……」 鷹緒が初めて沙織を見た。沙織は久々に見る鷹緒の顔に、少しきょとんとしている。そんな沙織に、鷹緒は口を開く。 「なに、アホ面してんだよ」 「た、鷹緒お兄ちゃん……」 沙織の言葉に、鷹緒は沙織を見つめた。 「おまえ、ここは俺の仕事場なんだ。お兄ちゃんはやめろよ」 つれなくそう言う鷹緒に、沙織は少し戸惑っていた。そんな沙織を見て、鷹緒が笑う。 「ハハハ。あの、泣き虫の沙織がねえ……」 その言葉と表情に、沙織はほっとしたような、かっとしたような気分になった。 「な、泣き虫じゃないもん。お兄ちゃんは、私のこと知らないくせに!」 気付いた時には、沙織はそう叫んでいた。 「……そうだな。もう十年も会ってないもんな。大きくなるわけだ」 鷹緒は苦笑しながら沙織の頭を軽く叩くと、ジャケットを着て振り向いた。 「今日はもう終わりだ。帰って仕事するよ」 広樹に向かって、鷹緒が言った。その言葉に、広樹も頷く。 「ああ。じゃあ僕はまだ仕事があるから、事務所に戻るよ。間に合わなくて悪かったな」 「本当にな。じゃあな」 「ああ、お疲れさまー」 広樹はそのまま、沙織やスタッフに合図を送り、スタジオを出ていった。 「沙織」 鷹緒のその声に、沙織は一瞬、ドキッとした。 「無駄足させたな。今日はもう終わりだから、家まで送るよ」 「……うん」 久しぶりに会った鷹緒は、沙織の記憶にはないほど大人になっていた。
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